Kiraku
ビッグツリー州立公園
日本でも太く、高くそびえる木をみるのは好きだが、日本の森の優しい姿と比べ、アメリカの森には大自然の凄さがある。
ここカリフォルニア州からオレゴン州にかけてアメリカ西海岸には世界有数の大木を見られる自然公園が多い。今回はそのなかのカラベラス・ビッグツリー州立公園(CALAVERAS BIG TREES STATE PARK)に娘夫妻、孫と久しぶりに行った。
公園入口で車に乗ったまま入場料を払う。10ドルだが、私がいるのでシニア料金9ドルだった。駐車場に車を止めて、約2.5キロで一周する順路に沿って、ゆっくり歩きだす。
ジャイアントセコイアの森、それこそ天まで届くような巨木の森だ。風はほとんどない。見上げれば巨木の上には雲一つない紺碧の空が広がっている。深呼吸をすれば肺の中に溜まった不浄な空気が追い出され、きれいに洗浄されるような気がする。
パンフレットによれば、最も高い木は、高さ約107メートル、直径10メートル以上、樹齢2000年以上だという。しかも、まだ成長中とのこと。
以前は、車が通れるような大きな穴があいた大木があったが、今は倒れて巨大な残骸と化していた。
8歳の孫は、倒木にあいた穴に入ったり、あっちこっちと元気いっぱいだ。年の差70歳の私はステッキをつきながらゆっくり進む。
広場に作られているキャンプテーブルでランチ。持参のお弁当とビールが格別に旨い。
このような巨木の森に身を委ねると、いろいろなことを考える。大自然の偉大さにくらべ、下らないことで苦悩する人間、日常の些細なことで怒号激憤する人間、常々の感情の起伏、などなど我々人間の小ささを感じるとともに、デジタルでがんじがらめの日常生活から開放されたいと妙な気持ちになる。スマホ、時計、補聴器、さらにはメガネもはずして、自然の中に身を委ねたいと思った。
酒飲み木工
何年もの間に、実にいろいろなものを作ってきたが今回は、そんな中から酒にまつわる作品のご紹介だ。
まずは、一枚の傾斜した板の穴に首を突っ込んだワインボトル。これはいくつもの種類を作った。接地面が少なくなるほど難しくなる。何度も失敗し、倒れてしまったこともある。そんな中の最高傑作が写真のボトルスタンドである。写真は未開封のボトルだが、ワインが減っていても、さらに空ビンでもちゃんと均衡を保つ。要はボトルが水平になっていれば大丈夫だ。
次は、ジャズのスタンダードナンバー “Tea For Two”ならぬ “Wine For Two”と名付けたものだ。すてきな女性と二人でワインを飲むときに、このようにしてテーブルに飾っておけば、相手もその気になってくれるかな!
と言う、くだらない発想だが、いまのところ、そんな相手に恵まれていないが残念である。
次は栓抜きである。最近はクラフトビールブームということもあり旅の思い出にビールの栓を持って帰る事が多い。溜まりに溜まったビールの王冠をあつめて埋め込んだ額を作ったこともあった。アメリカのDIYストアーで見つけた栓抜きのパーツを持ち帰り、作ったのが写真の栓抜きである。動物シリーズとしてワニ、亀、犬を描いた王冠を配してみた。雑談だが、王冠のコレクションには、たったひとつコツがある。
それは、栓を抜くときに、王冠を傷つけたり、曲げてしまわないよう、少しずつ、少しずつ、そっと抜いてゆくのだ。
最後は、我が家に仲間が集い祝杯をあげる。そんなときに役立つビール用の「おかもち」だ。写真のように普通の缶も500ml缶も、写真にはないが小瓶も入る。もう随分まえに作ったこともあり、未熟な作品だ。隙間を埋めたようなあともあり見苦しいが、とても便利に使っている。
このように自作の物に囲まれて酒を飲めば、自己満足に過ぎないが、なんとなく気分も良く、いつの間にか酔もすすむのである。
塀の話
犬を飼うことにしたのが、もう20年も前のことだ。それまでの生け垣では犬が逃げてしまうというので家のまわりじゅうに塀を作った。一間毎に穴を掘り、太い柱を立て根元はセメントで固めた。その柱に横桟を上下二本わたし、そこに縦の桟を狭い間隔で貼った。
あの頃は若かった。二百本以上の縦桟をあっという間に貼っていったものだ。
二十年も経てば、二匹いた犬も一匹は昨年末に亡くなった。一方、塀も経年変化で、桟は所々ボロボロになり、何本かの太い柱の根元は腐ってきた。考えてみれば、あの頃は作るのに夢中で、木材の防腐処理もしていなかった。
そこで仕方なく、この度一部の塀を新たに作った。これまでの経験に基づき、柱は「単管パイプ」と呼ばれている鉄製のパイプとした。これなら地中に埋めても腐ることはない。錆びることはあっても木材よりは、はるかに永く持つはずだ。横と縦の桟は造作前に防腐処理をした。
単管パイプを立てる箇所に細い深い穴を掘り、そこに水準器を見ながらパイプを垂直に叩き込む。横桟をわたし、縦桟をはっていくのは従来通りの方法だ。塀を貼ったところは傾斜地なので高さも三段に組んだ。庭石をまたぐところもあり、高さによっては単管パイプを専用のカッターで切った。これで、あと少なくとも二十年は保つだろう。
最近、このような仕事をしながら思うことは、何年もてば良いのかということだ。私も犬も、いつまでもつのか、知れたものではない。これほど頑丈にする必要はないものの、ウッドショックとも呼ばれるほど木材の値上がりが続いている。見栄えは感心しないが、鉄パイプの方がはるかに安価で済むのだ。調べると単管パイプには各種の接続器具や、専用の道具を売っている。これを使えば小さな小屋ぐらいなら単管パイプを使い、自分ひとりで建てられそうだ。
いい歳をして、あれもやりたい、これも作りたいと、興味は尽きることなく、よくばり爺の頭の中をグルグルと回るのである。
廃材利用の塀
我が家のリフォーム工事の途中にして、工務店がつぶれた。
あと、ほんの少しだったのに。新たな工務店を探すのも面倒だし、工務店としても、そんな中途半端な仕事を依頼されるのも面倒だろう、ということで残工事は仕方なく自分でやることに。
具体的には、新たに交換した窓サッシの内側と外側の木枠の造作と、工事のために取り外してある、照明器具や電気配線の復旧ぐらいだ。この程度ならできそうだ。
しかし、面倒なのは、余ったサイディング材や取り外した古いサッシの廃棄作業だ。これだけはどうにかしろ、と工務店に頼んだが、ナシのつぶてだ。
「捨てずに使う」、逆転の発想のもと、作ったのが写真の塀だ。
ドアは既成のものを使ったが、他の部材はほとんど廃材だ。以前から、なにかに使えそうだと思っていた古い廃材も含まれるので、よく見れば木の種類も色合いも違う。外から見られる場所ではないので、これで良しとする。
取り外した古いサッシは、木枠を外し、二重ガラスだけ取り外し、修理が必要な小屋の窓に使えそうだ。20年前に自分で組み立てた約10平米の小屋だが、窓はアクリル板なので、経年変化で白っぽく曇ってきている。このガラスにかえればきれいになる。窓のサイズが違うので、壁面の多少の工事が必要だ。窓枠も、新たに作らねばならない。まあ、いつになるかわからないが、ガラスなら腐ることもない。とりあえずはとっておくことに。
以前は、廃材などはまとめて車にいっぱい詰め込み、焼却場に持っていけば処理できたが、鎌倉市ではこの10月から、住民の個別持ち込みは受け付けなくなってしまった。家具などの大きなゴミは事前に予約して、回収を依頼すれば良いのだが、私のように腐りかけている廃材やDIYの結果出た大量のゴミを捨てる人はいないのかもしれない。これからは、そのあたりも気にしながら、私自信が廃材になるまではDIYを楽しむことに。
蘇ったガルーダ
今の家を建築中の頃だから、もう30年も前のことだ。家の近くの工務店の脇に、巨大な木彫パネルが雨ざらしになっていた。その黒っぽい荒削りな木彫は、そこを通るたびに気になり横目で見ていた。
あれを欲しい。値段にもよるが、直接頼み込んで譲ってもらおうかとも考えていたところ、妻の友達が、その工務店の社長の知り合いだということがわかった。
そこで、さっそく相談に乗ってもらい、工務店にその旨を伝えてもらった。
なんということだ。あの木彫パネルは邪魔なので、持っていってくれとのこと。しかも、ただで良いという。
聞くところによれば、近くに建築中の小さな店舗のシンボルとして、用意したものの、店に飾るには大きすぎて役立たずになってしまったという。
「すわ急げ」、ちょうど我が家に入っていた職人3名にお願いして重いパネルを運んでもらった。
高さ約2メートル、はば約1メートルの大きな物だ。不思議な形をしている。推測だが、同様のものがもう一枚あり、中心の主人公の右側にもう一人いたのか、つなぎ合わせると一体になるようにも見える。3人の男性の巨根がいきり立っているというセクシーな彫り物でもある。一体どこのものなのか、いつ頃のものなのか、わからないまま、とりあえずは我が家におさまった。
その後、2020年11月に山梨県北杜市の「アフリカン・アート・ミュージアム」に行ったときに、似たような木彫があるので、館長の伊藤満氏に、写真での鑑定をお願いした。
詳細はわからないが、この木彫は、インドネシアはスマトラ島の西にあるニアス島の物らしい。神話上の猛鳥「ガルーダの羽」を広げているのも当地の民族文化の特徴。彫られたのは1960年代と推測される、とのことだ。
インドネシアから遠い日本まで翔んで来た末に、雨ざらしになっていたガルーダは我が家で再び羽ばたいた。
以来、我が家のシンボル的な存在になっている。
工房整理台を作った。
久しぶりの木工だ。といっても、木工をするための木工で、整理台を作った。
我が軒下極小工房は様々な工具、木っ端、ジグ、ネジ釘類、様々な部品などで一人作業がやっとできるスペースしかない。以前は座って設計などするスペースがあったものの、徐々に雑物の置き場と化してしまった。
すこしは整理をせねばと、常々思っていた。そこで一大奮起して整理台を作った。材料は、全てありあわせの物なので、なんとなく色も違えば、木の種類も様々だ。
天板の上には、マイクロテーブルソーを置き、上の抽斗には様々な用途のテープ類を、下の抽斗には、スプールクランプを20個いれることにした。このクランプは本来弦楽器制作に使うものだが、箱物を作るときに便利なので使うことも多い。そして、最下段には電動丸ノコをケースごと収められる棚を配した。
恥を忍んで以前の状態(下の写真)を見ていただければ分るように、比較すればとても整頓された。
天板に乗せてあるマイクロテーブルソーは0.5ミリ単位での細かな仕事になくてはならない。以前、フォードウッディというクラシックカーの模型を作る時にワイパーやドアハンドル、ラジエターグリルなどはすべてこの道具で作った。
当時は、乗せている台座がいいかげんな物だったので、制作途中でわずかに揺れたりしたが、今回作った頑固な台でそのようなことはなくなった。
丸ノコも、ケースごと床に直置きしてあったので、躓(つまず)いたこともあったが、ここにうまく収まった。
こうなると、さっそく何かを作りたくなるものだ。作りたいもの、作らねばならない物、修理を必要としている物は山ほどあるが、焦らず、急がず、この熱暑がおさまったら徐々に楽しんで行こうと思っている。
柏槇(びゃくしん)
旅仲間と沼津に行った。当地の観光は三度目となるが、今回は足を伸ばして、海に突き出た大瀬崎(おせざき)にも行った。(この地名は、いままで「おおせざき」と読んでいたが、正しくは「おせざき」とのことだ。)
スキューバーダイビングのメッカらしい。小さな砂利に覆われたビーチには沢山のダイビング用ボンベが並び、ウエットスーツに身を固めた若者たちが闊歩している。我々ジジババグループは、そんな若者たちを横目に、トボトボと、半島の先端を目指す。
大瀬神社の鳥居横に立つ石碑には、「天然記念物柏槇樹林」と掘られていた。
柏槇と言えば、私の住む鎌倉では、建長寺の老柏槇が有名だ。
盆栽にも、這松(はいまつ)とならび、その不思議な樹形が魅力で、よく使われる木だ。
拝観料を払い、さらに、ほんの数メートル先からは柏槇が生い茂っている。とはいえ、杉や檜のように一斉に整列することはなく、その樹形は一本として同じものはない。
波立つような荒々しい表皮、老化して表皮が剥がれてしまった枝は白骨のように白く輝く。若く(と言っても数百年)荒々しい表皮と、白骨化した滑らかな木肌が織りなすコントラストが印象的だ。
中でも御神木と言われている巨大な柏槇は周囲七メートル、推定樹令千五百年以上とのことだ。
天高く広がる枝と葉は、熱暑の陽射も寄せ付けない。まるで悪魔の森にでも迷い込んだようだ。
すべての既成事実を否定し、直線までをも否定し、逆行し、ひねくり回り、這い回る姿を見ていると、ただただ毎日が無事であれば良い、と願う平凡な我が人生のつまらなささえ感じてしまう。
しばしの間、そんな余計なことまで考えさせられてしまう圧巻の柏槇樹林だった。
おまけの庇(ひさし)
木造、築30年の我が家、徐々に各所にガタが来ている。表側のウッドサイディングは風雨にさらされ、そりくりかえり、一部塗装した外壁はみっともなく汚れ、木製のサッシは枠の一部が腐りかけ、おまけに白蟻の被害も見つかった。今のうちに手を入れておけば、私がくたばるまでは保ってくれるだろうと、工務店に一連の修繕を依頼した。
初期見積もりで、その金額にびっくりしたものの、部材や工程など相談をかさね、なんとか双方で了解、工事に着手したのが6月初旬。
足場がかけられ、ペンキ屋、大工などが入る。工程ほぼ半ばまで来た頃に、ずうずうしくも、追加工事で庇を作ってもらうことにし、無理を言って「おまけ」としてもらった。
南向きデッキに面した、幅一間ぐらいの出入り口だが、いつもサンサンと照りつける太陽に、内側の床は痛み、雨が降りはじめるとあわてて、外にある履物を中に入れていた。
つけてもらった庇は、深さ90センチぐらいだが、なんとも有効だ。写真は南中時の様子だが、庇のお陰で、床面に近いところまで影となっている。雨がポツポツ降り出しても、風さえ強くなければ、出しっぱなしの履物も濡れることはない。ガラスの汚れも少なくなると思う。
現在は庇がない、または浅い庇の建築がほとんどだ。庇やトイは、設計者がカッコ悪くなると考えているのだろうか、ノッペラボーな外見の家が多くなっている。
昔の日本家屋には庇が多かったと思う。フランク・ロイド・ライトの設計では深い庇が、えも言われぬ雰囲気を醸し出している。それはそれなりに理由があったのだ。
新しくなったピカピカのウッドサイディングに「おまけの庇」。その有効性は高い。
<240825>
摩訶不思議
ゲームつきコースター
普段は気にならないが、何かのきっかけで妙に気になることがある。木工を趣味としているせいか、珍しい木工作品をみると、これはどうのような作り方をしたのだろうと思うことが多々ある。
写真は、以前にアメリカのどこかの土産屋で手に入れたゲームつきのコースターである。 手のようにも見えるが、なにかの花をデザインしたものかもしれない。葉っぱのような模様は焼付だと思う。
下半分、同心円状に切った溝の中には直径5ミリぐらいの金属製のベアリングが3つ入っている。その全てを、もっとも中心に近い円に集めれば成功だ。何度も遊んでみたが、成功したことは一度もない。
これから先は木工マニアのニッチな話になるが、悪しからず。
ある時、遊びながら急に、いったいこの溝はどうやって掘ったのだろうということが気になリ始めた。
というのは上から見る溝の巾よりベアリングの入っているところは太くなければならない。トリマーの替刃で、その様なものは売っている。しかし、最初は板の外から掘り始めねばならないので、どこかにその痕跡があるはずだ。溝を掘り終わったときも、どこからか板の外に出さねばならない。しかし、この板を、詳細に見ても、そのような痕跡は見当たらない。不思議だ。ずっと長い間気になっている。もしわかった人がいたら、是非教えてほしい。
この同心円状の溝、じつはゲームの他にも効用があった。この溝のおかげで、しめったコップを乗せても、くっつかない。とは言うものの、ゲームをしている間は、コップをテーブルに直に置くしかない。ということは、あまり実用的ではないかもしれないですね。
海の宝物
幼い頃、海のそばで育ち、初夏から毎日海に行き「海っ子」と言われた。今でも、海っぺりで、寄せては返す波を見ていると心が落ち着く。
「名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つーーー」(島崎藤村「椰子の実」)
浜には貝殻、サンゴ、ヒトデ、流木など沢山の宝物が流れ着いている。ガラスの破片を拾い集め、スタンドの傘などの飾り物にしている人も多いと聞く。
ビーチコマーという言葉があるほど、浜辺には多くの宝物が流れ着く。
国内でも海外でも、海に行くと、浜辺を散歩した記念に貝殻やサンゴや流木などを拾って持ち帰ることが多い。流木は持ち帰ったらしばらく真水につけて塩分を出してやる。サンゴやヒトデは漂白剤の入った水にしばらく漬けておけば、真っ白になる。
そんな海の宝物がいつのまにかダンボール箱いっぱいになってしまった。今となっては、何が、どこの海岸で拾ったものかはわからない。
長い間波にさらされ、流れ着いた流木はとても素敵だ。一つとして同じ形状のものはない。
そんな流木と、家に生えているシュロの皮をはいで、ちいさなホウキを作った(写真左)。流木の柄は素敵だが、シュロの皮を加工するのはなかなか難しかった。とても実用には適さないと思うが、飾りとしてキッチンの片隅にぶら下げている。
写真下の曲がりくねった太い流木は、そのうちにドアの取手にでも使おうと思っている。
海は思い出の宝庫だ。また、この夏もどこかの海で宝探しをしようと思っている。
ジャカランダの話
ギターの背板とサイドに使われる最高の木材だ。ブラジリアン・ローズウッドまたはハカランダとも言われ、現在はワシントン条約により、研究を目的とする以外は、伐採はもちろん、商業目的でも輸出入禁止となっている。しかし、過去に商品として加工され、すでに売買されているものは規制外らしい。
ワシントン条約には三段階の基準があり、その最も厳しい段階の木材は、このジャカランダとアレルセ(チリヒノキ)の2種類だけだ。
私の義兄は大学卒業後すぐブラジルにわたり、60年間も現地で暮らしている。この、義兄が2・3年ごとに来日し、約一ヶ月ぐらい我が家に逗留する。そんな彼が、土産に持ってきてくれたのが写真のジャカランダの製品だ。コースターは30年以上前に彼から頂いたものだ。たしか5枚ほどあったが、今は写真の2枚が残るだけとなってしまった。もう一つのものは、この容器の中にライムと砂糖をいれ、付属の棒で潰しながら混ぜ、絞った液をブラジルの酒「ピンガー」に入れて楽しむための道具だ。言ってみれば、日本のすり鉢のようなものだ。硬質なジャカランダでできているので叩くと石のような音がする。私は、これにクルミやナッツ類をいれて叩き潰し、サラダなどといっしょに頂いている。すり鉢ほど粉々にはならず、サラダのトッピングには丁度良い。
そう言えば、以前、某木工店の銀座ショールームでライブ演奏をしたことがある。そのときに壁に立てかけてあった長さ3メートル、幅1メートル以上はある分厚い巨大なジャカランダの板材は、その後どうなったのだろう。売買すれば億だろう。人ごとながら、木が好きな私としては気になるところです。
※ワシントン条約(絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)は、野生動植物の特定の種が過度に国際取引に利用されることのないようこれらの種を保護することを目的とした条約。1973年にアメリカのワシントンにおいて採択されたことから、ワシントン条約と呼ばれ、現在、約180カ国・地域が締約国になっています。
焚き火讃歌
木工をながいこと続けている。いろいろな物を作るのも楽しいが、もう一つの楽しみは、たまりにたまった木端の処理も兼ねた焚き火である。
現在の家を建てたときに出た大谷石の廃材をつかって、約半畳ほどの炉を組んだ。それから約30年。度々、焚き火をする。
揺らめく炎を見ていると、時が経つのも忘れる。そして何故か酒もうまくなるように感じる。ひとり、グラスを片手に焚き火を見ていると、諸々の考えが頭をよぎる。昔のことを思い出し、懐かしむこともあれば、すばらしいアイデアが浮かぶこともある。焚き火の楽しみ方にはいろいろあるが、やはり気の合った仲間と楽しむのが良い。
毎年、我が家の桜が満開になる頃に、親しい友を招いて焚き火を囲むのが恒例となった。日没時間に着火式だ。乾杯をし、杯を重ねるうちに夕闇はその濃さを増し、焚き火の炎はその色を濃くする。
薪の弾(はじ)ける音を伴奏にギターを爪弾く。楽しい夜桜ライブがはじまる。
もう一つの恒例は、大晦日の焚き火だ。大掃除も一段落した夕方になると、親しいご近所の家族が集まってくる。ダウンウエアーや毛布にくるまりながら、焚き火を囲む。燃え盛る炎は心身ともに暖かく包んでくれる。話に花が咲き、気がつけば除夜の鐘が聞こえる時分になっている。
つい先日も都内から数名の友が来た。食事をすませてから、盃を手に焚き火を囲んだ。なぜかしんみりと昔の話などしていると、時が経つのも忘れ、気がつけば夜も大分ふけていた。あわてて最終列車で帰宅していったが、後刻「焚き火は魔物だ」と言っていた。焚き火にかぎらず炭火も、暖炉も、自然の炎は心に染みる。
カトラリー
私も兄も木工を楽しむが、その傾向は全く違う。
私は作る楽しさ、作る過程が楽しい。大げさに言えば「無」から「有」への変転が面白い。出来映え、といえば恥ずかしながら満足できるのはせいぜい10回に1回だろう。作ってしまったら、また別のものへと心変わりする。
兄の場合は、とことん追求する。何につけ完璧を求める。最近、兄のホームページで紹介していたバターナイフが、その一例だ。試作品からはじめ、何度も作っては改良を重ねる。デザインはもちろん、素材から仕上げに至るまで、知恵と時間をかけて作り上げたモノは、(弟の私が言うのも妙だが、)実に美しい。詳しくは兄のホームページを見ていただければ分かると思う。 (文末に兄のホームページへのリンクボタンあり)
冒頭の写真は、恥ずかしながら、数年前に私が作ったカトラリーだ。とても実用の域には達していない。デザインも稚拙だ。まるでアフリカの原住民が作った土産物のようだ。
これでも、それなりに時間をかけて作った。スプーンの凹みやフォークの4本の尖った間の隙間などは、作ってみなければわからない手間がかかる。難しくなればなるほど、それをどの様にこなしていくか考えるのが面白い。当初は4セットぐらい作る予定だったが、この出来映えにガッカリ。計画は頓挫した。ここで兄ならば、何度も改良を重ね、最終的には漆で仕上げたりするのだろう。
同じ、木工とは言え、いろいろな楽しみ方があるが、最終的には自己満足がDIY冥利と言うものなのかもしれない。
シジュウカラの巣箱
また、来年
鳥の巣箱について、すこし振り返る。
2年前にワインの空き箱を利用して作った鳥の巣箱、ずっと空き家だったが、この5月初旬、黒い鳥が小さな穴から出てくるのに遭遇。嬉しかった。カメラを構え、待つこと数分、なんとか撮影に成功。ネットの鳥図鑑で調べたらシジュウカラだった。ここまでの経過は、このページで詳しく触れた。
その後、巣箱の中からは、チュンチュンと小鳥の鳴き声が聞こえていた。親鳥も頻繁に出入りしていた。しかし、最近は見かけなくなった。どうやら雛は成長し、巣立ったらしい。いったい何羽が巣立ったのか、なにもわからない。
雛が巣立った巣箱は、中をきれいに掃除してあげれば、来年も来る可能性が高いというので、おそるおそる屋根をはずして、中を覗いてみた。
私の下手な写真でわかりにくいが、巣はあたたかそうな布団のように、草や綿毛のようなものが緻密に重ねられ、とても居心地の良さそうなクッション状のものだ。懸念していた、ビニールや紐などの人工物は一切入っていなかった。
巣の中には、卵のかけらも、糞もなく、きれいなものだ。そう言えば、親鳥が餌をくわえて来て、しばらく巣箱の中にいて、出ていくときには何か別のものをくわえていた。きっと不要なものは巣箱から外に出していたに違いない。
この巣材をすべて出して、中を清潔に保っていれば、また来年も来てくれるだろう。ついでに、傷んだ箇所は修理してあげるつもりだ。我が家では、母屋も巣箱も修理中。
来年の春が、いまから楽しみだ。
ただいま改築中
流行りのリフォームではない。単純に傷んだところを治すだけだ。この家を建てて、気がつけば30年。木造住宅の耐用年数は30年前後とよく言われる。一般住宅には適用されないが、減価償却に使用される木造の法的耐用年数は22年と定められている。つまり、法的に見れば、我が家は、今やなんの値打ちもない、ということになる。
この家は娘二人と義理の母も含め5人家族を前提に間取りも決めて建てた。そのうちに娘たちはアメリカに行き、義理の母親は亡くなり、一時はこの家に夫婦ふたりで住んでいた。長女は大学卒業後帰国、結婚して川崎の方に住んでいたが、子供ができ、しばらくして、またこの家に住むことになった。二人目の子供も生まれ、さらに私の女房は介護施設に入った。そして、この家に住むのは、また5人に戻った。
その間、何度か建て増しや改築をした。人間で言えば、何度かの大きな手術をした様なものだ。気がつけば、私も爺になり、家もそれなりに年をとり、私の素人大工では叶わなくなった。そこで、ギクシャクしている箇所を修理すべく工務店に頼んだ。
久しぶりに本物の大工さんが入り、まず風雨にさらされ反ってしまったサイディングを剥がし、その上に新たなサイディングを施工すべく、その下地ができたところだ。(写真)
興味があるので、大工さんの使っている道具類を見る。私の使っている工具と大差ないが。大きな差は2つ。一つは充電式電動丸鋸だ。充電式があるのは知っていたが、役に立つのかどうか、私はすこし疑問視していた。しかし、本職も使うようになったのだ。もう一つはエアーコンプレッサーだ。これは以前から欲しいと思っている。スコーン、スコーンと自動釘打ち機の音が響いている。
このあと、裏側の外壁の塗装、傷んだサッシ類の交換などの工事が続く。梅雨入り前には化粧直しは終わる予定だ。
小ぶりのティシュ
昔ちり紙、今ティシュー。
私はティシューのヘビーユーザーだ。我が家にはキッチン、食卓の上、デスクの上、寝室、洗面所など、いつも手の届くところにティッシュボックスがある。外出のときはポケットティシュをいつも携帯する。特に花粉の季節は手放せない。
先日、ドラッグストアにティシュボックスを買いに行ったところ、普通のティッシュボックスより、すこし小ぶりのティシュがあるのに気がついた。早速購入。一枚の大きさも少し小さめだが、鼻をかんだりするのには特に支障はない。メガネを拭くのにも良い大きさだ。欠点は箱に入っていないことだ。枚数が少なくなってくると包んであるビニール袋がだらしなく、ひしゃげてくる。そこで、この大きさのティシュ用にケースを作った。
材料はありあわせの檜、四方はあられ組とし、天板は幅の広い板がなかったので2枚ハギとし、契(ちぎり)を入れた。天板は中のティシュが少なくなるとともに、板の重さで沈み込んでゆくようにした。
話はそれるが、このティシュは安価だ。ケチな年金爺は、アマゾンで売っている値段を参考に普通のティシュと比べてみた。ティシュ二枚重ねの一組(というか一枚)の値段は、普通のティシュが1.7円、この小ぶりのティシュは、なんと0.4円だ。紙の品質が違うのか、それほど差があるとは思えない。あとは箱がないこととブランド品ではないだけで、これほど違うとはビックリである。
昨年で木工作品の展示会は終了したが、いつもなら今頃の季節は、間近に迫った展示会に向けて極小工房で熱闘している頃だ。最近はめっきり工房に入っている時間も少なくなっている。怠け癖がつき、人目につかないものは、その制作もいい加減になってきている。
今回は、自分のためとは言え、久しぶりに丁寧な細工をしてみた。出来てみれば、時間をかけて作ったものは、それなりに良い物ができたと、一人、悦に入っている。
シジュウカラ
なにかに使えそうだと、とっておいたワインの空き箱で巣箱を作ったのは、もう2年も前のことだ。ヤマボウシの木にくくりつけていたものの、長い間、訪れる鳥はいなかった。そして、この5月になったある日、偶然に巣箱からでてくる鳥を見かけた。小さな巣穴にあっという間に入ってしまい、しばらくすると、一瞬穴の口に小さな鳥の頭が見え、次の瞬間には目にも止まらぬ速さで飛んで行ってしまう。なにはともあれ、自分の作った巣箱に鳥がいるとは、なんとも嬉しいことだ。
ところで、この巣箱に住みついたのは、何という鳥だろ?
その正体を知るべく、撮影することに。久しぶりに三脚を持ち出し、古いデジカメに望遠レンズを付けて待ち構える。手はシャッターにおいたままだ。徐々に伸ばした手がかったるくなってくる頃、やっと戻って来た鳥は、巣箱の中にあっという間に入ってしまったので機会を逸した。それなら、出てくるところを撮るべく、頃合いを見てむやみにシャッターを切り続けた。およそ二十回ぐらい押したところで、巣穴から出てくるところを撮ることができた。(冒頭の写真)
黒い頭、横には真っ白な模様がある。ネットの鳥図鑑で調べたらシジュウカラだった。そこで思い出した。巣箱を作るときにシジュウカラ用のサイズの穴にしたことを。
穴のサイズは鳥によってミリ単位で異なる。このシジュウカラ用は27ミリ、スズメは30ミリ、ムクドリは50ミリとのこと。
この巣箱、作ったときの新品の写真(→)では、煙突状のものが見えるが、この中に蝶ネジがあり、屋根を外せるようになっている。ヒナがかえり、巣立ったあとは巣箱の中を掃除してやらないと、来年は戻ってこないというので、この仕掛けを作った。蝶ネジが見えるのはカッコわるいとつけた煙突は、いつの間にか何処かに行ってしまったらしい。
5月中にはヒナがかえり、また空き家になるらしい。来年の楽しみが増えた。ほかの鳥用に新しい巣箱も作ってみようと思っている。
※動画を私のFace Bookに掲載しています。https://www.facebook.com/nihei.inoo/
幻の縄文杉
映画と旅は、あとをひく。映画を見ると本編の前の何本かの予告編を見て、また足を運ぶことが多い。旅に行くと、またすぐにでも何処かに行きたくなる。
3月にカンボジアのアンコール・ワットに行ったのに、また旅に出たくなった。世界遺産続きで屋久島に行きたい。ずっと長い間、あの屋久杉の御神木は一度行かねばと思っていた。
屋久島に生えている杉の中でも樹齢千年をこえなければ屋久杉とは言わない。普通の杉の寿命は五百年前後だが、屋久島には千年を超えるものが沢山あるという。それは年輪の密度を見れば明らかだ。
有名な縄文杉は標高1280mの山奥にある。樹高25.3m、周囲16.4m、推定樹齢は2170年とも言われている。この縄文杉を見るためには山道を約9時間、22キロのトレッキングとなる。その上、日本一雨量の多い島だ。歩くことは、それなりに自信を持っているが、雨の中のトレッキングは御免被りたい。
具体的に、大手旅行会社のツアーを調べてみた。そこで愕然とした。すべてのツアー参加には年齢制限があるのだ。大手H社は69歳、一番ゆるいのはK社だが、それでも75歳までとなっている。
話はそれるが、フォレスト・アドベンチャーというリクリエーションが箱根をはじめ何箇所もある。森林の間をロープ一本に支えられて、高く宙に浮いた危なげな吊り橋を渡ったり、滑車にぶら下がり滑り降りたりする遊びだ。結構な体力ゲームだ。私は子供や孫たちと楽しんだこともあるが、参加した後で70歳以下という年齢制限があるということを知った。
どうやら、屋久杉の縄文杉を見ることは叶いそうもない。しかし千年を超える屋久杉を見るだけなら、高齢でも参加できるツアーがあるらしい。
さて、どうするか。御神木は見られないものの、他では見られない巨木は見てみたいと思うのだがーー。目下、計画は頓挫中。
世界一のマッチ
このご時世、マッチを見ることは、ほとんどなくなった。細い木の軸に発火剤がついたマッチ、いまでも生産されている。その殆どが兵庫県産というのも面白い。その後、木の軸のかわりに、紙マッチが主流になった。タバコがどこでも吸える時代は、どんなレストランにもバーにもテーブルの上には灰皿、そして店名入りのマッチが置いてあった。
その後、簡易ライター(「チャッカマン」という名称もなつかしい)の普及と禁煙が進み、徐々にマッチも見なくなったように思う。
以前は、どこの家庭にもあったマッチ。毎朝仏壇の蝋燭に着火するのは、もちろんマッチだった。現在私が仏壇に向かうときに使うのはガズライターだが、未だにマッチの燃えカスをすてる容器はとってある。
伊丹十三のエッセイ『女たちよ!』に、彼が愛用しているマッチは世界一で、ベンラインという航路で使っているマッチであると載っている。
ベンラインとは、150年くらい前に設立されたスコットランドの船会社で、ヨーロッパと極東間の航路を持っていたが、現在は船もマッチも存在しないとのこと。
伊丹十三の云う世界一のマッチの条件とは、擦った時、においがしないこと、そして、頭が落ちないとのこと。
つい先日、久しぶりに赤坂の蕎麦や「砂場」に行った。ガラリ戸を開けて、店内に入った所に店名入りの箱マッチが置かれていた。懐かしさにひとつ頂いて持ち帰り、さっそく擦ってみた。かすかな匂いはしたが、頭は落ちなかった。今となってはマッチ棒で遊ぶパズルゲームもなつかしい。
爪楊枝を考える
夏になれば美味しいトウモロコシを炭火で焼いてかぶりつく、なんともジューシーで美味しいのだが、歯の間に繊維や皮が絡みつき、爪楊枝なしには解決しない。
私はこの年齢にしては歯が丈夫だ。一本を除いてあとはすべて自分の歯だ。しかし、いつ頃からか食事の後にはお茶をすすりながら、爪楊枝が欠かせなくなった。
「妻楊枝」とも書くがこれは当て字だろう。和菓子などに添えられる上等の楊枝は「クロモジ」の木から作られるので「黒文字」とも書く。他、「小楊枝」や単に「楊枝」とも言われる。
一般家庭や食堂においてある、いわゆる普通の楊枝は何の木から作られるのだろう。調べてみたら白樺の木だそうだ。現在流通している楊枝はほとんどが中国製だが、国内でも僅か二社が製造し、北海道の白樺を使っているとのこと。
爪楊枝を人前で、どうどうと使うのは、マナー違反と言われる。とくにご婦人方には嫌われそうだ。
ランチ時、偉そうなサラリーマンがレストランから爪楊枝をくわえながら出てくるのを見かけるが、なんともみっともない。
小さな携帯用の楊枝入れを作ってみようと思い、さてどのようなものにするかヒントをネットで探した。すると、とても洒落た木製の容器(写真)が見つかった。これがなんと2個セットで僅か600円。自分で作るのが馬鹿らしくなり、さっそく購入。
先日の海外旅行ではとても役に立った。これなら、素敵なレストランでも、食事の後トイレに潜んでシーハーシーハーできる。今後、旅には欠かせないアイテムになりそうだ。
蛇足だが、イタリアでは「samurai」と呼ばれる日本製の爪楊枝が普及しているとのことだ。
アンコール遺跡見学報告
カンボジア「アンコール遺跡」に孫と旅立った。世界三大仏教遺跡カンボジア「アンコール・ワット」を中心に三日間、毎日遺跡の見学をした。密林の中に多くの遺跡が点在する。言うまでもなく世界遺産「アンコール・ワット」は広大な寺院である。建物の殆どは砂岩を正確に組み上げて作られている。1片が600米もある回廊一面に施されたカンボジアの歴史を語る彫刻はまさに絵巻物のようだ。
内部の中心の尖塔と4隅の尖塔には立体的な仏像が彫り込まれ、一体となって天に向けそそり立つ。もともとは金箔と朱に塗り込められていたというが、現在は酸性雨にさらされて黒く変色している。そのくすみ具合がかえって荘厳さを醸し出している。
他にもいろいろな遺跡を見たが、木楽人にとっての圧巻は「タ・プローム寺院」だ。
12世紀に建てられ、増築が幾度も重なり、中はまるで迷路のようだ。この遺跡は写真のように、巨大に成長した木の根に押しつぶされながらも、かろうじて寺院の体裁を保っている。まるでタコに囚われた魚のように、寺院はいつの日か飲み込まれてしまいそうだ。
しかし、植物にも寿命はある。このような状態をあと何年間見ることができるのだろう。
まだ、発見されていない遺跡は多くあるらしいが、密林の中には未だ内戦時代の地雷が点在し、なかなか調査は進まないという。
アンコル遺跡の広大な敷地内にはトイレがない。昼間の気温は36度に達する。汗は止めどもなく吹きでる。そのせいだろうか、尿意も感じない。
永年、夢に見たアンコール遺跡の見学が、やっと実現した。
ホテルに戻り、熱帯夜の中、プールサイドで飲む冷たいビールが疲れを癒やしてくれた。
(240324)
「飾りまな板」
いつも何かを作っていたい。我が極小工房に、しばらくの間入らないと、妙に何かを作っていたい、という中毒的な症状がでる。
北向きの工房には暖房もない。冬の間はモコモコに着込んで、寒いのを覚悟して入る。
工房には、作りかけのものもあるし、片付けも、掃除もしなければと、やることは沢山残っているのに、なんでも良いから新しいものを作りたくなる。木工禁断症状である。
そんな中毒を慰めるべく、ありものだけで作ったのが写真の作品だ。材料は、先日小屋のドアを作ったときに余った日本杉の木端と、ギター製作を諦めて放っておいたジャカランダだ。
これは何なのだろう? あえて言えば、「飾りまな板」とでもしておこう。白い部分は日本杉の木口なので硬くはない。よって、本来のまな板には使えそうもない。酒のつまみにチーズや生ハムなど乗せる盆にでも使ったら良いかもしれない。
ただ、木端の木組みで模様を描いてみたかっただけである。
今回は、ちゃんと設計図も描いた。(設計図の上をクリックすれば大きな設計図が見られます)。一回り大きめに作り、図の赤い線で最終的にカットすれば出来上がりだ。
設計図を手に、厳寒工房に入り、黙々と材料をカットする。
薄く挽いたジャカランダで杉材をサンドイッチ状にボンドで貼り付ける。それを厚さ2センチのブロックにカット、計40個のブロックを作る。隙間に入れる12ミリ四方の小さなブロックも作る。それらを貼り合わせ、最後に周りをカット、オイルを塗って出来上がり。今回は初めて、アメリカのカッティングボード専用ミネラルオイルを使用した。このオイル、食べ物に、害がないとの説明書きがある。
オイルを塗った途端に、真っ白な杉の木口が素敵な濃い色に変わった。
仕上げたボードを改めて見る。幅が広い杉の年輪が描く模様が面白い。
取りえず自己満足。木工禁断症状も少しはおさまったようだ。
雛人形
もう何年前になるだろう。簡単な細工の雛人形を作った。材料はホワイトウッド(SPF)。男雛女雛の絵柄は油性のサインペンで描いたが、にじみが出て、とても下手な作品だ。だけど、ちょっと手で触れるとコロコロと横に揺れるのが可愛い。
そして、翌年だったと思うが、背屏風と台座を作った。屏風は桧の集成材、台座はベニヤで作り、畳をイメージして緑色の紙を貼り、まわり縁にはパソコンで我が家の家紋(七曜の紋)を配した模様を印刷して貼った。
今年も玄関に飾った。下手なりにも、ちょっと愛らしく、気に入っている。
1月は正月飾り、2月は節分の鬼の人形を、そして今月は雛人形、5月には鯉のぼり、すべて自作の木工作品を玄関に飾る。
あとは五節句で抜けている七夕と重陽(9/9)の飾り物を作らねば、と思っているが、笹と星、菊の花を木工でどう表現したら良いのか、名案が浮かばない。
そして年末に作る予定にしている、来年の干支「蛇」。これも難しそうだ。
いつまで経っても技は進歩せず、いかにも素人、という駄作しかできないが、それでも「俺んち」だから、それで良いのだと、わけの分からぬ理屈をこねる。我が家の玄関は楽しい陳列棚なのだ。
感激の大テーブル
猪苗代、鬼怒川と旅をした。二泊目の「東急ハーベストクラブ鬼怒川」に到着し、館内に入った途端、目に入ってきたのは素晴らしいテーブルの数々。ホテルの受付も同様の巨大な木のカウンターだった。
中でもオーナーズラウンジに置かれた大テーブル(写真)は圧巻である。
さっそく、いつも持ち歩いている小さなメジャーで測ったら、長さ360センチ、厚さは約4センチ、幅は広いところで110センチもある。しかも一枚の板を二枚に挽き、本を開くよう左右対象になる張り合わせ、いわゆるブックマッチという手法で作ってある。
ブックマッチのテーブルには、二枚の板をつなぐ契(ちぎり)を入れることが多いが、このテーブルには一切の小細工はされていない。
素敵な艶のある木は何だろう、翌朝コンシェルジュに聞いたところクルミとのこと。
彼いわく、当初の計画では当地の日光杉の予定だったが、色彩が白すぎるということで、クルミ材に変更したらしい。
更に、どこの木ですか、と聞くと、それは分からないとのこと。
クルミといえばウオールナットだが、私が見慣れたウオールナットとは違う。帰宅後に調べたら、家具によく使われるウオールナットは主に北米産のブラックウォールナットのことで、今回見たクルミ材は、どうやら中国ほかアジア産らしい。すこし赤みを帯びた表情がとても暖かく感じた。
今回の旅は、温泉につかりながらの雪見酒を楽しむ、という不埒(ふらち)な発想であったが、初夏のような温かさで雪はまばらに残っているだけだった。
それでも、喜多方ラーメンをすすり、偶然立ち寄ったイタリアンレストランもとても美味しかった。
毎夜、大酒を飲み、ババ抜きに笑いこけ、とても印象深い楽しい旅となった。
ドア制作記
2009年に庭の片隅に約三坪のキットハウスを組み立てた。小さな小屋だが、けっこう使い勝手がよく、ある時はゲストハウスとして、そして最近は音楽スタジオとして使っている。
数年前の台風で被害を受け、屋根を葺き替えたり、西側の外壁も全て張り替えた。
最近ドアの下の部分が腐ってくるのが気になっていたが、とうとう、ドア本体のパネルが外れてしまった。こうなってしまうと修理ではなくドア交換をしなくてはならない。例によってネットで探し、既成のドアを購入しようと思ったが、サイズのあうものが見つからない。さらに値段が法外に高い。それならばと、久しぶりに本気でドアを制作した。
まず、古いドアを外してみたら、その周辺部分が相当に傷んでいるので、まず部分的に補修。ドアが入る枠組みも新設した。
窓はアクリルにしようと思ったが、値段を比較したらガラスの方が安価なので、ネットで注文。ちょっとおしゃれなフレームも入れてみた。
ドアを作る度に面倒なのがドアノブと蝶番だ。ドアノブは電動ドリルで垂直に深い穴を開ける。完全に垂直になっていないと後での調整は難しい。蝶番を固定する所は蝶番の板の厚さ、今回は2.5ミリの深さに彫り込む。トリマーで大まかに掘ってからノミで仕上げる。蝶番もドアノブも正確さが求められるので、小さな仕事だが時間がかかる。
さあ、いよいよ吊り込みだ。ここで、またもや難題が発覚。
15年も経つので、いつの間にか躯体全体がほんの少し歪んでしまったのか、ドアを吊り込む枠が僅かだが直角でない。仕方なくドア自体をカンナと電動ヤスリで加工。最後に戸あたりと錠受けの工作をする。毎日3,4時間の作業で、実働一週間以上もかかって、やっと完成。
下の写真は15年前の年新築当時と、ドアを交換した今回の写真だ。小屋も私も、肌のツヤがなくなり、一緒に年を重ねているのだな〜と、実感。
(240209)
コーヒーが好きだ
毎朝5時半前後に起床、まず血圧測定、今朝も高いぞ。測り終えて記録をとってから、前日の日記をつける。三食の内容などを思い出しながら記す事でボケ防止も兼ねている。六時前後に石油ストーブに火をつけたら早朝散歩にスタートだ。散歩のお供は骨伝導のイヤホンで聞くラジオ。小一時間後に帰宅。まず薬缶に水を満たしてストーブの上に置く。そして朝食の支度。
湯が湧いたのを確認してから、ガリガリとコーヒー豆を挽く。爽やかな香りがキッチン中に漂う。コーヒー茶碗にお湯を入れて温めてから、湯をコーヒーケトルに移し、ペーパーフィルターでゆっくりと、少しずつ湯を落としてゆく。最初はコーヒー粉からブクブクと泡が出てくる。そして更に湯を継ぎ足してゆく。ちょっと緊張するこの時間、「二平流コーヒーお点前」が好きだ。
どういうわけか、理由は定かでないが、朝の一杯は温めたミルクを入れて飲む。昼間に飲むコーヒーはいつもブラックだ。
余談だが、以前ジャマイカのコーヒー農園で取材したとき、原産の旨いブルーマウンテンコーヒーを飲みたいと所望したところ、「旨い豆はニューヨークと東京に輸出する」、とのことだった。
日本で世界中の旨いコーヒー豆が手に入るのは嬉しいことだ。
コーヒーの入れ方は様々だ。コットンの袋で濾す、サイフォン式、ペーパーフィルター、そして最近は陶器や金属で出来た専用の濾し器など色々あるが、私のようにペーパーフィルターを使っている人が多いようだ。
そこで役立つのが自作のフィルターケース(写真)である。材料は古材屋で手に入れた屋久杉だ。多分、日本間の天井板として使われていたものだろう。この波打つような木目がとても気に入っている。
朝、美味しい一杯のコーヒーを味わいながら色々と考えるのは楽しいひとときだ。
最近はカプセル型の電動マシーンで入れるコーヒーが家庭にも普及しつつあるが、ポトポトとフィルターにお湯を落とすひと時が、わたしは好きだ。
(240202)
スパイスケース
私の朝食のメニューは大きなサラダ、半熟卵、コーヒー、トマトジュース、ヨーグルトとフルーツが定番だ。一年の300日はこのメニューだ。ランチは麺類かカレーが多い。
問題は晩飯だ。喰い意地がはっている爺一人の晩飯だ。手を抜かずにせいぜい旨いものを喰いたい。
一人料理を始めて十年は経つというのに、未だレシピに頼ることが多い。凝った料理を作ろうと思うと、レシピにそって買い物をする。そんなときに買い求めたスパイスが徐々に増えてきた。そこで、スパイスを整理するべくケースを作った。
同じメーカーの同じサイズのスパイスだけでも、ひと目で分かるようにしたい。無精をして、ありあわせの桧の板を使った。
設計もせず、いきなりノコでカットし、ヤスリで削って、接着して、あっという間に出来上がったものの、「こうすればよかった」、「もう少しここを工夫すればよかった」と、手抜き工作の極みだ。
桧の色も、なんとなく白けていて、スパイスを入れてみるものの、あまり美味そうに見えない。そこで傍にあったオーク色のオイルステンをかけたら、ご覧の通り、山小屋みたいなイメージになってしまった。まあいいか、といつものアバウトな出来である。
こんな小さな箱でも、今後はちゃんと設計をしてからやりましょう、と反省するのみである。
まあ、それはさておいて、ひとり飯でこまるのは買い物である。何を買っても多すぎる。ケチな自分としては、なんとか使い切りたいと冒険的な料理もすることもある。また、料理番組などを見ても一人料理はめったにない。一人住まいの方も大勢いるのに、と思ってしまう。食い意地張った爺の嘆きである。
焚き火の宴
そのきっかけは、昨年の夏、鎌倉芸術館で開催した「最後の木楽展」だった。 友人、先輩、音楽仲間など多くの方々がおみえになった。そんな中に、私が現役の頃のスタッフの女性二人と、別の日に一人の女性が来場。お互いの近況など話していたら、現在は三人とも湘南に住んでいることが判明。三人とも以前は都内に住んでいたのは知っていたが、まさかこれほど近くにいたとはびっくり。
近所にいるのなら、一度みんなで会おうということになり、この度やっと実現。
拙宅に夕方に集合し、まず再会を期して乾杯。
外を見れば、相模湾は夕陽に赤く染まり、富士山、伊豆半島は徐々にシルエットとなる。
さあ、飯時(めしどき)だ。例によって、愛用のロッジ製のBBQコンロに炭火を起こす。ご持参のポトフを温めたり、焼き芋を焼いたり、デザートのアップルパイも炭火で温めて美味しくいただいた。
夕方まで吹いていた風もだんだん収まったところで、いよいよ焚き火に着火。燃やすのは剪定した木々に混ざって、木工で出た大量の木っ端だ。見れば、製作途中で失敗したおもちゃもある。寸法を間違えて切ってしまった銘木もある。一瞬の一人別世界、木工の思い出にふける。失敗も間違いも赤い炎に包まれて灰となってゆく。
みな暖かなコートに身を包んではいるものの、靴下を履いた足の裏を焚き火に向けて温まっている。足湯ならぬ足火だ。
焚き火は心も体も温めてくれる。
飽きることなく焚き火を囲み、のんびりと時間が流れる。
気がつけば、けっこう遅い時間になっていた。
夕陽でスタート、炭火で旨い料理を味わい、焚き火であたたまる、久々の拙宅でのフルコースとなった。
(240121)