鎌倉山生活雑記


戦前の「時の日」ポスター
戦前の「時の日」ポスター

「時」を考える

私の体内時計

 

6/10は時の記念日。

時は刻々と流れる。いつの間にか時間は経ち、日々は巡り、歳を重ねるのは、やむを得ないこと。そんな「時」を大事にしない輩が多い。約束時間を守らない奴、無駄に時間を浪費する人、時の流れに追いつけない人等など。

時の管理は容易ではないが、歳を取ると不思議なことに「体内時計」という素晴らしい機能が充実してくるように思う。

私は、旅先など特別な場合を除いて目覚ましをかけたことがない。朝四時半前後に自然と目が覚める。すぐに散歩して、シャワーを浴びて、食事して、デスクに向かう。腹が減ったな、と思い時計を見ると、きっかり1130。昼飯を作り、食べたら午睡。正確に30分で目が覚める。夕方、「あ〜酒のみたいな」、と時計をみると、正確に夕方6時だ。そして晩酌しながらテレビのニュースを見る。7時になるとメシを作り出し、7時半から食事。

また、酒を飲む。私の大好きな日本酒は「而今(じこん)」という銘柄の酒だ。この名前が良い。

而今とは、「過去への後悔や未来への不安にとらわれず、今、この瞬間をただ精一杯生きる」という意味を持つ禅の言葉だ

酒を飲みながら、今日一日を振り返る。少し眠気が忍び寄るが、とりあえずメシの後片付けだけはして、9時頃には床にはいり本を読み出す。面白い本は眠気を我慢して読む。つまらない本は、知らぬ間に熟睡している。

私の体内時計は、電池を入れなくても、ゼンマイを巻かなくても、正確に「時」を刻む。私の「時」が止まるまで。

 

蛇足だが、山岡荘八著「徳川家康」第16巻に、太閤豊臣秀吉の葬儀に参列した石田三成が、太閤の過ごした「時」について思う場面がある。好きな文章なので、少し長くなるが原文を以下に紹介する。

『「時――」それは何という奇妙なふしぎであろうか。いつのころ、誰がいったいこの「時――」を流しだしたのか・・・? とにかく、時は、きわめ得ない永遠の過去から、永遠の未来に向かって刻一刻と一瞬の懈怠(けたい)もなく流れている。<中略>

「今――」といった瞬間に「今――」はすでに流れ、明日は、明日になってみれば、すでに「今――」と変形してしまっている。』

 


与論島 

悩ましき2次元コードの旅

 

5月は妙に忙しく、ライブを5本もこなした。6月は娘が夏休みに家族で帰国し、後半にはライブが3本控えている。このままズルズルと過ごすと、貧乏性の私は、また心急(こころせ)わしくなりそうだ。いま、この時に、なにか気分転換と、以前から興味のあった与論島に一人旅立った。

島の様子など細かなことは別にして、この老獪の一人旅は、なにかとむずかしいことが判明。何をやるにもスマホが中心になる。航空券も、ホテルに付いたら食事の予約も、なにもかもスマホの二次元コードを提示する。

航空券はPCで予約したが、それをスマホに移行し、さらに2次元コードを読み込む方法が分からない。旅立つ前日、半日かけても分からず、空港に行けばどうにかなると決行。

出発当日、早朝はバスがない、しかたなくリュックを背負って20分ほど歩いて湘南モノレールの駅までたどり着く。何度か電車を乗り換えてやっと羽田空港へ。航空会社のスタッフをつかまえて2次元コードの云々を相談する。指示された別のカウンターに行き事情を話し、やっと2次元コードをプリントアウトしてくれた。老獪爺はやっぱり紙がいいのだ。 

鹿児島経由でなんとか雨の与論島に到着。ホテルにチェックインのときにディナーの予約はスマホでしてくれとのこと。また、これだ! 仕方なく自室であれやこれやいじくって、時間はかかったがなんとか予約は出来たようだ。

 <できたようだーー>と、なんとなく確信が持てないのも爺たる所以である。

きっと、このような作業は、若者たちにとっては日常のことなのだろうが、あの小さな画面で、ごつい指で作業する。ミスタッチも多い。目をこすりながらの作業はつらい。

慣れれば、とても便利、しかも間違いなく事は運ぶのだろうが、なんとなくスマホに頼りすぎているご時世を思う。

プリントされた紙面は証拠にもなるが、何かの不都合でスマホが作動しない時、彼らはどう対応しているのだろう。生活は急速に変化している、取り残されないよう頑張るしかないのだろうか。

まあ、いろいろ苦労したが、帰路は無事に2次元コードをなんとかゲット。空港もスイスイ、乗り継ぎもスイスイ。慣れてしまえば便利この上ない。それにしても、航空会社のカウンターなどで、まったく会話がなくなったのは、ちょっと淋しいね。

 老獪爺に悩ましきは二次元コードの旅となった次第である。

 

最後に、与論島は海も自然もとても綺麗なれど、素晴らしかったのは、そこに住む人達だ。商店の店員さんもタクシーの運転手さんも、ホテルのスタッフも、みんなとても和やかで優しくて、とっても人間らしさを感じた。やっぱり人間同士の触れ合いは大事にしたいですね。

 


雀がいなくなる日

 

早朝散歩はラジオを聞きながら。そんなある日、NHKで投稿者の便りを紹介していた。

「今朝、久しぶりに雀の鳴き声を聞きました。うれしかった」とのこと。そしてNHKのアナウンサーは、

「そういえば最近雀を見ることがすくなくなりましたねーー」とフォロー。

私は、驚いた。都会には雀がいなくなったのか。雀なんてどこにでもいる鳥ではないのか、と思っていた。

NHKは渋谷にある。他の民放キー局5局はすべて港区にある。都会で暮らす人達は、このやり取りを聞いても、さして問題意識はないのだろうか。

 

愛鳥関連に詳しいサントリーのホームページによると、

<都内のスズメが減っている主な原因は、住宅の気密化による巣穴の喪失と、エサとなる虫の減少です。>と、書いてあった。

たしかに最近の住宅は機密性に富んでいる。灼熱の太陽、冬の寒さも、家の中はエアコンのお陰で快適に暮らせる。

以前、私の家に都会ぐらしの御婦人が来たときに、あけていた窓からの海風に、

「家の中でも風が吹いている」と、驚いていた。

私から言わせれば、(何を言ってんの!)と思ったが、そこはグッと抑えたものだ。

 

ここ鎌倉山は早朝からいろいろな鳥のさえずりが聞こえる。散歩をしていても雀、ウグイス、ガビチョウ、シジュウカラなどの囁きが途切れることはない。ヨチヨチ歩くコジュケイの家族連れは、ほとんど毎朝みかける。

とはいえ、ここ鎌倉でも開発が進みつつある。大きな新築の家も多い。当然ながら気密性も高いのだろう。

地域エゴと言われようと、この辺りでは、そろそろ大規模開発は何かの枠組みを掛けるときではないのだろうか、と思ってしまう。

たかが雀とはいえ、あのチュンチュンという囀(さえず)りが聞こえない日が来る前に。

 


自動車税の不思議

 

もう20年以上も前、箱根の、とある温泉の駐車場で、なんとも素敵な自動車を見かけた。小さい車だが、どことなくポルシェ・ボクスターを彷彿とさせる2シーターのオープンカーだ。チャーミングなその姿に一目惚れ。車の前後を見たが、メーカーの名前はどこにも書いてない。どこの国の車だろう。ただリアにMR-Sと記載されているだけだ。

帰宅して、パソコンで「MR-S」と検索すると、なんてことはない、日本製だ。トヨタの車だが量産はされていないとのこと。

現役の頃だから、多少懐に余裕があったのだろう。すぐに、近くのトヨタ販売店に問い合わせてみた。そして数日後に試乗。即座に契約書にサインして購入してしまった。

嬉しかった。初めてのフロアーシフトのスポーツカー。初めてのオープンカー。そして初めてのミッドシップエンジン車(※)。

以来、贅沢な話だが趣味の車として愛用している。

 

問題は十年以上経ったころから気がついた。もう一台のワーゲン・POLOとくらべ妙に税金が高くなっている。ちなみに今年の税金は45,400円にもなった。ワーゲン・POLOMR-Sとくらべ排気量も多いし、ガソリンはハイオクなのに税金は25,000円だ。

調べてみると、古い車は環境への負荷が大きくなっている、つまり環境問題という名目で税金が高額になっている。なんだか「名目」に過ぎず、なんとなく、日本の自動車業界の意向もあるのではと感じてしまう。

キューバのように、古い車ばかりでは新車は売れない。できれば、どんどん新車を買ってほしい。そんな邪推もしてしまう。

もう20年以上も使っている車、当然ながら資産価値は激減しているはずだ。中古車で売れば二束三文(ふるい言葉だね)だ。家屋と同様に、資産価値が減れば税金も減額されるのが自然だと思うのだが。

そうは言っても、お国の決めたこと。苦言を呈しても、どうもならないのだ。

私のような爺にして、オープンカーもないだろう。いつの間にか年金も減っている。そろそろ手放そうか、と思うものの、5月の天気の良い日にこの車で出かけると、なんとも気持ちの良いものだ。

前進6段ギアは、高速道路以外でトップまで入れることは、なかなかない。それでもシフトで調整しながら、下り坂でエンジンブレーキをかけたり、シフトダウンしてアクセルを踏み込む加速は、気持ちの良いものだ。

 

大事に乗ってくれる人がいれば譲ってもいいのだがーー。

売却か、維持するか、年金爺の悩みはつきない。

 

※ミッドシップエンジン

リアエンジン、フロントエンジンとくらべ、前輪と後輪の間にエンジンが搭載されている。座席のすぐ後ろにエンジンがある。

  


 

母の日に思う

 

5/10は母の日だ。多少日付は違うものの「母の日」は世界中にある。母の人と言えばカーネーションだが、この花については、あまり思い出したくないこともある。

それは、私が小学生低学年の頃、先生が教壇から、

「今週日曜日は、母の日です。お母さんのいる生徒は赤いカーネーションを、いない人は白いカーネーションをーー」

と言い、各々に造花のカーネーションを配り、胸に安全ピンでとめた。

誰にでもお母さんはいる。「お母さんがいない人」というのは、早くに死別したとか、両親の離婚とか、いろいろ考えられるが、もしかしたら戦後のドサクサの頃なので捨て子がいたかも知れない。

幸い私のクラスに白いカーネーションを配られた友はいなかったように思う。

今になり思えば、何故このような決まりがあったのか知らないが、なんとも残酷な習慣だ。

 

私の母は、とうの昔に亡くなっているが。すこし嫁姑(よめしゅうとめ)問題もあったらしく、幼い私と二人でいるときだけはオテンバ娘のように一緒に遊んでくれた。雨の日は水たまりに一緒に入り、水を蹴っ飛ばして、はしゃいでいたのを覚えている。

私が、成人になり免許を取得して車に乗り始めた頃には、早朝に起こされて、

「みんなが起きる前にドライブに連れてってよ」

と言い、三浦半島の方まで何度か早朝ドライブをしたものだ。

スイカ畑では仕事中の農夫に声をかけ、とれたてのスイカを値切って安く買っていた。

当時、城ヶ島大橋は通行料金が掛かったが、朝6時前は無料で通れた。なんとなく得をした気分のドライブだった。

いろいろと、母の思い出は尽きない。

母の誕生日は4月、母が好きだった可憐なシャガの花を見る度に母のことを思い出す。

 


変貌する鎌倉の味

 

若い頃は変化を楽しんだ。初めて行く場所、初対面の人、始めてゆくレストランやお店などを競うように体験し、それを友達と情報交換したものだ。しかし、老いと共に、行く所、食べるもの、思うこと、会いたい友などがマンネリ化する。慣れている方が楽だから。安心だから。

ここ、鎌倉でも行き慣れた店がいくつかあったが、ここ数年の間に様相が変わりつつある。

以前にこのページでも書いたが、行き慣れた焼き鳥屋「鉄砲串」(写真)が閉店になった時は、ショックだった。仕方なく旨い焼き鳥屋を求め、未だに放浪が続いている。

その後も、ここ数年鎌倉の銘店の閉店が続いている。「鉄砲串」の他にも、百年続いた材木座の「萬屋商店」、深夜族には懐かしのレストラン長谷「浮(ぶい)」、小林秀雄、川端康成、小津安二郎等文化人が通った天麩羅「ひろみ」、昭和11年からの中華「あしなや」、そして最近ではトンカツの「勝烈庵」も閉店したとのこと。

後継者不足、店舗の老朽化、テナントビルの立て替えなど、それぞれ理由はあるようだが、古い馴染みの場所が消えていくのは、なんとも淋しいものだ。

特に、最近は鎌倉にも海外資本の波が押し寄せ、テナントビルは建て替え後に法外な家賃を提示され、やむなく閉店という話も聞いたことがある。

あの味、気心が知れた店員さん、一人でも家族でも気軽に入れる、そんな店が消えてゆく。鎌倉に世代交代の波が押し寄せている。

現在も残っている銘店には、是非頑張ってほしいと思うのは私だけではないだろう。

 


数年前に作った端午の節句飾り
数年前に作った端午の節句飾り

黄金週間

 

まもなくゴールデンウイークに突入する。今年は4/29(水)「昭和の日」に始まり5/6(水)の振替休日まで、4/305/1をさぼれば、8日間の連休だ。

改めて各祭日を確認してみよう。

まず4/29は「昭和の日」だ。もともとは昭和天皇の誕生日であり「天皇誕生日」だった。平成に変わり昭和天皇が植物の研究をしていたこともあり「みどりの日」とされた、そして2007年に再度名称が変わり「昭和の日」となり、それまでの「みどりの日」は5/4に引っ越した。なんだか紛らわしいですね。

最近は昭和レトロブームとか。俺もレトロなんだろうな!

 

5/3は憲法記念日。これはわかりやすい。1947年に日本国憲法が施行された日だ。現在話題になっているが、憲法改正となると、日付がかわるのかな? つまらないことが気になるのだ。

 

そして翌日5/4は「みどりの日」。 前記したように、もともとは4/29だったがこちらに移動した。この日は2006年までは「国民の休日」と呼ばれていた。単純に祝日に挟まれた日なので休日にしてしまおう、と制定されたらしい。サラリーマン的な発想ですね。

 

5/5は「こどもの日」。祝日法によれば、<こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する>ことを趣旨としている。「父」は存在薄いようですね。

同じ日が「端午の節句」ですが、こちらは<男の子の無病息災を祈願する日>とされ「男の子」の日です。もともとは中国から伝わった週間だそうで、「こどもの日」とは関係なく、偶然同じ5/5となった、とのこと。

そして翌日は振替休日で延べ八日間の黄金週間となります。

私は毎週が黄金週間生活なので、あまり関係ないが、ここ鎌倉や湘南は大混雑になるのだろう。ひっそり我が家に避難している方が無難なようだ。


2026年宇宙の旅

 

アルテミス計画2は無事終了、予定通り月を一周し410夜、地球に帰還した。やれ、戦争だ物価高騰だと、気分が滅入る今日このごろだが、このニュースはピカッと光る素敵なニュースだ。宇宙好きな私としてもとても喜ばしいことだ。

さて、1957年ソビエト連邦が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功して以来、宇宙開発に火がついた。アメリカは1969年アポロ計画で初めて人類が月面に降り立った。

 

そんな宇宙ブームの到来を前に、1953年に銀座5丁目に直径12メートルもの巨大な地球儀の形をしたネオンサインが出没し、話題になった。覚えている方も多いと思う。森永ミルクキャラメル、チョコレートの宣伝ネオンだ。アポロ計画の頃には、その地球ネオンの周りを衛星がクルクルと回っていたような記憶がある。

小さなころの思い出だ。その後、徐々に周囲のビルの高層化が進み目立たなくなったことと、老朽化のために1983年に解体されたらしい。私が小学生のころから社会人になるまで、なんと30年間もグルグルと光りながら銀座の夜を照らしていたことになる。

 

さて、私の手元に古い機械式の腕時計がある。(写真)詳しくは覚えていないが、これは当時森永製菓が行ったキャンペーン、またはクイズの賞品として当選者に配ったものだと記憶している。私の父が森永製菓に勤めていた関係で、私の手元にあるのだろう。この腕時計、針には夜光塗料が塗ってあり、いまでも暗い夜に薄ぼんやりだが光っている。そして目覚まし機能があり、上のリューズで時間を指定して、一段引っ張っておくと10秒間ぐらいジーーーと音がなり、時計自体もかすかに振動する。指定時間はロケットの矢印が示すといういかにも宇宙時代の演出だ。(写真4時の位置)シチズン製19JEWELSと書いてある。久しぶりに宝箱から引っ張り出して見た。すべて完動状態を保っている。(毎朝ゼンマイを巻くのがちょっと面倒だが)。親父の思い出と共に私の宝だ。

 

さて今後、NASA2027年の第3弾「アルテミス3」で、宇宙船と月面着陸船の宇宙空間での連結を試みる。その後、28年の第4弾「アルテミス4」で再び月へ向かい、今度は着陸を目指すという。

将来は月を中継基地として火星を目指すことになるのだろう。その頃は、私も天空を浮遊しているかも知れない。

 

さあ、今夜は久しぶりに富田勲の「惑星」でもききながら、宇宙に夢を馳せようか。


床屋放浪記

 

私が現在行っている床屋は、山を降りてすぐの超安価な床屋だ。月に1回のペースで通っている。料金はシニア割引でたったの二千円。よくありがちな安い手抜きの床屋と違い、コースメニューをちゃんとやってくれる。散髪、洗髪の後にはほんのすこし肩揉みもあり、ひげ剃り、鼻毛や耳毛の手入れもあり最後の仕上げだ。これで椅子に座ったらほんの15分で完成。無駄口もきかない。

早くて安くて気に入っている。

今まで近隣を含め、何軒の床屋にいっただろう。なれないうちは黙って調髪をしてくれるが、そのうちになれなれしく話しかけてくる床屋が多い。それはそれで一種の近隣情報もあるのだが、私は補聴器をしているので散髪の時には補聴器をはずしている。よく聞こえない。何度も聞き直すのも気が引けて、また新たな店を探し、床屋ジプシーとなる時期が続き、現在の行きつけの床屋にたどりついたと言うわけだ。

 

今から20年以上前、現役の頃は昼間に会社を抜け出して床屋に行ったものだ。その頃の値段で数千円もかかった。妙にご丁寧で時間もかかる上に予約制の店が多かった。

ある日、会社の近くに早い安い床屋チェーンが出店したので行ってみた。確かに早いのはいいが、調髪が終わったら掃除機のようなもので爆音とともに頭をゴリゴリとなでながら、刈った後の細かな毛を吸われるのにはびっくりした。それ以来、このチェーン店にはオサラバだ。

 

アメリカで床屋に行ったことがある。値段は覚えていないが、比較的短時間で済んだものの、日本の床屋のように洗髪がない。刈りあとの細かい毛が首筋からワイシャツの中に入ったらしく、チクチクする。ホテルに帰りすぐシャワーを浴びて頭も洗わざるを得なかった。ただ一回だけの経験なのでアメリカ全ての床屋がそうなのかどうかは知らない。

 

床屋によっては内装にも凝っていたり、洒落たBGMが流れたりもしている。冒頭に書いた私の床屋は一日中ラジオが鳴っている。順番待ちの席の前にはテレビが置いてあるが、ついていた例がない。本棚には漫画本、新聞、週刊誌が並んでいる。この様な、なにも気取らない「町の床屋さん」が私には似合っているのだ。


月、月に祈りを 

 

四月一日はエイプリールフール。

どこかの国の、王様きどりの大統領は毎日がエイプリールフールのようですね。

私は何度も騙されたことがありましたが、わたしの嘘はすぐばれてしまい、あまりウケたことはありません。

 

4月はいろいろな変化の季節。ニュースでは中東情勢を背景に物価の値上がり、自転車の違反行為で青切符、電話番号案内104が終わったことや、携帯のガラ系も終了などが連日放送されていました。

良いニュースが少ない中、たった一つ希望の星のようなニュースがあった。アルテミス計画だ。アポロ計画で1969年に人間が、はじめて月に降り立って以来、1972年までに計612名が月の上を歩いている。そして今回、月周回のロケットが予定通り月に向かっているという。月まで4日かかるという。やっぱり遠いんだなぁと感じる。今回は月には降りないものの、月の裏側まで回るという。

なんとなく昔の映画「2001年宇宙の旅」を思い出す。計画自体は当初よりずいぶん遅れているようだが、近い内に再び月に降り立つ人がいるのだろう。メンバーには日本人も候補に上がっているという。

一方、中国も月を目指している。地球以外ではせいぜい仲良く協力しあうわけにはいかないのだろうか。地球上のゴタゴタを持ち込まないでほしいと、私たち、いや宇宙人も思っているのでは。

みんなで仲良く、ウサギがついた餅でもたべましょうよ。

 


世界遺産 ミーソン遺跡にて
世界遺産 ミーソン遺跡にて

ベトナム雑感

 

娘、孫二人とベトナム世界遺産を巡る度に出た。と言っても南部のダナンに入り、ホイアン、フエと移動しただけなので、極一部のベトナムに過ぎない。

ほぼ予定通りダナン空港に到着。タラップを降りたとたん熱気を感じる。バスで空港建物に。我々の飛行機の他にも何便も来ているためか入国審査の列は超々長蛇。入国手続きまで約1時間半並んだ。そのわりに審査は何もせず、写真も、指紋も、会話もなし。パスポートを見せるだけの実にあっさりしたものだ。

 

2日間にわたり霊廟、寺院など巡るもののどこに行ってもベトナム戦争の傷跡が目立つ。反面、道路沿い、店舗、建物などあらゆる場所には国旗がたなびいている。アメリカに屈せず、戦争を生き抜いた証なのか。

我々の行った所は世界中から観光客が訪れる場所ということもあり、大きなホテルが立ち並ぶ。さらに建築中の大規模ホテルも多い。世界一長いロープウエイに乗って行くと山の上に忽然と現れる「バーナーヒルズ」というテーマパークや、ドラゴンブリッジ(毎晩9時になるとドラゴンの口から火を吹く)などは、まさに観光客めあてに作られたものだろう。一時代前の日本と同じ、観光立国的な考えに基づいているのだろうか。 

町中には人が溢れ、道路には小型・中型バイクが幅を利かせている。車はクラクションを鳴らし、急ブレーキ、急ハンドルで強引に進む。信号は少なく、歩いて道を横断するのは、日本人にとっては大げさだが命がけだ。舗装も古く、凸凹が多い。バスに乗っていてもけっこう揺れる。

自働車はVIN FASTという唯一のベトナム製のものが圧倒的シェアだという。トヨタは二番手だ。日本勢ではマツダ、三菱が多くホンダはたまに、日産はあまり見かけない。輸入車ではFORD製がとても多く、ベンツ、ワーゲン系はたまに見かける程度。BMWやポルシェは滞在中一度も見なかった。ホーチミンなどの大都会に行けばまた様子は違うのだろうか。

夜ともなると歩道はバイクの駐輪場と化し、歩く人たちはとても真っ直ぐには歩けない。

 

しかし、一歩都会をはなれれば、景色は日本とさして変わらず緑の多い風景が続く。

 

多くのアジア諸国と同じく時差が少なく、チップ製がないだけで日本人には楽な旅だ。ただ、お金の単位があまりに大きいのでカンが掴めない。コインはない。一番少額の紙幣が1000ドン。ガイドブックによれば03つとり6をかければ日本の円になるという。

これで計算すれば1000ドンは約6円となる。

通貨の切り上げをやってくれればまだわかりやすいのだが、観光客としてはとても分かりづらかった。

 

 

今回の娘と若者達との旅、彼らの情報収集力には目を見張る。こちらは足手まといにならぬよう、ついていくだけ。改めて自分の年令を認識させられるような旅となった。


東関東大震災

 

ときの経つのは早い。東関東大震災からもう15年も経つ。2011311日の日記を読みかえしてみた。

 

東海道線戸塚駅で妙な揺れに目が覚める。地震だ。みな電車から降りて階段をかけ上がり駅の外に出ようとしている。駅舎の中は電気がついていないので暗い。バスの停留所には長蛇の列だ。仕方なく歩き始める。道路は車道も歩道も大渋滞だ。この日に限り携帯を家に忘れた。家族が気になる。公衆電話の長い列にならび、やっと家や家族の携帯に電話をするが繋がらない。心配はつのるばかり。

ながいこと歩いてやっと大船まで来たが、バスもモノレールも不通だ。また歩き出す。深沢の駐輪場までたどり着き、そこにとめてあった自分のバイクで帰宅。我が家も家族も皆無事で良かった。私の作った背の高い照明具だけが倒れて破損したぐらいですんだ。

夕方になり徐々に暗くなる。電気は止まったままだ。当時の我が家の水道はポンプでタンクに汲み上げていたので水道も止まったままだ。仕方なくタンクのコックをひねり、直接水をポリタンクに汲む。

キャンプ用品がとても役に立った。我が家はコールマンのアルコールランプでとても明るい。後に兄から「ノッペの家だけ電気が通じているのかと思った」とのこと。

ランプの明かりのもと、家族で食事。都内で働いていた娘の夫から携帯に連絡あり。日比谷公園に避難したという。とうとうその日は帰ることが出来なかった。

やっと夜8時頃に電気は通じた。テレビで東北の状況、津波のこと、原子炉のことなど知りその被害の大きさに目を覆いたくなる。

日記によれば、翌日予定されていたライブは当然のように中止になっている。4日後の3/15の日記には、どこのスーパー、コンビニに行ってもパン、カップ麺、卵などは売り切れとある。流通も途絶えてしまったようだ。その後、何日間も時々停電があったと記してある。

数年後、仙台のチャリティライブに参加した際に、震災の後を案内してもらった、茫々と風になびく雑草の中に家々の土台だけが残っているのを見て、その恐ろしさに背筋に冷や汗が流れたものだ。

あの日以来、毎年9月の防災の日には防災用品や備蓄食糧などを点検することししている。

昨今、首都圏直下地震や富士山噴火などが度々話題になる。いくら用心しても人間の力ではどうにもならないだろう。

「地震かみなり火事オヤジ」。やっぱり最も怖いのは地震だが、最近のオヤジはあまり怖くないようですね!

 

※「音楽愉楽」ページに関連記載あり

 


買い物・ショッピング

 

買い物は嫌いではないが、日々の買い物はそれなりに時間も、金もかかる。面倒だが仕方ない。近所には宅配弁当が毎日届く家もある。たしかに便利だとは思うが、今のところまだお世話にならなくてもなんとかやっている。

毎日の買い物以外のショッピングは好きだ。モールをウロウロして、色々な店を覗いたりするのも楽しい。思わぬ買い物をしてしまうこともある。モール内で映画をみて、買い物して、メシ喰って、気がつくと半日以上モールにいることさえある。

また、道の駅も良い。地元の新鮮な食材や、名産などが手に入る。最近は道の駅を目標に旅をする人もいるらしい。また、車中泊も多いと聞く。確かに食堂もトイレも、場所によっては温泉に入ることが出来るところもある。運転が好きな一人爺には良いかも知れない。

道の駅やモール以外にもコストコやイケアなど大型店舗も好きだ。老爺のひとり暮らしなので、コストコのような大量消費者を対象にいている店では買うものが限られているが、それでも行く度にけっこうな買い物をしてしまう。

大型店舗と言えば、アメリカにゆく度に覗くのが事務用品の「Office Depot」と家具や工具などを売っている「Home Depot」だ。どちらもコストコのように格納庫のような巨大な店だ。日本にも「事務キチ」のような文房具の大きな店はあるが、「Office Depot」はその数倍の広さにOfficeで必要な全てのモノを売っている。また「Home Depot」は私のような木工を趣味としているDIYerにとってはとても魅力だ。行く度に、照明器具、工具、木材などを買い、帰国してから楽しんでいる。ただし、インチとセンチの違い、またワット数やサイクル数の違いなどに多少気を使わねばならない。

このOffice DepotHome Depotが日本に出店してくれるとありがたいのだが、残念ながら今のところそんな話は聞かない。

ショッピングをしたくても、徐々に先立つものが少なくなっている年金爺には巨大な大型店やモールはない方が良いのかも知れないけどね。


懐かしのテレビ塔

 

前回このページで親父の残したアルバムについて書いたが、膨大な写真の中に、なんとも懐かしい写真が見つかったのでご紹介する。

この写真、写っているのは左が私の祖母、並んでいるのは姉妹らしい。昭和46年の写真なので祖母は80歳代後半だ。場所は鵠沼海岸の家の庭だ。

この二人はさておいて、懐かしいのは後ろに写っているタワーだ。これはテレビ塔である。タワー自体の高さは15メートルだったと思う。その上の支柱にテレビアンテナが設置されていた。雷のことを考え避雷針が併設され地下には大きな銅板が埋められていた。また、アンテナを支えている支柱はワイヤーで高さの調整ができる。雨がふると雷を避けるためにハンドルをまわしてアンテナを低くおろすことができた。タワーには鉄の梯子がつけられ、幼心にこわごわ登っては遠く江の島や海を見ることが出来た。

このタワーを建てる時が大変だった。今のように大型のクレーン車など、当時はなかったのだろうか、お向かいに住んでいた植木屋、大工、御用ききの八百屋や馴染みの職人達が力をあわせて太いロープで、「よいしょよいしょ」と掛け声を合わせながらロープをひっぱり、横に寝ていた塔が徐々立っていったのを思い出す。

まだ、テレビが珍しい頃だ。テレビはアメリカのゼニス社製だった。床の間に鎮座していた。たまに近所の人達が覗きたものだ。

NHKの他にも民法放送局がスタートした頃だ。今のTBSは社名が「ラジオ東京」だった。そして民放初のテレビとラジオの兼営局となり名称は「ラジオ東京テレビ」と奇妙な名になった。

写真の祖母はジャズオーケストラを見ながら、「あんなラッパを吹くのは男のやる仕事じゃない」とけなしたり、力道山とシャープ兄弟のプロレスに顔を真赤にして熱狂していた。

ドラマもすべて生放送だった。「日真名氏飛び出す」という連続ドラマを良く見ていた。後に、テレビドラマ制作で大きな影響を及ぼしたフランキー堺主演の「私は貝になりたい」も生放送だった。

懐かしいテレビの思い出は尽きない。そして私が就職したのも放送局だった。

「今のテレビはつまらない」、「若い人たちはテレビを見ない」と、最近は人気が落ちている放送業界だが、私は今でもテレビを見ない日はない。ただ残念なのは文字放送に頼ることが多くなったのは寄る年波に仕方のないことか。

 

(※幼い頃の思い出を元に書いているので、内容によっては正確さを欠いているかも知れませんが、ご容赦を。)


思い出のアルバム

 

父が亡くなって三十数年、兄より連絡あり。

「親父の山のようなアルバムを廃棄しようと思うがーー」。

捨てられる前に、私も目を通したいと、その山のようなスクラップブックに貼られた写真を我が家に運びこんだ。

いかにも当時を忍ばせるモノクロの写真、ネガをそのまま現像したベタ焼きなども多い。

保存状態は決して良いとは言えない。アルバムをめくっていて気がついたが、むかしのモノクロ写真は写真同士が重なっても支障ないが、カラーになってからの写真は写真同士がくっついてしまい、むりやり見ようとすると敗れてしまう。きっと兄がやったのだろう、すでに無理してでも見ようとした破れたページもあった。

 

まだ、全てに目を通してはいないが、殆どが仕事関連の写真だ。中には芸者衆との写真もあれば、国内外の出張の写真も多い。そんな中に紛れるように、数は少ないものの家族の写真もある。

 

親父の海外出張を壮行するのに、会社の同僚や家族全員が羽田空港まで見送りに行っている写真がある。写っている飛行機は、懐かしのパンアメリカン航空のプロペラ機だ。あの頃はハワイまで行くのにはウエイク島での途中給油が必要だったと聞いている。昭和30年代、海外出張が如何に大変なことだったのかが伺われる。1ドル=360円の時代だ。

向かって左から父、兄、母、祖母、筆者
向かって左から父、兄、母、祖母、筆者

 写真は、鵠沼海岸にあった昭和30年代の我が家だ。親父は休日の朝、芝生の庭にテーブルを出し、家族全員で食事をするのが楽しみだったようだ。仕事もさることながら、家族をとても大事にしていた親父の一面だ。

背景には当時の鵠沼海岸の象徴とも言える立派な松の林が写っている。

今や、我が家のあった土地も、近所の家も開発が進み細分化され、松の林はほとんど亡くなってしまった。残念とは言え、これも時代の流れだろう。

この大量のアルバムを保存しておくようなスペースは我が家にはない。とりあえず家族の写真など、私の記憶に結びつくような写真を選び、スキャニングしてデジタル保存することにした。

このところ、時間を見つけては少しずつ作業を進め、セピア色の思い出に浸っている。


確定申告

 

毎年のことだが、節分をすぎると確定申告の用意を始める。いまや2/3の人が電子申請だというのに、アナログ爺としてはいまだに書類提出にこだわる。特に理由はないが、単純に今まで永い間そうしてきたからにすぎない。

サラリーマンのくせに自分で申告書を書くようになったのは40才代なかばのことだ。きっかけは、よく覚えてはいないが、多分親父が亡くなったので相続などの申告が必要になったためと思われる。

当時の申告書に書き入れる金額などは、自分で計算し手書きで記入する方式だった。けっこう手間取ったものだ。

時代が進むとともに徐々にネット環境も普及し、今やネットで記入システムにアクセスし、データを記入すれば、自動的に計算され立派な申告書ができあがる。自分で計算することはほとんどなくなった。

あとはプリントアウトして税務署に持っていけば良い。

昔は、申告書の受付に長い列をつくったものだが、ネット申告が普及し書類提出が少なくなったせいか、最近は列も随分短くなり数人の順番待ちぐらいで済むことが多い。

あらためて約40年間の確定申告を眺めていると、歳とともに、そして家族環境により変化する数値は明らかだ。

収入・所得金額は退職から年金生活になったことにより激減するのは、火を見るより明らかだ。

確定申告に書き込む配偶者・扶養者控除、そして医療費控除の欄の経過をみると家族環境の変化が如実に現れている。

私の扶養者が一番多かった時は、妻と二人の娘、そして義母の4人だった。義母が寝たきりになり医療費が増え、毎年の還付額が多くなった。義母が亡くなり、娘が結婚したりなど扶養者の人数も減っていく。医療費もかからなくなり納税する年が続いた。

二人の娘も自立し、扶養するのは妻一人になった後、その女房が病気になり要介護となったあたりから医療費が徐々に増え、それ以来ずっと還付額も多くなった。そして昨年女房が逝った。扶養者は誰もいなくなった。

3月後半に還付額が口座に振り込まれると、その時は小遣いをもらった気分でちょっとうれしいものだが、よく考えればそれだけ支出が多かった結果である。

このように40年間の経過をみると、如何に健康を維持することが大切だと言うことがわかる。

今のところ、お陰様で私は健康だ。早朝散歩も効を維持しているようだ。年金爺として、今後の問題は、少しでも倹約せねば、ということだが、これが難しいんだよね。

今夜も旨いもの喰いたいし!

 


民泊開業予定の家
民泊開業予定の家

民泊問題

 

このところ話題に、というか問題になっている民泊だが、鎌倉市の広報誌によれば、市内だけでも163件の民泊があるという。そんなに多くあったのかと思うものの、日本を代表する観光地でもあることから考えれば仕方のないことか。

私の住む鎌倉山は観光名所ではないものの、4軒の民泊があり、そのうちの1軒が問題になっていた。外国人のグループが宿泊し、BBQや花火をあげ、その火の後始末もせぬまま帰国したり、ゴミの問題もある。鎌倉市のゴミの分別はとても細分化されているので、とても外人には難しいだろうと思うものの、近隣では苦情がでている。しかも管理者はそこにいなかったとのこと。

 

私の家のすぐ近くでも3月スタートを目指して民泊開業の準備が進んでいる。この家は三十年ほど空き家だった大きな邸宅を、安価で購入し、三年前からDIYでリフォームしてきたものだ。

 

さあ、今後どのように対処するのか、住民が納得するまで説明を続けるのか、それとも強引にスタートさせるのか、近所のことだけに不安は尽きない。

この事業者が先日、住民説明会を集会所で開催した。私はせいぜいご近所だけが参加すると思っていたら、会場は満席になり鎌倉山住民の地域に対する意識の強さに驚いた。多分、事業者もこれほどの注目を浴びているとは想像しなかったのだろう。

この説明会が、なんともお粗末なもので、段取りもなっていない。集会所の都合もあり二時間という時間制限もあり、ろくな議事もせずに中断せざるをえないという状態だった。

私は現役の頃、株主総会のスタッフの末席に身を置いたこともあり、その経験から思えば、今回の説明会は体をなしていない。

例えば自己紹介に長い時間をかけたり、配布された書類にページ数が打ってなかったり、書類の文章がダラダラと長い。箇条書きにでもすればもっとわかりやすくなるのにとも思った。 最も気になる事業計画書がないのにもびっくり。

また、プレゼンでは禁句の「―――こう思います」が多い。「――こうします。」と言い切れば説得力もあるのにな〜、と聞いている私はイライラするばかり。

 

ただ一つ良かったのは、宿泊者のゴミは事業ゴミとして処理し、住民のゴミ集積所などは使いません、とのこと。当たり前といえば当たり前の話だが、これまでにも問題になったことだけに気になっていたところだ。


年初恒例の初詣

 

毎年、年初に初詣に行く。今年は正月に体調を崩し、スタートが遅れた。

まず、我が家から歩いて三十分の鎌倉山神社。ここは散歩コースにもなっているので慣れた道を歩く。次は都内の青山霊園にある本家の墓に出向き、両親に手を合わせる。墓参のためだけに都内まで行くのは面倒なので、何かのついでに行くことにしている。今年は仲間との新年会を兼ねて行った。三箇所目は今年から増えた女房の墓だ。ここは鎌倉市内なのでドライブがてら出かけた。そして、毎年難関なのは、昔住んでいた近くの鵠沼稲荷神社までのウオーキングを兼ねた初詣だ。1/28に実行、なんとか一月中には以上の四箇所に行くことが出来た。

 

ここ鎌倉山から鵠沼稲荷神社までは、二つの山を超え、江ノ電、小田急の踏切をわたり約6.5キロの距離だ。年初に歩き始めたのは平成22年(2010年)のことだ。今回で15年目になる。毎回、コースを変えて歩く。今回は、いつも車で通る道を選んだ。途中には小学校の友人だった家、昔バイオリン教室として使っていた古い教会、旧財閥の豪邸など、いろいろな思い出をたぐりながらの楽しいウオーキングだ。

鵠沼海岸では毎月定例のライブをやっている老人ホームの前を通り、その隣が、私が幼少時代を過ごした土地だ。いまは開発され小分けされた土地に8建もの家がたっている。

ここまでくれば、あと数分で目的の鵠沼稲荷神社だ。

 

正月には屋台も出て、賑やかなこの神社も、この期に及んでさすがに参拝客はだれもいなかった。例年のように列に並ぶこともなく、チャリ〜ンと賽銭、綱をひっぱり大きな鈴をガランガランと鳴らす。そして二礼二拍手一礼。持参した古い御札を廃棄所に持って行き、新たに今年の御札を買う。そして例年通りおみくじも引く。今年は末吉だった。

冒頭の歌は

「はなされし かごの小鳥のとりどりに 

たのしみおおき 春ののべかな」。

今年も、すてきな春が来てくれそうだ。

もうすぐ節分、そして雛祭と季節はめぐる。

 


平和な鎌倉山に強盗事件

 

毎朝、暗いうちから散歩に出る。顔なじみになった散歩仲間も多い。近所の情報などは、この仲間達がよく知っている。

 

ニュースでも報道されたが、1/9午前5時半ごろ、ここ鎌倉山二丁目の邸宅に強盗が入った。私のいつもの散歩コースの近くらしいが、その日に限って、犯行がおきた時間は違うコースを歩いていた。(残念と言うか、幸運というかーー)

事件の概要は、会社役員の自宅に6〜7人組の男たちがガラスドアをバールで割って侵入。全員目出し帽を被っていた。被害者は家族で寝室にいたところを金属の棒で殴られ怪我をしたという。ニュースでは現金40万円が盗まれたという事件だ。

私がこの地に住んで30年以上になるが、近所に火事はあったものの、事件と呼べるようなことはなかった。いたってのどかで平和な土地だった。

 

 

今回の犯行翌日の朝からは、散歩仲間とすれ違うたびに、この強盗事件のことが話題になる。ある人は、犯行の後だと思うが、二台の車が現場の近くの一方通行の道を逆進するのを見たという。また、ある人によれば現金は40万円ぐらいだが、その他に高価な時計やバッグなど計一千万円相当の被害らしい、などなど、いろいろな情報がある。掲示板には、警察から写真のような情報提供のお願い文が貼られたが、現在も犯人たちは逃走中らしい。

 

顧みれば、我が家の防犯体制は脆弱だ。夜中に人が邸内に侵入すれば防犯カメラが作動し照明が点灯するぐらいのものである。今回の事件のように計画的な犯行の対象となるような金銭も高価な物品もない、とはいえ通りがかりの泥棒はいるかも知れない。外に犬は飼っているものの、だれにでもなついてしまうので番犬とは言えない。

 

防犯は照明、音、そして時間がかかるような侵入が有効的とのこと。私は嫌いだが窓にはシャッターや防犯の桟などがいいのだろう。今後、すこしはその辺も考えねばと思っている昨今である。


歩いて歩いて1万キロ

 

なんでも記録を取るのが性癖の私は、2020512日から一日の歩数や距離を記録してきた。多分、スマホを新しく買い替えたとき、タダで付いてきた万歩計を見つけたぐらいの、なんてことないきっかけだろう。

以来、歩くのが楽しくなった。毎日、歩数と距離をパソコンのエクセルで記録し始めた。

雨の日や体調が優れない日をのぞいて、毎朝散歩をするのが習慣になった。早朝5時半から6時ぐらいには家を出て、約一時間の散歩だ。ウオーキングと呼べるほどのハードな歩き方ではない。のんびりゆっくり歩く。真夏には汗まみれになりながら、冬には星空を見ながらの散歩だ。

歩きながら、いろいろなことを考える。忘れていた昔のことを思い出すときもある。

歩くということは、運動になるのはもちろんのこと、どうやら脳の活性化にも役立っているようだ。

そして、今年の年明け1/7に、その距離は述べ一万キロに達した。地球一周が4万キロと言われているので四分の一周したことになる。直線距離でニューヨークの少し手前、ロンドンには到達した距離だ。

毎日の記録には、なにか際立ったことがあるとメモに残す。

例えば、一日で歩いた最も長い距離は、2022725日の真鶴半島一周ウオーキングで13.6キロだ。真鶴半島は好きなので、車ではよく行ったことがある。地元の寿司屋で食事をしても車なので酒を飲むわけには行かない。それなら一度歩いて行こう、という不埒なきっかけだった。

我が家から30分弱のところに鎌倉山神社がある。散歩のついでにお参りをし始めて、これも数え始めた。そして2024819日に「お百度参り」を達成した。なんの願掛けもしなかった。

昨年の正月に述べ9,000キロを超えたあたりから1万キロを意識し始めた。そして、このたび目標達成となった次第である。

さあ、次は何を目指せば良いのか。どう考えても地球一周4万キロは無理だろう。それならば地球半周、5年後の85歳までに2万キロまで行くことができれば良いのだがーー。

東京から2万キロと言えばアルゼンチンのパタゴニア辺りらしい。記録達成の折には、記念のご褒美に、パタゴニア製のジェケットでも新調しようかーー。

 


買い物好きな私

 

世の男性方は、日々の買い物は面倒、苦手、興味がない、という方が多いようだ。しかし、いざスーパーマーケットに行けば、結構多くの男性(あまり若い人は見かけない)が、その日のおかずなどを買っている。彼らは仕方なく買い物にきているのか、買い物が好きで来ているのかは「買い物ぶり」を見ればわかる。

独り住まいなのか、奥様の都合が悪くて代役として買い物しているのか。メモを見たり、スマホを手にしながら買い物している人も多い。一方、買い物好きは商品を見つめる目つきが違う。

私は慣れてしまっているのか、買い物は好きだ。しかし、買い物はけっこうな時間と金がかかるもの。面倒でない、といえば嘘になるので、なるべく数日分をまとめてスマホのメモに記し、買い物をするようにしている。

ところがだ。いざ、スーパーに行き、予定外のうまそうなものが目についたりすると、つい手をのばしてしまう。スマホのメモとは大幅にメニューの変更だ。

年金暮らしの老爺としては倹約もしなければいけない、とは思うものの、スーパーの棚に旨そうなものを見つければ賞味期限は確認するものの、定価も見ないで買ってしまうことさえある。いいじゃないか。残された生涯、あと何食喰えるかはわからないんだから、などとコジツケがましい言い逃れだ。

戦時中は「欲しがりません、勝つまでは」って言っていたのに負けたじゃないか。欲しい物は喰えるウチが花だ。

例えば、私が行く某スーパーではステーキ売り場にシャトーブリアン・ステーキが並ぶときがある。スーパーとしては珍しいと思う。(シャトーブリアンはヒレ肉のほぼ中心部、一頭の牛からほんの少ししか取れない。)このステーキ肉がある時は迷わず買ってしまうのだ。いつ食べるのか、そんなことは考えない。

ほかには殻付き生牡蠣が出ていれば、買う。牡蠣はそれほど高価ではないのも良い。プラスティックパッケージに入っている剥き身の「生食用生牡蠣」は買わない。水っぽいもん。

この殻付き牡蠣は、シャトーブリアンとは違う某スーパーで時々手に入るのだ。

両方のスーパーに行って、もし両方手に入れば、豪華なメニューとなる。

前菜は生牡蠣、サイドメニューはロメインレタスのシーザーサラダ、そしてメインディッシュはシャトーブリアンステーキだ。ベイクトポテトにサワークリーム沿えも良いね。

なんと贅沢なーーと言われても、レストランに行くことを考えれば超安価な豪華メニューだ。

ちなみに、これら「某スーパー」は紀伊國屋とか明治屋などの一流スーパーではありません。念の為!

さあ、今日も昼寝のあとは、晩飯の期待を抱いて買い物だ。

 


        1970年代 モービル石油のCM
1970年代 モービル石油のCM

年頭に思う

 

去年の年頭には何を思ったのだろう。日記を見ると、そこには「健康と気力」と書いてある。また「来年へのイントロ」とも記してある。

今年2026年は、いろいろなケリの年になるので、その前年ということもあり、そのように書いたのだろう。

そう、今年は傘寿を迎える。そして200311月から始めた「Noppe Live」は、やっと500回をむかえる。なんと23年間もかかっている。ミュージシャンの中には年間50回を超える人もザラにいるので、私の500回は、けっして褒められた数字ではない。

さらに、毎日のウオーキング、20205月から記録をとりはじめ、まもなく1万キロに達する。(この歳にしては多少自慢できるかな)

今年は、年齢、ライブの回数、ウオーキングの距離に以上のようなケリがつく年になりそうだ。

それでは、今年の標語はどうしよう。ケリがついたあとは、あせらずゆっくりだな、ということで今年の標語は

「のんびり、ゆっくり、あせらず」としよう。

貧乏性の私は、色々なことをしたいがために、其々がいいかげんになる。去年は亡き妻の斎壇と位牌を作ったが、兄に位牌の銘を入れてもらうのに際し、私の雑な工作を指摘されたりもした。「はやく作ってしまおう」という焦りがあったのだろう。

そういえば昔のモービル石油のCMソングに

「気楽に行こうぜ、おれたちは〜〜」というのがあった。

たしか番の歌い出しが「のんびり行こうぜ おれたちは〜〜」だ。

そうだ、今年はこの歌が良い。500回記念ライブは、この歌で始めよう。

まだ日取りも会場もなにも決めていないのに、こんなことも思ってしまう。やっぱりあせっちゃうんだよね〜。


見果てぬ夢 10億円

 

年末ジャンボ宝くじ、その賞金は1等単独で7億円、前後賞が1.5億円の2本で合計10億円。1等1本+前後賞2本の3本だと、当選確率は約0.00000015%だそうだ。

それでも買わなければ、夢は見られない。

もし10億円があたったらどうしよう。そのまま資産にしたら、子供には相続税で少なくとも数千万円かかるので、健在なうちに使い切りたい。

生活費として月に100万円、海外旅行などに年間2回で200万円使うとして、年間1400万円。とても生きているうちには使い切れない金額だ。

だいたい10億円はどのくらいの量なのか、見当もつかないので調べてみた。

一万円札を積み重ねた場合10mの高さになるという。およそ三階建の高さだ。重さは約100kgにもなるらしい。

なにかを買ってしまおうと思うが、ここ鎌倉辺りに終の棲家を買っても、せいぜい土地と家を合わせて2億円、さらに小規模ライブ会場にも使えるようなスタジオと木工の工房を建てても、せいぜい1億円。やはり使い切れない。

だいたい、この歳になって引っ越しなど面倒だ。

どうも貧乏性の小生には名案が浮かばない。

過去に当選した人の中には全額を自分が生まれた故郷に寄付したという人もいるらしい。

10億円はあまりの確率の低さに諦めるとして、2等が1億円、3等は1千万円、4等百万円、この位の額なら立派に使い切れそうだ。

せめてモトがとれればと、夢は徐々に縮小していく。

「小さな夢」でも一生に一度ぐらいかなえたいもの。

大晦日、あのクルクル回る的に「小さな夢」の矢が命中することを祈るばかりだ。

(251228)


クリスマスには麻婆豆腐

 

過去のクリスマスには何をしていたのか。気になって、ここ十数年間のクリスマス近辺の日記を読んでみた。なんてことない、グループホームや老人ホームでのボランティアライブが最も多かった。あと3回ほどは娘の住むアメリカで、クリスマスコンサートに参加したりしている。

振り返って見れば、これと言って特別に印象深い思い出はないが、嫌な思い出や、悲しい思い出がないだけでも幸せだ。

世界各地での戦争や紛争に巻き込まれている一般の人たち、子どもたちは、今年もさぞかし大変なクリスマスなのだろう。

 

昔は、クリスマスと言えば夜の町に三角のトンガリ帽を被った千鳥足の酔っぱらいおじさんがうろうろしていたものだ。当時は私も放送局で番組制作現場にいたこともあり、仕事仲間とけっこう派手なクリスマスを過ごしたこともあったが、最近は世間も私もあまり馬鹿騒ぎはしなくなった。

 

孫達が小さな頃は、毎年プレゼント交換をしながら家族全員で楽しく過ごしたものだが、孫たちも大きくなり、とうとう今年のクリスマスは孫二人とも家にはいないらしい。

しかたなく、今年のクリスマスは私と娘夫婦の三人で外食をしようと言うことになった。しかし、お仕着せのクリスマスディナーはまっぴらごめんだ。いろいろ悩んだ末、麻婆豆腐が美味しい店に予約をとった。クリスマスに麻婆豆腐、このミスマッチなクリスマス、きっと印象深い思い出になるにちがいない。

 


映画は映画館で

 

なにやら動画配信のNetflixがワーナーを買収しようとしたら、パラマウントが敵対的買収をーーというニュースが流れている。その金額も兆ドル規模だ。トランプ大統領はパラマウント側に加わっての攻防とか。大統領はワーナーグループの報道チャンネルCNNを操りたいらしい。(NetflixCNNを買収の対象にしていないらしい。)などなど色々と憶測もある。

私はNetflixなどの動画配信サービスには参加していない。貧乏性のせいか、テレビの前で長時間過ごすことは滅多にない。それでも興味のある映画は、いつか見ようと録画してある。結果、録画は山のように溜まったままだ。そこで、雨の日は取り溜めた映画を見ることにした。しかし、この文章を書いている昨今、ほとんど雨は降らないという状況が続いている。

アメリカでは映画館に足を運ぶ人が毎年激減しているという。あのハリウッドを代表するアメリカの映画文化が動画配信に変わってしまうのかと、心配だ。どこか淋しい気さえする。

話はそれるが、アメリカで映画館に行くと、多くの若者は大きな紙製のバケツに山盛りのポップコーンとコーラを手にして席につく。最近、日本でも同じ様なサービスが多くなったが、アメリカでは、希望すればポップコーンにホットバターをかけてくれる。これが旨い。手はベトベトになるものの、これがアメリカで映画をみる醍醐味なのだろう。

映画は、やはり映画館で見るのが良い。照明をおとした館内、巨大なスクリーン映される映像はなんといっても圧巻だ。いくら大型テレビが普及しても、あの迫力には至らない。

日本の映画界では、今年「国宝」がとても話題になった。とても興味はある。見たい作品だ。しかし、恥ずかしながら私はまだ見ていない。何故? それは、時間という上映時間に我が膀胱が耐えられかが心配なのだ。二時間程度の映画でさえ、鑑賞したあとにトイレに駆け込むことが多い。「国宝」もそのうちにテレビで見られるだろうとは思っているが、映画館での迫力は期待できない、という希望と現実の間(はざま)で惑う爺なのです。

(251214)

 


夢いろいろ

 

ひとことに「夢」といっても、将来の夢のことではなく、今回の話は寝ている間に見る「夢」のことだ。

 

■私は、明け方によく夢を見る。歌「夢で逢えたら」のように恋人に逢える夢ならいいが、現役時代のつらい仕事の夢も見る。私は、ラジオの生番組を担当することが多かったせいか、巨大なストップウオッチの針が正時にむかってカチカチと進むような夢も見る。もう50年も前のことなのにーー。

私の夢には友人や、その昔思いを寄せていた人も登場することが多いが、不思議なことに家族はでてこない。夢から覚めて、あの人はどうしているのだろうと思うこともしばしばだ。

 

■三島由紀夫の最後の長編小説「豊饒の海」には夢が重要な役割を果たしている。随分前に読んだので詳しいことは覚えていないが、たしか夢と現実との間(はざま)で物語は進んでいく。ゾッとするような夢だったような覚えがある。

三島は、この小説の最終稿を入稿した日に自衛隊の基地に乱入し切腹したこともあり、とても印象に残る小説だ。

 

■私の祖母は器用な人で、絵もうまいが、粘土細工で色々な動物を作ってくれたものだ。そんな祖母が元日の夜に「良い初夢が見られるように」と、紙に宝船の絵を書いて私の枕の下に敷いてくれたのも幼い頃の思い出だ。どんな夢を見たかは、まったく覚えがない。

 

■「夢のような話」という言葉があるが、今年も年末ジャンボ宝くじを買おうと思っている。夢でも良い。億万長者になるべく、今夜も早くベッドに入ることにしよう。

 


爺の私的健康法

 

病気療養中の方々には申し訳ないが、なにしろ私は医者がきらいだ。願うことなら病院に行くことなく人生を終えたいぐらいだ。しかし中には、多くの薬を処方されることを、まるで誇りのように吹聴する人もいる。病院では長時間またされたあげく診察は5分、なんていう話もよく聞く。

私はこの数年間、市の健康診断と数年前のコロナ検査以外は病院に行ったことがない。健康診断では、いつも高血圧を指摘される。しかし、病院に行ったが最期、降圧剤を処方され延々と服用することになる。現役の頃は、仕方なく服用していたものの、引退してからはできる限り新薬は飲まないことにしている。

少し、体調が悪くなっても、それは自分の体調管理が悪いのだから、恥を晒すような気がして人には話さないことにしている。やせ我慢もあるけれどーー

医者にかかりたくないのなら、自分で健康は管理しなくてはならない。毎朝数キロの散歩もその一つだ。近頃インフルエンザが猛威を振るっていることもあり、外出から帰宅するやいなや洗面所に直行し「イソジン」でうがいをし、ぬるま湯で手を洗う。しかし、マスクは嫌いなのでしない。

朝は、歯磨きのあとに「イソジン」でうがいをし、「リステリン」で口中殺菌、さらに鼻洗器で鼻の中の粘膜を洗い流す。(上の写真、左からイソジン、リステリン、鼻洗器、鼻洗の専用補充液)。さらに時々ベロを鏡に写し、表面が白くなっていると専用ブラシで削ぎ落とす。

専門的な知識はないが、聞いた話によれば、口中(喉、舌、歯)と鼻の粘膜を清潔に保つことによってウイルスや細菌は相当防げるという。

ほかには、早寝早起きだ。夜9時のニュースを見るとベッドに入る。朝は4時半ころ自然に目が覚める。さらに昼食後に約30分の午睡をとるのが楽しみだ。目をつむれば、どこでもあっという間に寝られる。

腹を壊さぬよう、たまに冷蔵庫の棚卸しをし、賞味期限、消費期限の切れたものは、惜しみなく廃棄する。

このように、自慢ではないが爺のお手本のような健康管理について書いてきたものの、健康に悪いと知りながら酒だけはやめられない。逆に言えば、私の健康管理は、美味しい酒をいつまでも飲むことができるようにするためかも知れない。

旨いものを喰い、美味しい酒を飲み、ゆっくり、のんびり無理をせず、が爺の健康の秘訣だ。


勤労に感謝

 

今年の11/23日曜日は「勤労感謝の日」で国民の祝日。法律では「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」とされているそして翌日の月曜日はハッピーマンデー制度で、今年は連休となる。

どうも、「勤労」と言うと、自分の現役時代を思い出し、なんとなくサラリーマン的な労働をイメージしてしまうが、もともとは「新嘗祭(にいなめさい)」と言い、収穫した農作物を神様に供え、感謝する儀式に由来している。宮中では天皇陛下が自ら育てた新穀を神々に奉り、自身も召し上がるらしい。

一方、アメリカでは11月の第三木曜日、今年は11/27が「サンクスギビングデー」で、やはり収穫を感謝する祝日だ。そして日曜日までの4日間が休日となる。家族や友人たちと七面鳥やパンプキンパイを食べる習わしだ。

日本の勤労感謝の日には特別な料理はない。なんとなく国民性の違いを感じる。

最近、日本でもやたらに「ブラックフライデー」というセールスが盛んだが、いったい何に由来しているのか知らない人が多い。そう言う私も去年まで知らなかった。

アメリカの第四木曜日のサンクスギビングデーからの4連休でクリスマスの支度をすべく、多くの人が買い物に走る。町には、買ったばかりのクリスマスツリーを屋根の上に載せて走る車が見立つ。そして、この金曜日からの週末がもっとも売れ行きが伸びると言われている。

その売れ行きは赤字だった店も黒字に転じることから「ブラックフライデー」と言われようになったらしい。

日本では勤労感謝の日から平日を挟んで次の金曜にあたるので、アメリカのような関連性はない。ただの安売り日だ。

昨年のこの時期、私はアメリカの娘の家に滞在していた、サンクスギビングデーの早朝にパンプキンパイの買い物の列に並んだり、翌日は買い物をしたりという日々をすごし、上記のような由来や一連の流れを知ることとなった。

勤労感謝の日、年金爺のわたしは何も勤労はしていないが、今でも度々老人ホームや社会福祉イベントで弾き語りを続けている。一緒に歌ってくれる先輩の方々の楽しそうな表情を見ていると、歌い続けていて良かったと思う。これも「勤労」とするなら、(勤労奉仕に近いが)今の私は勤労を続けられることにも感謝すべきだと思っている。


愛用しているインチとセンチ併記のメジャー
愛用しているインチとセンチ併記のメジャー

12進法と12

 

普段身の回りのお金の単位、長さ、重さなどは十進法が主流だが、気がついてみると身の回りには12の単位が、意外と多い。

時計の表示も12、そして12時間が半日、12ヶ月が1年だ。 干支は十二支、1ダースは12など、気にせずに12進法を使っている。

イギリスに旅行すれば面倒なのは金銭の勘定だ。1シリングは12ペンスだ。面倒なので、ついクレジットカードで払うことが多くなる。結果無駄な買い物が多くなるものだ。

木工では、アメリカのDIY専門誌を参考にすることもある。これも面倒なのは12進法だ。1フィートは12インチ。

以前、木工で自動車の模型を作るためにアメリカから取り寄せた図面では、全てのパーツの長さをインチからミリに計算し、書き直すのが面倒だった。そして実際の工作にかかれば、穴の直径がインチで記されている。これは日本のドリルビットは役に立たない。しかたなくアメリカに旅行したときにドリルの刃も一式購入した。そのついでにインチとセンチが併記してある巻き尺も買った。(写真)

12ではないが、アメリカでは速度がマイル表示なのも面倒だ。自動車のスピードメーターはもちろんだが、アメリカでのテニスや野球の試合中継を日本で見ていても、球の速度がマイル表示される。

つい先日、熱狂した野球のワールドシリーズでは日本人ピッチャーが大活躍したが、ピッチャーのなげる球の速度、100マイルで160キロと覚えておくと感激度も増してくる。そのほか、ここでは詳しくしないが、アメリカは重さ(ポンド)や液体の単位(ガロン)なども、単位がわかりにくく、日常生活ではとても面倒だ。

 

話を「12」に戻す。

まもなく1年の終わり、12月だ。やれ、クリスマスや年末と、付き合いの多い季節になる。

私の場合、毎年、暮れに翌年の干支人形を作る。干支は十二支だ。私の干支人形作りは鳥(酉)年から始めたので、全ての完成までには来年の馬(午)を含め、あと3年かかることになる。

そして12月は、私の大好物の生牡蠣が旨い季節だ。牡蠣も含め、貝類は12個が1単位だ。とても一人で12個は喰えないが、この季節、忙しい合間にも牡蠣の旨い店に行くのが楽しみだ。

 


語り・つぶやき・独り言

 

表題の他にも「たわごと」、「おしゃべり」、「ささやき」など、話すことの表現言葉はいろいろあるが、自分の考え方、思ったことを他人に理解してもらうように話すのは、とても困難なことだ。ましてや、初めて会った人、紹介された人などと話すのは難しい。苦手だ。

やはり夫婦、家族、恋人、気のあった仲間とのお喋りが気が置けなくて良い

 

象を、目の不自由な人に説明する難しさは、よく例え話として使われる。鼻だけ説明してもわからない、細い尻尾も、大きな耳も、そして巨大な体も、すべて説明しないと象の全体像は見えてこない。たった一頭の動物を説明するのも難しいことだ。

そんなこと気にせずに、自分だけの世界で会話を進める人がとても多いと感じる。

多くのご婦人方をみていると実に上手く会話をしている。

滞ることなく、おしゃべりは続く。いつの間にか話題はとんでもない方に行っていることも多々あるが、そんなことはお構い無しだ。

彼女らは、はたして人の話を聞いているのか、理解しているか否かは定かでない。

おしゃべりの上手い人は概して記憶力も良いように思う。喋るということが、脳に刺激を与えているのかも知れない。

私は、気にしすぎるのかも知れないが、自分から他人に接触するのが苦手になってきた。耳が遠いせいもあるかも知れない。初めて会った人との会話を流暢に進める才に欠けているのかも知れない。

しかし、酒が入ると気が楽になるせいか、気がつくとべらべらと喋っている自分がいる。喋りながら「ああ、オレ酔っているな〜」と思うこと度々だ。居酒屋で一人酒をやっていると、平気で隣に座った人に話しかけることさえある。酔がさめると、知らない人からラインが来ていたりしてびっくりすることさえあった。

一人で生活をするようになってから、気がつくと独り言が多くなった。

「旨いもん、喰いて〜な」とか、「どこかに行きて〜な」など、気がつくと相手もいないのに呟いていることも度々だ。もしや、これも老化現象なのかも知れない。

弾き語りライブをする度に、曲と曲の間に何を喋ろうと、いろいろ調べたり、メモなどをとって、お話しをするものの要領がわるく、いつもイライラしている。

面白い、つまらない、上手、下手はさて置き「おしゃべり」や「語り」を生業(なりわい)にしている人はすごいな〜と思う私です。

以上、今回はつまらない私の「たわごと」でした。

 


         文化勲章
         文化勲章

文化の日に思う

毎日が日曜日の年金生活をしていると、休日や祭日に疎くなる。つい最近もテレビで「こんどの連休はーー」などと話していると、「いったい何の連休なのか」と思い、カレンダーをめくる事が多くなった。現役の頃、連休はとても楽しみだったのに、と爺になった自分を省みる。

11/3は文化の日だ。この日を前後して、学校や自治体主催の「文化祭」も開催される。ここ鎌倉山でも近々「鎌倉山フェスタ」なるイベントが開始される。また、この日に先立って文化勲章や文化功労者が発表された。私は文化意識と常識に欠けるのか、勲章をもらった人の中で、王貞治とコシノジュンコぐらいしかわからなかった。両名とも80歳代半ばだ。勲章の受賞者と功労者の一覧をみたら、一番若い人で63才だった。

この「文化の日」とは何なのか、調べたら面白いことがわかった。113日は1946(昭和21年)に日本国憲法が公布された日とのこと。それではいったい憲法記念日(5/3)はどういう日なのか。それは、翌年194753日に憲法が施行された日とのこと。なにかややこしいが、文化の日は祝日法で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている。

「文化をすすめる」とあるが、それでは、日常気にせずに使っている「文化」とは何なのか。これまた、ややこしい。簡単に明確に説明するのは難しいようだ。あの広辞苑でさえ「人間が自然との関わりの中で築き上げてきた、物と心の両面の成果の総体」とややこしい説明が記されている。

「文化」という言葉は、永く使われている。歴史上では「文化」は年号としても使われた。「文化の改新」なども学校の歴史の時間に出てきた。そういえば「文化放送」というラジオ局もある。まあ、放送も文化の一端を担っていることは確かだ。

芸術や文学の他にも、言語も宗教も流行も、各国には素晴らしい文化が存在する

世界各地で戦争は収まることを知らないが、きっと多くの文化遺産が破壊され消滅していることを思うと心が痛む。

一方、80年間という長い間、戦争も内乱もない我が国には多くの優れた文化遺産も存在し、また、新たな文化も生まれ育っている。いろいろ問題を抱えながらも、長い目で見れば「平和なニッポン」と言えるだろう。


初の女性首相

 

10/21高市早苗氏が、我が国初の女性首相に選出された。彼女は元イギリス首相、「鉄の女」ことサッチャーを尊敬しているという記事を読んだことがある。彼女が「鉄」になることができるのか「鉛」や「アルミ」で終わるのか、外野の私としては「お手並み拝見」というところだ。

現在、国家のトップが女性の国は意外と多い。デンマーク、イタリア、メキシコなどは有名だが、他にもアイスランド、チュニジア、リトアニアなども女性が首相だ。あのウクライナも大統領は男性だが首相は女性だ。

他にもサモア、ウガンダ、ラトビアほか、女性が首相や大統領の国は多いが、今年2025年に入った途端、加速度的に女性がトップの国が増えている。モナコ、モザンビーク、チュニジア、リヒテンシュタイン、トリニダード・トバゴ、ウクライナ、リトアニア、全て今年から女性が国家のトップとなっている。いまや世界は女性に国を委ねる時代になりつつあるのだろうか。(題して「アマゾネス現象」、ちょっと大げさだね)

2016年のアメリカ大統領の選挙でトランプと争ったヒラリー・クリントンがもし大統領になっていたら、世界はどのようになっていたのだろう。

 

日本のトップは女性になった、そして首都東京都知事も女性だ。このように国家と首都の両方のトップが女性の国は意外と少ない。ネットで探してみたがアイスランドの首都レイキャビク市長、メキシコの首都メキシコシティの市長が女性だ。ざっと調べて国家と首都両方のトップが女性の国は日本のほかはこの2カ国ぐらいしかわからなかった。

女性が国家や組織のトップに居ること自体は特に否定はしないし、組織によっては女性の方が良い場合も多い。(その女性に対し、個人的に好き嫌いはありますよ)。家族という組織では、奥様がきりもりしている方が家族全体はうまくいくようだ。

男性・女性にかかわらず、問題は年齢だ。組織をハンドリングするのは能力も必要だが体力も必要だ。私の持論では、全ては70才定年制が良いとさえ思っている。

太郎爺さんのお気に入りサナエちゃん64才、横文字好きのユリコちゃんに至っては73才、この老齢女性達のもと、今後ニッポン・Tokyoはどこへ向かって行くのだろう。

(251026)


1970年 万博カナダ・ケベック館 一番右が後の女房
1970年 万博カナダ・ケベック館 一番右が後の女房

万博

 

大阪万博はやっと終了したようだが、私にとって思い出の万博は1970年に開催された第一回大阪万博だ。私は、放送局に務めたばかりのペーペーだった。新入社員は、不規則な仕事が多かった。深夜放送や明け方の番組の担当だった。

会社に出社するのが夕方、明け方5時半に仕事が終わる。そこから愛車(ダットサン・ブルーバード3Sクーペ)を駆って、ノンストップで大阪万博会場に何度も行った。後の女房がカナダのケベック館で働いていた。彼女は得意のフランス語が役に立っていたようだ。

彼女のお陰で、スタッフ用のパーキングに車を置くことも出来た。夜、会場が閉園してから各国のパビリオンのスタッフと酒を酌み交わしたりもした。いつも持参したギターが一役買った。中にはアメリカから来日中のフォークシンガーもいた。「おまえは英語の喋りは下手だが、英語の歌はうまい」と、妙な褒められ方をしたものだ。(いまだに同じだがーー)。

アメリカ館では毎夜のごとくバドワイザーの箱が山積みされ、ガビガビ飲みながら、とても賑やかだった。

もう55年も前の思い出だ。

私は、今回の大阪万博には全く興味もわかず行かなかった。身近では大学生の孫が友達と行ったぐらいだ。

今回は開始当初いろいろと問題も多かったものの、来場者も次第に増え、運営費も黒字になったと、良いことばかりが報道されている。しかし来場者の6割以上は関西人、関東から行った人はわすか2割弱とのこと。

スタッフとして海外から来日していた人が、このまま日本で暮らしたいという希望が多数出ているという。たしかに海外から比べれば安全、且つ美味しい国「ニッポン」なのだろう。

運営費は黒字らしいが、建設費、解体費は大赤字。建設費未納のパビリオンすらあると聞く。せめて開催中にテロや大事件が起こらなくて良かったものの、何億円という警備費は国が全額負担したらしい。行かなかった俺の税金も使われている。係争中の問題や、跡地利用の問題などもあり、全ての収支は実行委員会が解散するまでわからないという。それは2028年頃とも言われているが、はたしていつになることやら。その頃には万博の収支など話題にならないのかも知れない。

若かりし頃、胸躍った万博を思い出し、額に入った女房の顔を横目にしながらチビチビと酒を呑む私なのです。


秋の夜更けの心配事

 

この年齢になれば、だれでも今後のことが、何となく気になるものだ。生活のことで言えば、私の主な収入は年金だけだ。年に30回ほど弾き語りライブは継続しているものの、ボランティア的なものも多く、出演料収入は微々たるものだ。今の生活を維持するには、溜め込んだ貯金や株などを少しずつ削りながらの生活にならざるを得なくなる。削り尽くしてしまったら、どうなるのだろう。

生活費以外にも、もし病気になったら、ということも頭をかすめる。お陰様で、今のところは元気だが、こればかりは今後どうなるか、知れたものではない。毎年、鎌倉市の健康診断は近くの総合病院「湘南記念病院」で受けている。ところが、その病院がまもなく閉鎖されると聞く。院内も薄暗く、随分古めかしい病院だが、いざとなれば歩いて行くことのできる距離なので、便利だった。この病院が閉まったら、今までの私のデータはどうなるのだろう。

この病院以外に近くの総合病院といえば巨大な「湘南鎌倉総合病院」があるものの、体調を崩したりしたら、とても歩いて行ける距離ではない。近代的な設備がととのった綺麗な病院なのだが、あまりに多くの受診者が来るので、初診の場合などは、早くて半日は覚悟しないとダメだろう。しかも、ここは鎌倉市の健康診断の対象病院には入っていない。さらに、この病院が、以前公選法違反で検挙された「徳洲会グループ」というのも気にいらない。市の健康診断をやらないのも、きっと儲からないからだろう。

「生活費」、「病院」のつぎに心配なのは、俗に言う「デジタル資産」の問題だ。

世の中、なんでもデジタル化の波に乗り、スマホやパソコンに登録されているIDやパスワード、場合によっては「秘密の合言葉」などは、いったいどのくらいあるのか、今となっては全てを書き出すのは無理かもしれない。最近は指紋認証も多い。もし、急にバッタリ逝ってしまったら、銀行はじめ各種のキャッシュレスやポイントはどうなるのか。サブスクで毎月購入しているものは、その後も定期的に届いてしまうことになるのだろうか。

パスワードやIDをわかる限り、書き留めて封筒に入れ密封し、秘密の場所に隠してあるが、残された家族は、さぞかし大変なことになるだろう。

「みんな、なんとかしてるんだから、あまり心配しなくてもどうにかなるものだ」、と言う人もいる。

あとに残された兄弟・家族の仲がわるく、揉め事が多いという人もいる。その点、私の家族は仲がいいので、まったく心配していない。

他には、趣味の木工や音楽関連の膨大な雑物を処理するのがたいへんだろうな、と余計なことまで考えてしまうのである。

かすかに虫の声を耳にしながら、秋の夜更け、つまらんことに頭が行ってしまうのです。


脳の運動

 

<問題>「2で割ると1あまり、6で割ると5あまり、9で割ると8あまる数の中で、一番小さな数はナンダと思いますか。」

正解は文末(※)に記すとして、これは中学1年生の代数の問題である。

 

私は毎朝散歩をしているせいか、この年齢にして、体は丈夫な方だと思う。好きな酒はやめられないが、多少飲みすぎても翌日の生活に支障をきたす様なことは、あまりない。問題は「脳」だ。体が丈夫でも「脳」の方が心配になる。最近、人の名前、店の名前、料理の名前、好きな曲の名前さえ出てこないことが多い。とくに横文字は思い出せないことが多い。

つい先日も「クレソン」が思い出せない。和名の「チシャ」は出てくるのだが若者は和名ではわかってくれなかった。自分でもイライラするものの「これもトシのせいか」と我慢すること頻繁だ。これらの固有名詞、必要なときに出てこないのに、とんでもないときに「あっ、クレソンだった」と思い出したものだ。

そんな折、BOOK OFFで「中学数学問題集」という分厚い本が目についた。立ち読みして最初の問はすぐに解けたが、三問目に出てきたのが、冒頭の問題だ。店内の本棚の前で立ち読みスタイルのまま、しばし考えたがダメだった。

「よし、これを機に脳の運動もしてみよう」と、この問題集を買い込んだという訳だ。

中学生まで算数・数学は好きだった。特に幾何が得意だった。三角関数、ピタゴラスの定理、面積・体積の計算などは、趣味の木工の世界で今でも大いに役に立っている。数学で、急につまらなさを覚えたのは微分積分の頃からだろう。高校生になると、数学の成績は徐々に下降減少をたどることになる。

この年だからこそ、この問題集を解きながら、せいぜい中学生ぐらいの「脳」の活性化は図りたいものだ。

「体」と「脳」、残るは「心」の健康だ。これは私にとって、つくづく難しい問題でもある。

 

※冒頭の問題について

ヒント:これは最小公倍数の問題である。269の最小公倍数から1を引いた数となる。

正解:17

 

 


我が家のお宝、手塚治虫直筆サイン
我が家のお宝、手塚治虫直筆サイン

AIITCPUGPU

なんのこっちゃ!

 

最近の報道ではアメリカのNVIDIA(エヌヴィディア)という会社が、史上初の時価総額4兆ドルを超えたという。日本円で約585兆円だ。なにやらGPUの世界シェア80%を超えているという。行く末は、人間の能力を超えた人工知能の開発を目指しているというから恐ろしい。

最近の若者は、あのイーロン・マスクが設立したOpenAI社のChatGTPをさかんに使っているらしい。

わかったふりをして、書きだしてみたが、私にはよくわからない世界だ。昔はインテルという会社がCPUでは世界一で「Intel Inside」なんていうCMが多かった。GPUとかCPU、いったい何のコッチャ。知りたい人は自分で調べてくれ。

ニュースなどで毎日のように出てくる言葉はAI(人工知能)だ。パソコンで色々検索すると、まずAIによる解答が出てくる。最近の奥様たちはAIで料理のレシピを教えてもらうという。

昔よく使われた「ハイテク」なんて言葉は、今やほとんど聞かなくなった。

そう言えば随分前に総理大臣がITを「イット」と読んだことも、微笑ましい昔話だ。

スタンリー・キューブリックという、私が大好きな映画監督がいる。彼が1968年に制作した「2001年宇宙の旅」という映画にHALという名のロボットが登場している。 HALは人間の気持ち、言葉を理解し、感情さえ持っている。まるで現在のロボットのようだ。

今から50年以上も前に、未来を予測してこのようなロボットが登場する映画を制作したことにびっくりするばかりだ。

ちなみにHALという名称はアルファベットを1字ずらせばIBMになる。キューブリックはIBMという会社が、その後急成長することを予測していたのだろうか。

未来を予測するということで、もっとすごいのが手塚治虫だ。私が幼少の頃にはすでに「鉄腕アトム」というロボットを登場させている。「御茶ノ水博士」も懐かしい。

1964年に開催された東京オリンピックで、首都高速や新幹線などができた。羽田空港には浜松町からモノレールで行かれるようになった。あのころ、高校生の私はモノレールや宙を走る高速道路を見て、「まるで手塚治虫の世界だ」と思ったものだ。

あの第一回東京オリンピックから、すでに60年以上。技術は目覚ましい進化を遂げ、工場や病院などの施設ではロボットが活躍するようになった。私が時々行くラーメン屋ではロボットがラーメンを運んでくる。飲食店ではタブレットでのオーダーが増えてきた。

我が家のお宝、手塚治虫の直筆サインを横目に、スマホでさえ、使い方がよくわからない自分がいる。

まだるっこい自分、めざましく移り変わる世界に遅れをとる自分、さてこれからはどこまでついて行くことができるかが正念場となるようだ。

 


秋分の日

 

先週は「敬老の日」がらみの三連休だった。そして今週火曜日は「秋分の日」だ。俗に「シルバーウイーク」とも呼ばれている。

以前、私は「敬老週間」だからこの名前がついたと誤解していたが、これは5月のゴールデンウイークに対しての名称ということを聞いて少し恥ずかしい思いをしたことがある。

話はそれるが、なぜ年寄は「シルバー」なのだろう。私は、「シルバーシート」が登場した頃から、この表現が気に入らない。現役世代がゴールドなのだろうか、だれが決めたのか、好きになれない表現だ。

話を戻す。

秋分の日は、昼と夜の長さが同じ日だ。これを天文学的には「秋分日」というらしい。9/23が多いのだが、何日にするかは国立天文台が決めることらしい。去年は9/22だった。過去には1979年は9/24だった。天文学的には、それなりの意味があるのかもしれないが、なぜ「秋分日」が「秋分の日」として国民の祝日なのか、調べてみた。「国民の祝日に関する法律(祝日法)」によれば「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」ことを趣旨としている、と明記されている。昼夜の長さのことなど何も記されていない。

仏教の世界では「秋分の日」は彼岸の中日とされている。「彼岸」、つまり「此岸(この世)」ではなく、あの世「悟りの世界」を言うらしい。

彼岸花が咲いているのを見かけると、「そろそろ墓参りもしなければ」という気持ちにもなるものだ。この花、私は別名の「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」という方が好きだ。なにか情緒がある別名だ。

彼岸には仏前に「おはぎ」を供えるという。どうやら秋に咲く花「萩」をもじったものらしい。私は全く興味のない食べ物だ。中にはご飯が入っている。あれはおやつなのか食事なのか、なんとなく中途半端な喰い物だ。酒にも合わない。

そんなことはどうでもいいが、彼岸と言えば、私は今年から本家の墓を含め、二箇所の墓参りとなる。

 


敬老の日に思う

 

私は祖父を知らない。私が生まれたときには、すでに亡くなっていた。なんと46歳の若さで亡くなったという。一方祖母は95歳まで頑張った。夫の死別50年の法要に、私も参列したのを覚えている。我が家の家系では最も長生きした婆さんだった。

私の親父は83才、お袋は88才で逝った。当時としては、少しは長生きした方だろう。

9月第3月曜日は「敬老の日」だ。国民の祝日に関する法律によれば、敬老の日とは「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。また9/15から一週間は敬老週間とされているらしい。

それでは「老人」とは何だ。

昔は会社の定年は55才だった。それが、徐々に高齢化し、今は65才定年制の会社も多いという。

若いくせに、妙に年寄りっぽい人もいれば、高齢でも活躍中の人は沢山いる。芸能界では黒柳徹子や美輪明宏、ナベサダことサックス奏者の渡辺貞夫など皆90才超、さらに100才超えの佐藤愛子さんは現役の作家として活躍中だ。

一般には64歳以下を現役世代、6574歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者とされている。この「後期」という言葉にカチンと来る。

「お前はいい歳なんだから」と言われているような気がする。

なにか他の表現はないものだろうか。

10月には国勢調査も予定されている。ここ鎌倉市では80才以上の人が人口の10.4%を占める。10人に一人が80才以上だ。他の行政区は知らないが老人が多い市だと思う。来年には私も仲間入りすることになる。

80歳も超えて「隠居」できる人は羨ましい。自身の事も含め、全てを次世代に任せ、金の心配もせず、三度のメシも誰かが作ってくれる、気の向くままノラリクラリと過ごす。体が動くうちは、旅行に行くのもいいだろう。周りから「ご隠居さん」と呼ばれ、夢の「隠居生活」だが、どうやら貧乏性の私には向いていないようだ。

今週にはグループホームでの敬老会ライブもひかえている。いつまでも落ち着かない爺生活の自分、「隠居」は、夢のまた夢になりそうだ。


窓を開ければ黒い壁しか見えない
窓を開ければ黒い壁しか見えない

建築常識の変化

 

我が家の隣地に建築中の家の足場がとれた。そして我が家の一階北側の窓からは、真っ黒に塗られた新築の壁が間近に迫ることになった。

我が家の北側、つまり隣に建てられた家の南側だ。その壁には僅かに小さな窓があるだけだ。

べつに苦言を呈しているわけではない。あまりの建築様式の変化に驚いているのだ。

日本の建築では敷地の南側を、できるだけ広くとり庭にして、家の南側には大きな開口部を設けるのがあたり前だった。そうすれば陽当たりもよく、湿気もすくない。ところが建築中のお隣さんは、真逆だ。北側一面がガラス張りの開口部になっている。冬は寒そうだ。かつての建築の常識では考えられないことだ。

もしかしたら、南側に隣接する築30年以上の小汚い我が家を見たくないのかもしれない。しかし、お隣に家が建つということで、リスの糞などで汚れていた我が家の壁の塗り替えをしたばかりだというのに。

以前そこに建っていた家は南側に庭を設け、夏には簡易プールで遊ぶ子どもたちの元気な声がこだましていた。

さらに昔、そこには八重桜の大木があり、満開の春には、ご近所が協力して、夜に四方からライトアップして楽しんだものだ。

現在建築中の家は、さらに言えば、お天道様が登る東側には窓一つない。隣接する古い家に迫るように不気味な真っ黒な壁がそそり立っている。

最近、気にする人はあまりいないようだが、この家のように南と北が塞がれているということは家相も良くない。しかも玄関は逆鬼門にあたる位置だ。

時代の変化とともに、建築様式も変わり、上記のようなことを気にする、私のような爺も少なくなったのだろう。現在はエアコンや各種の機器で快適に暮らすことができるのかもしれない。今の人達は、家の見た目や眺望を優先しているのだろう。

現在は内装工事がすすんでいる。さて、どんな人が入居するのだろうか。せめて常識のある人が入ってくれることを祈るだけだ。


私のお宝

ホンダ・スーパーカブ

 

排気量50CCのホンダ・スーパーカブの生産が今年の10月で終了するという。私の足として2台にわたり30年以上、そしてこれからも乗り続けるであろうゲンチャリの代表格だ。

今年の11月から規制が強化される「二輪車排出ガス規制」に対応するには50CCの排気量では無理とのことで、現行の新型モデル「ファイナル・エディション」をもって生産終了となる。(これはスズキを初め各社も同様だ)

世界中で愛される50ccのカブ、2017年には1億台を超え、世界最多記録を作っている。ギア操作のないスクーター型の原チャリが普及しても、まだ売れ続けているカブは、郵便配達、新聞配達、食事の出前など多くのプロの「足」でもある。

 

私が現役の頃は、毎日、鎌倉駅近くの駐輪場まで乗って行った。真冬には厚い手袋をしても、ハンドルを握る指が凍りつくようだった。夏の暑い日はヘルメットが汗臭かった。

それほど遠くまで乗ったことはないが、西は平塚、東は葉山ぐらいまでは度々行った。特に真夏の湘南では渋滞もそれほど苦にならず、駐車も苦労しない。まさに私の「足」だ。

ガソリンも食わない。カブは俗に1リットル100㌔走ると言われているが、私の住んでいる所は起伏が多いこともあり、実感では6070㌔というところだろう。それでも、いつ給油したか忘れそうになる。

私の1台目のカブは燃料計がなかった。そのかわりサブタンクがあり、ガスケツになるとサブタンクのコックをひねれば相当な距離を走ることができた。現在の2台目のカブには燃料計がついている代わりにサブタンクはなくなった。

新しい「排ガス規制」の施行とともに、これまで50cc以下のバイクしか運転できなかった原付免許は、新制度では(条件付きであるものの、)125cc以下まで運転できるとのこと。

車関連の報道では日産のGT-Rも生産が終了するらしい。この車、一番廉価なもので11400万円以上もするので私には縁が無いが、カブと同様に日本の個性豊かな名車がなくなるのが、なんとなく寂しく感じるのは、車好きの爺には共通の気持ちだろう。

 


昨年の検査結果だ。ちょっとデブ、ちょっと血圧高め。あとはOK.
昨年の検査結果だ。ちょっとデブ、ちょっと血圧高め。あとはOK.

健康診断

 

自分は日頃、「なんとなく健康だな」と思っているが、本当にそうなのか確証はない。同年代の知り合いには癌、認知症、そしてパーキンソン病に悩む人もいる。私は毎朝の散歩や、できる限り規則正しい生活は心がけているものの忍び寄る「なにか」に対する恐怖は、常々感じている。

人間ドックに入って、すべて調べてみれば良いのだが、そこで何かが見つかるのが、これまた怖いのだ。

せめてーー、ということで私の住んでいる鎌倉市の健康診断だけは受けている。毎年、春頃にお知らせが来る。各種の検査項目があるものの、私宛の項目は毎年「大腸癌」「肺癌」「後期高齢者診断」の三項目だけだ。なぜ他の項目は書いていないのだろうと思っている。

もちろんオプションで依頼すれば他の検査もできるらしいが、いちいち予約が必要だし手続きも面倒なのでやっていない。

つい先日、いつものように予約をして健康診断を受けた。

具体的には、事前に自宅に届いた容器に採便をし、あとは当日に採尿、採血、胸部レントゲン、身長、体重、血圧、心電図、そして最後に簡単な診察を受けるだけだ。それぞれの順番待ちの時間も入れて、ほんの一時間ぐらいで終わる。料金は約2千円と駐車場代100円だけだ。

最後の診察では、毎年のように「血圧が高いですね、無理をしない程度に運動をしてください」と同じ事を言われる。

面倒なので「ハイハイ」と言うことを聞くが、心のなかでは「そんなこと百も承知だ。毎月150キロ以上も歩いているよ、知らねーだろう!」と呟く。

更に、「一度、内科の診療を受けてください」と言われるものの、どうせ降圧剤を処方されるだけに決まっている。できる限り新薬は避けているので、無視している。

血圧の高いのは分かりきっている。問題は「酒」だ。健康診断の前夜は酒を控えているせいもあり、終了した日は、乾いた喉に酒が染み入る。

他で少し気になるのは、ほんの少しずつ身長が減っていることだ。若い頃、168センチはあったが、今回の計測では165センチになっていた。これも老齢化のことで仕方ないのだろう。

 

同年代の仲間の訃報が届いたり、病気の話も多くなってきた。いまさらあがいても仕方ない事とはいえ、前述したように忍び寄る「なにか」に怯えていることも確かだ。今のところ、自然の赴くままという毎日を送っている。

 


盆に思う

 

盆休みも終盤になった。今年は戦後80年、終戦記念日も過ぎ、新聞各紙や放送では盛んに特集が組まれている。

8/6は広島に,8/9は長崎に原爆が投下された日だ。国内をはじめ世界各国から参列者が訪れていた。新聞やテレビ・ラジオでは早朝から式典の模様や関連するニュースを扱っていた。

 

つい先日、S君と暑気払いをしながらの雑談で驚いた事がある。

S君は某コミュニテイ放送局の経営者でもあり、自ら番組制作にも携わっている。

8/6に学生たちがスタジオ見学に来た。そこでS君は学生たちに「今日は何の日ですか?」と聞いたが、学生たちは誰も答えられなかったという。

彼が言うには、最近の若者は、新聞はもちろんのこと、テレビも見ず、ラジオも聞かないという。各種の報道にはほとんど関心がないらしい、とのこと。

驚いた私は、「それでは学生たちは、いったい何をして過ごしているのか」、と聞いたところ、S君が想像するには、SNSなどのネット、スマホでの情報、メールなどのやりとりが主たる情報源らしい、とのことだ。

それに付け加えて、もう一つ。8/69ともに学生の夏休み中なので、それも関心がない要因の一つだと思う、とも言っていた。

学生たちの全員がそんなことはないと思いたいが、言われてみれば新聞や放送では年寄向けの宣伝が目立つ。以前は主流をしめていたコカ・コーラやハンバーガー・チェーンなど、学生向きの広告は少なくなっているような気がする。

S君は、最後にこんな事を言った。

「長崎、広島も、そのうちに歴史の教科書に載っている応仁の乱と同じ扱いになるだろうな」

 

日本は唯一の被爆国だが、逆に言えば、アメリカは核で大量殺人をした唯一の国だ。そのアメリカの現大統領はノーベル平和賞ねらいの言動が目立つ。名誉とお金が大好きな大統領に世界中が不安を感じている昨今のような気がする。


AIに思う

 

最近は何でもAIだ。パソコンで検索をすると、まず出てくるのがAIの結果だ。

あのNHKが時々AIの音声でニュースをやっているのは気に入らない。弱小放送局ならいざ知らず、巨大NHKのアナウンサー達のメンツが潰れるような気がするのだが、いかがなものであろう。

生成AIは論文も書いてくれる。

最近の奥様たちは料理のレシピをAIに尋ねるという話も聞いた。

「AI」という言葉がない頃から車の運転ではナビを便利に使っている。その結果、ドライバーは道を覚えなくなり、土地感もなくなった。

AIは確かに便利だが、だんだん、人は考えることをサボるようになっているような気がしてならない。何をやってもAIに頼ればなんとかしてくれるので、自分の身にならない。ポータブルな翻訳機が発達し、外国語を知らなくても海外旅行で困ることはないという。努力して外国語を習得したわけではないので、当然ながら、それらの会話は身になっていない。それなら学校で習う語学の必要はないではないか。数学しかり、歴史、理科、すべてAIに頼れば解決する。

近い未来に車の運転も自動化するだろう。高価な金を払って自動車学校に通う必要はなくなるかもしれない。自動運転の時代になったら免許証はどうなるのだろう。現在のオートマ免許証のように、自動運転専用の免許証になるのだろうか。

グタグタと書いてきたが、デジタル・AIの発展とともに人間は馬鹿になるような気がしてならない。 

一方で、努力しないと出来ないことが「文化」だと思う。舞台芸術、音楽、スポーツなどが、その良い例だ。映画「国宝」が注目を浴びているが、その根底には人間のアナログ的世界への回帰を感じているような気がしてならない。音楽の世界では、楽器の演奏も、声楽も努力を重ね、築いた結果でなければ感動を呼び、称賛されることはないだろう。

NHK-BSで午後に古い映画「プレミアム・シアター」をやっているが、CG(コンピューターグラフィックス)がない昔の映画に、なんとも言えない手作りの熱い心を感じるのは私だけではないと思う。

 

人間はアナログだ。デジタル・AIは便利なツールに過ぎない。


道の駅「湘南ちがさき」

 

車で旅に出ると、途中に立ち寄る「道の駅」が楽しみだ。地元の野菜や特産品、名物、土産物などを売っているが、場所によっては温泉があったり宿泊施設がある所もあると聞く。私が時々立ち寄る富士の裾野の道の駅では富士から流れ出た天然水が飲み放題。これが実に旨い。

つい最近、湘南にも道の駅ができた。「道の駅 湘南ちがさき」。場所は茅ヶ崎市の端っこ、川を渡れば平塚市、我が家から約30分のドライブで行くことができる。出来たばかりのせいか、話題になっているので週末は避け、平日の午前十時半頃に行ってみた。ところが早くも広大な駐車場はほとんど満車。本棟から遥か離れたところになんとか停めることができた。ギンギラギンの太陽に炙られながらなんとか本棟まで歩く。写真のように、なかなか洒落た巨大な建物だ。

一階は売店、二階は飲食店だ。まだ午前中というのに、建物の中は大混乱。多くの人で賑わっている。地元の野菜、果物などの特産品を初め、菓子や土産物がずらーっと並んでいる。

わたしは、美味しそうなトマトをさっそくゲット。茅ヶ崎を銘打った各種の飲み物の中から「茅ヶ崎IPAビール」も買った。

 

ここに来た目的は鮮魚だったが、残念ながら売っていない。私が出遅れて売り切れになったのか、もともと鮮魚店は出店していないのかわからないが、ちょっとがっかり。パックに入った生しらすだけは売っていたが、我が家の近所にしらすの卸売り店があるので止めておいた。海産物は干物と真空パックのものがほとんどだった。

 

二階に上がる、ここも混んでいる。売店は長蛇の列だ。メニューをみてみたものの、特に私の食欲をそそるものはない。麺類やカレーのほかは、いかにも都会から来た人目当てのメニューが並んでいる。

人混みが苦手な自分は、そそくさと避難。滞在時間は1時間弱。申し訳ないが、とくに目を引くものは売っていなかった。

しかし、夕方飲んだ、「茅ヶ崎IPAビール」は旨かった、けれど高かった。

 

 

蛇足:マンホールの蓋がおしゃれだった。


免許更新

 

私は来年80歳の大台に乗る。久しぶりに友達と会うと、「まだ運転してるの?」と聞かれることも度々だ。私の兄も、何人かの知り合いも運転はしなくなり、愛車も手放している。しかし私は運転が好きだ。長距離でものんびり行けば、特に苦にはならない。この6月にも家族を乗せて浜松まで旅行に行った。3日間で約600キロ走った。(とは言うものの、最近は雨の日と、夜の運転は避けるようになった。当然ながら、たとえビール一杯でも飲んだら運転はしない。)

つい先日、車の免許更新をした。高齢者になると事前に「高齢者講習会」というのに参加しなければならない。簡単な認知症検査、視力、視野などの検査をし、最後は実際に運転をする。教官の指示に従って自動車学校のコースを運転する。免許更新には、その講習会参加証明を持参することが条件となる。

事前に来たお知らせのハガキには、8/4以後、免許証の更新は予約制になりますとのこと。面倒なことは嫌なので、その前に更新すべく地元警察署に行った。

今までとは違い3種類の免許を選ぶことになる。まず、今までと同じ免許証、そしてマイナンバーカードを免許証として使う「マイナ免許証」、最後はマイナ免許証と従来の免許証の両方を持つこともできる。それぞれに更新料金も違う。私はマイナ免許証を選んだ。財布にはいろいろなカードが入っているので少しでも軽くしたいと思ってもいた。

申請は、ATMのような機会でする。画面にはいろいろな指示がでるので、それに従って各種のボタンで書き込む。マイナンバーカードの暗証番号も記入する。すべて終わるとプリントアウトされた紙が出るので、それを係の人にわたして待つこと約30分。呼び出しがあったのでカウンターに行く。改めて視力検査をしてから持参したマイナンバーカードを渡す。眼の前でモニターを見ながら係の人がなにやら作業している。しばらくすると、マイナンバーカードを戻してくれた。このカードに免許証関連のデータ全てを入力したらしい。私はてっきり「マイナ免許証」という新たなマイナンバーカードを発行されるものと思っていた。これでは、今までの免許証のように、見るだけで免許の車種、免許証番号、次の更新時期などは、まったくわからない。この年になると次の更新時期を忘れそうなので係の人に聞いたところ、更新時期が近くなったらハガキが自宅に郵送されます、とのこと。新たな免許のデーターは、プリントアウトされた紙に書いてあった。免許証の色区分という項目には「優良」となっている、ちょっと嬉しい。いろいろな項目があるが有効期限は令和十年8月15日となっている。3年後私は82才になる。その年になっても特別なことが起きない限り、自分で愛車をころがして気ままに、のんびりドライブを楽しみたいものだ。


ゼンリンの地図とアメリカ滞在中に使ったカリフォルニア州の地図
ゼンリンの地図とアメリカ滞在中に使ったカリフォルニア州の地図

地図

 

朝の散歩、キョロキョロと人の家を見たり、行く先知らずの細い道をたどったり、鎌倉山中を巡り歩いているが、ふと気になった場所、家、神社仏閣などは帰宅後にゼンリンの鎌倉市地図で確認する。この地図(写真)、とても高価なので、個人で持っている人は少ないと思うが、私はとても便利に使っている。

小学校三年生の社会の時間に「日本地図」(たしか、帝国書院発行の教材用)が配られた。嬉しくて、家にもち帰り、いろいろなページをめくっては、旅行に行っている気分に浸っていたものだ。

時代は進み、いい気になって女の子を助手席に座らせてデートしていた若い頃、車の中には地図があった。その頃は、ほとんどの人の車には地図があった。

1970年代、アメリカに度々行くようになり、レンタカーを運転することも多くなった。地元の詳細地図を買った。家族と2ヶ月間カリフォルニアで過ごしたときも、いつも手元には地図があった。アメリカでは、路地のような細く短い道にも必ず名前がつけられている。とてもわかり易い。しかし日本のように、個人の家に表札をかかげる習慣はないので番地を目当てにするしかない。

そして現在、車の中に地図帳をのせている人はいなくなった。ナビ大活躍だ。人に道を聞かれることも無くなった。歩いて外出するときもスマホの地図に従っていれば、どこにでも行くことができる。

ナビとか〇〇マップと言われるアプリに頼れば世界中、迷うことはない。通信環境さえ整っていれば、外国に行っても持参したスマホのナビで運転していれば、日本語で案内してくれる。また画面に表示される道路の名前もカタカナで表示される。

それが良いのか悪いのかの判断は個人によって考え方は違うだろうが、英語の苦手な私にとってはありがたいことだ。

なんとも便利になった一方、道を覚えなくなった。方向感覚も薄れてきた。人間が開発した便利なツールで、人間がだんだんバカになってきているような気がしてならない。

ついでに、わが人生のナビは出来ないものか。以前、そんな事をご近所の先輩が言っていたことを思い出し、AIで「私は、何歳まで生きられますか」と聞いた所、当たり前だが、明快な回答はなかった。その答えは「平均余命」を参考にしろ、とのこと。

さっそく厚生労働省のホームページに載っている「平均余命表」(令和4年統計)を見るかぎり、私の年齢(約80才)では、あと約9年間の命らしい。

大分、話がそれてしまったが、わが人生の地図、行き先は自分で描くしかないようだ。 

<平均余命表>


現在の私の車、ワーゲンPOLO Noppe仕様(笑)
現在の私の車、ワーゲンPOLO Noppe仕様(笑)

車のはなし

 

昭和40年(1965年)に免許を取得し、最初に乗った車は中古のセドリック。その後のコロナ・クーペまでは親父が買ってくれた。

社会人になった最初の年に、自分で車を買った。日産ブルーバード3Sクーペ、月賦で買った。もちろんギアはスティックシフト。後に、結婚した妻と一緒に夏は軽井沢の友達の別荘へ、冬は苗場スキー場へ、休日には久里浜からフェリーで房総半島や箱根、富士山五合目など、デートはいつも車だった。

その後、結婚してワーゲンのビートルに乗り換えて以来、アウディ、ワーゲンゴルフ、そして今はワーゲンPoloとドイツ車が続いている。

毎朝の散歩で他人の家のガレージにとめてある車を見るのも楽しみのひとつだ。とても不便な土地柄か複数台の車を止めてある家が多い。外車も多い。それもほとんどがヨーロッパ車だ。ベンツ、ワーゲン、アウディ、ミニクーパー、レンジローバー、ポルシェなど。アメ車はとても少ない。

トランプ大統領がアメ車をもっと買えと迫っているが、日本仕様(右ハンドル、メーターがキロ表示(アメリカはマイル表示))のアメ車は少ないようだ。我が家のご近所で見かけるアメ車では、テスラとジープは右ハンドルだった。上記したヨーロッパ車は1台(ベンツのSUV)をのぞいて、全て右ハンドルだ。

ベンツ、アウディ、ワーゲンなど、よく売れているヨーロッパ車はテレビでもコマーシャルをやっている。アメ車のCMは見たことがない。

日本仕様にするなり、CMを流すなり、売る努力もせずに「買え買え」と、いくらほざいても売れるわけはない。

シボレー・コルベット
シボレー・コルベット

一方、昔のアメ車にはロマンがあった。懐かしのテレビドラマ「ルート66」に出てくるシボレー・コルベット、初代ムスタングの精悍な顔つき、他にもポンティアックGTO、巨大なキャディラック、シボレー・カマロ、などは若者の憧れの車だった。いまや時代が変わった。若者の自動車離れもすすんでいる。そして国内外を含め、昔のような個性的な車も少なくなった。

このような事を書きながら、あのトヨタ美術館のすばらしいなコレクションを再訪したくなってきた。

 

いつかカッコいい車に乗りたい、と思っていた若い頃の夢も、この歳になると大分錆びてきた。あとは霊柩車が待つだけか!


猛暑

 

関東の梅雨明けはいつ頃になるのだろう。梅雨といえば雨が続くのが当然だが、今年の梅雨はカラ梅雨というか、まるで真夏のような猛暑日が続いている。たまに雨が降れば南洋のようにスコールまがいのどしゃ降りになり被害も多いようだ。

雨は決して好きではないが、昔の雨はそれなりに日本ならではの「季節の移ろい」を感じられたものだ。歌にあるようなシトシトピッチャンの雨はどこへ行ったのだろう。

最近、耳にしたのだが、最近のアパレル業界は日本の季節を四季ではなく「五季」ととらえているという。「春・夏・猛暑・秋・冬」の五つの季節に分類しているらしい。それも頷ける。

世間では毎日のように酷暑が報じられているが、ここ鎌倉山で生活している限り、緑が多いせいか、少しの時間ならまだ耐えられる程度の暑さだ。

先日所要で久しぶりに都内に行った。駅から出たとたん、むせ返るような暑さに呆然とした。日光の熱さもあるが、アスファルトからの反射熱がすごい。足元からムラムラと熱気が上昇してくる。歩くこと数分で、汗みずくになり頭はフラフラしてくる。熱中症になってしまいそうだ。娘がプレゼントしてくれた日傘を忘れたことを後悔した。

この猛暑、日本だけの話ではないらしい。パリやローマでも連日40度を超える猛暑だという。ニューヨークの夏も暑かった思い出がある。

考えれば、このように年間を通じて温度差が激しい土地で文化・経済が発展するのが不思議だ。考えようによっては、気候が安定している方が暮らしやすいし、経済や文化が発展しても良いように思うのだが。

いつ行っても気候の変化の少ないハワイ。ベトナムのダラッドという町は「永遠の春の町」と言われているという。地中海気候のポルトガルも年間を通じて温度差が少ないらしい。このような所に目立った経済・文化の発展がないのが不思議だ。人間はある程度の寒暖の刺激がある方がいいのだろうか。

まあ、あまりむずかしいことは考えず、酷暑には茹でたての枝豆とキリッと冷えたビールが最高だ。


          映画「ファーザー」
          映画「ファーザー」

忍び寄る恐怖

つい先日のこと、娘と愛犬「グリ」と散歩していると、低空をブヲ〜ンと音を響かせながら、プロペラ機が西の方向に飛んでいった。

私、「ほら、米軍の・・・何て言ったっけ・・・時々事故を起こすあの飛行機、というかヘリコプターみたいなやつ・・・」

娘、「しらな〜い。興味な〜い。」

この飛行機の名前が、思い出せないまま散歩は無事に終わり、帰宅して数分後、「オスプレイ」という名前が、やっと頭に浮かんだ。

最近、こんなことが続いている。人の名前、場所の名前、店の名前など固有名詞が思い出せない。幼い頃のことはよく覚えているが、ここ230年に登場した固有名詞が出てこない。

免許証更新に必要とのことで先日「高齢者講習会」に参加したが、記憶のテスト結果は、特に問題なかったようだ。とは言いながら、毎日、万年筆で日記を書いているのに、簡単な漢字が出てこない。

とり溜めしたビデオの『ファーザー』(The Father)という映画を見た。2020年の作品。 出演はアンソニー・ホプキンスとオリヴィア・コールマンなど。内容は、認知症によって過去の記憶と目の前の現実の境界線が曖昧になっていく高齢男性を描いている。映画は認知症の主人公の目線で作られているのがとても興味をひいた。第93回アカデミー賞では主演男優賞を受賞している。たしかに彼の演技は素晴らしい。

映画を見ながら、まもなく到来するかもしれない私の姿が頭の中をよぎった。

 旧来の仲間にも、そんな兆候を感じられる人が何人かいる。いったい私は、どうなるのだろう? なんとなく忍び寄る恐怖におびえている今日このごろだ。

 ※映画「ファーザー」はAmazon Prime Videoでも見られるようです。

 


鎌倉山夫婦池

 

相変わらず、毎朝の散歩を欠かさない。20205月から記録を取り始め、いままで約8,900㌔を歩いた。一ヶ月に150キロのペースだ。このぶんで行くと、来年の春には1万㌔に達するだろう。

このページで何度か書いたが、ここ鎌倉山は散歩の聖地だ。季節の草花や鳥の声が響き、自然にあふれ、季節の潤いを感じることができる。しかしバスがどんどん減便されるのは不便こよないが、自然が守られているのも不便の効用ととれば、それも良し。

散歩は特に決まったコースはないが、今回ご紹介するのは「女夫池公園(めおといけこうえん)」だ。鎌倉山交差点からバス道路を上がりきった辺りに入口がある。

以前は、階段もなく荒れ果てていたが、その後、市の整備が行き届き、今はとても歩きやすくなった。反面、池にそそぐせせらぎに生えていたクレソンが取れなくなったり、清水を飲むこともできなくなった。

散歩で、この池まで来ると周りの緑や池をながめ、一休み。運がよければ、水色とオレンジ色の羽を配したカワセミを見ることもできる。写真を撮ろうとしても、私のような鈍重な身では、その俊敏な動きをとらえるのは、とても無理だ。他にもゴイサギや真っ白なサギを見ることもある。

池には何匹もの鯉がおよぎ、おどけた亀が首を出す。

 

        ハンゲショウの群生
        ハンゲショウの群生

昨年の夏、なにげなく散歩をしていて感動したのはハンゲショウ(「半夏生」または「半化粧」)の群生だ。今年もまもなく見られるだろう。楽しみだ。

春には桜の大木が華麗を競う。

上池(うえいけ)と下池(したいけ)に別れた二つの池は、約330年前の江戸時代に、農地を潤すために作られた灌漑用水とのこと。

山の方から流れ出る清水が四六時中チョロチョロと池にそそいでいる。

池に沿ってすこし下ったところには管理棟もありトイレや駐車スペースもある。お弁当でも持って家族連れで行ってみるのもいいだろう。私の自慢のコースでもある。

 

蛇足だが、「夫婦」と書いて「めおと」と読ませるのは、どうも馴染めない謎だ。


たった一箇所の信号

 

私の住む鎌倉山は1丁目から4丁目まで、880世帯、2050人が暮らしている。小さな道は沢山あるが、主な道路はバス通り1本だけだ。国道も県道も通っていない。そして信号は俗称「鎌倉山ロータリー」に一箇所あるだけだ。鎌倉方面に向かい、山を下りきった所にも信号はあるが、住所は常磐となる。

たった一箇所の信号で思い出すことがある。現役時代に、仕事絡みで伊豆七島の新島、式根島には度々行った。この二つの島は、同じ行政区「新島村」だ。 この新島村に信号は一箇所しかない。夏には多くの観光客が訪れるとは言え、信号が必要なほどの混雑はない。

しかし、島の人が言うには、この信号が小さな子供に、交通ルールをおぼえてもらうのに役立っているという。

新島村の多くの若者は大きくなると、島を離れ都内や近県で暮らす。島には、高校まであるが大学はない。免許を取るにも大島まで行かないと教習所もない。そして、大人になるとまた島に戻り自動車に乗る。

面白いことに、新島村(二つの島の合計)の人口は約2800人、鎌倉山の人口よりは多少多いものの、この程度の人口には1行政区に信号一箇所で用が足りるのだろう。

話を鎌倉山に戻す。鎌倉山ロータリーから鎌倉方面にバス通りの坂を登りしばらく行くと、鎌倉山集会所がある。先日開催された「鎌倉山ミュージック・デイ」のハブ的な会場でもあった。私もここで何回か弾き語りをしたこともある。この施設がある四ツ角は、海を目指すのにも、深沢経由で大船に向かうのにも便利な四ツ角だ。以前、ここに信号を敷設してほしいという声があったらしいが、実現には至っていない。私はそれで良かったと思う。

運転する人たちの譲り合いの心があれば、人口2千人足らずの鎌倉山には信号は一箇所で充分こと足りている。

ここ鎌倉山は現在世代交代が進んでいる。昔からある大邸宅の土地が徐々に分割され、販売されている事が多い。そして多くの新築工事が進行している。当然、数年もすれば人口も世帯数も増えるのだろう。しかし、なんとかここの素晴らしい自然を守るためにも、新たな信号など敷設しなくてもすむように、お互い譲り合いの心をもって優しい運転をしてほしいと思っている。

 


体組成計

 

毎朝、散歩から帰るとシャワーを浴び、恐る恐る体重計に乗る。愛用のタニタの体重計は正式には「体組成計」と言うらしい。購入したときに身長と年齢などをインプットしておけば、ただ乗っかるだけでいろんなデータが出てくる。

お恥ずかしながら、私の最近某日のデータは体重70.4㌔、BMI 24.6、脂肪率18.1%、筋肉量54.6、内蔵脂肪レベル15.5、基礎代謝量1560 Kcal、体内年齢63才だ。

ざっくり言えば、肥満気味というところだろうか。

これらのデータが自分の健康にどのように影響するか、ぼんやりとしかわからない。

BMIは話題にもなるので、「デブ具合」ということはわかるものの、「基礎代謝量」とは一体なんぞや。それは「生命維持のために最低限必要なエネルギー」とのことだが、それでもよくわからない。

その計算式は男性の場合 <13.397×体重kg4.799×身長cm−5.677×年齢+88.362>、女性は<9.247×体重kg3.098×身長cm−4.33×年齢+447.593>とある。

試しに計算して見たら、私の基礎代謝量は1389.57 Kcalと計算された。体重計で出てきた1560とは違う。

内蔵脂肪レベル15.5は少し高いような気がする。 この値をネットで調べたら「極的な運動や食事制限による減量が必要です」とある。このトシになって無理して減量したりするほうがヤバイのではと思う。ばからしいとは思いながら、毎朝この数字に一喜一憂している。

 

いろいろなデータに惑わされることもなく、要は健康であれば良いのだ。とは言いながら、せいぜい自分の身長から100を引いたぐらいに体重を落としたいところだ。

こんなデータを横目で見ながら、今夜の一献、ツマミは何にしようと決めかねている自分がいる。「喰い意地」爺には難題だ。

 


家紋

 

菊の御紋といえば天皇家、葵の御紋といえば徳川家、それほどの名家ではなくとも各家には家紋があった。同じ家紋を使っている家は、どこかで先祖の繋がりがあることも考えられた。私が小さい頃までは、紋付きの羽織など、一般の生活にも縁があったが、最近はあまり縁が無くなった。自分の家の家紋を知らない人も多くなっている。

家紋は、一般的に同じ苗字のものが同じ家紋を使うのが本来だが、本家と分家が分かれた時に、区別するために家紋を変えることもある。分家の家紋は、本家の家紋に少し手を加え、丸などで囲ったりするなどの工夫が加えられることが多いらしい。

 

話は変わるが、私は二人兄弟の弟である。随分前の話だが、私の祖母が亡くなり稲生家代々の墓地に埋葬するときに、はじめて墓の中を覗いた。わりと広いので、常識知らずの私は「これだけ広ければ俺も入れそうだな」と言ったら、母親から「あなたは分家だから、ここには入れません」と言われた。このとき初めて本家分家ということを意識した。

稲生家の家紋は七曜の紋だ。分家の私はこのシンプルな紋様が気に入っているので、大した抵抗もなく、この紋様を木工細工でも模様の一部につかっている。また、この七曜の紋の焼印を注文し、上手にできた作品には、箱の裏など、あまり目立たない所に焼き付けている。気に入ったギターには専門家に依頼して、この家紋のインレイ(象嵌)を入れた。兄も、そんなことを知りながら特に気にしてはいないようだった。 

しかし、母親に言われたことがずっと気になっていたので、分家の私は仕方なく十年ほど前に生前墓地を購入した。二人の娘もすでに嫁いでいるので私と妻が入れるだけ、定員二名の小さな墓である。

墓地の造作の際、「墓石に、なにか模様でも掘りますか?」と聞かれた。新しい墓地のせいか、確かに周りの墓石にはオートバイを描いたもの、花やピアノなど、趣味や好きなものが掘られている墓石がある。

咄嗟に、私は「七曜の紋」を掘ってくださいと、言ってしまった。

しかし、七曜の紋は、本家の家紋だ。多少気になったので、改めて兄に了承を得て使わせてもらうことにした。みっともないほどデカい七曜の紋が、ド〜ンと刻まれている。

兄の子供は三人娘、みな嫁いでいる。兄と私がいなくなれば稲生家は絶家となる。そして、この家紋も使われなくなると思うとちょっと淋しい気がするのも歪めない。

 

(250525)


生活のリズム

 

季節によって多少時間のズレはあるが、今の季節だと午前4時半、自然に目が覚める。まずデスクに向かい前日の日記をつける。仏壇に線香を灯し、手を合わせたら、5時から1時間のウオーキング。帰宅してシャワーを浴び、日によっては洗濯機のスイッチを入れ7時から食事を作り出す。7時半朝食。食べ終わったら歯を磨き、食器を洗い、ゴミ出しだ。

午前中は、主にデスクワーク。調べものをしたり、メールチェック、ホームページの文章を書いたり、曲の譜面をかいたり、木工の設計をしたり。あっというまに午前中はおわる。

11時半、ランチの用意、といっても麺類や簡単な料理だ。正午にテレビのニュースを見ながら昼飯。後片付けがおわったら午睡を約半時間。

午後は日によって買い物に出たり、工房に入ったり、庭仕事をしたりする。雨の日は溜め撮りしたビデオを見たり、CDや書類の整理をすることもある。夕方、犬と娘と散歩。

6時半、その時間まで我慢していた晩酌だ。簡単なツマミとビール、または簡単なカクテルを楽しむ。7時から晩飯の用意をして7時半から食事、後片付をして、メールチェックや次のライブの練習をしたり選曲をすることが多い。9時半ころにはベッドに入り自然に眠るまで本を読む。

長々と書いたが、これが私の生活のリズムである。もちろん友人や家族と外に行くこともあるし、旅行もするが一年のうち百日以上は、こんな感じですごしている。貧乏性の私は、じっとしているのが苦手だ。

このリズムが崩れると妙に疲れる。崩れる原因が旅行や外食など楽しい要因ならまだ良いものの、不愉快な原因の場合には体調が悪くなり精神的にも不安定になることが多い。

音楽と同様に、ずっと続く同じリズムは心地良いが、ちょっと飽きることもある。そんなときはドライブや映画を見たりするものの、その結果、やはりいつものリズムが大事だと感じる。

人それぞれのリズムがあると思うが、八十才前後の爺婆は、普通どんな生活を送っているのだろう。

リズムがかけはなれた人と、長いあいだ過ごすと不協和音を感じる。

私と同じ、または近いリズムを刻んでいる人がいたら、ぜひ会ってみたいものだ。

(250518)


 

門扉

 

いきなり、汚い貧相な門扉の写真で申し訳ない。我が家の門扉である。

この門からスタートし毎朝の散歩だ。鎌倉山にめぐる四季を楽しみ、鳥のさえずりに耳を傾けながら歩く。この季節は八重桜も散り、ツツジもシャガも峠を超えた。筍はグングン背伸びをし、ミヤコワスレの濃紺の花が輝き、スイカズラは淡い色の花をつけている。

散歩をしながら、ふと気付いた事がある。それは家々の入口のことだ。

アパートやマンションは別にして、旧来日本の一戸建は門を開けて玄関に通じるのが普通だった。大きなお屋敷には裏門もあり「〇〇勝手口」と書かれてあった。

昔は夜になれば門扉に鍵をかけ、玄関にも鍵をかける。祝日には門の傍らに日の丸が風に舞う。そんな家がほとんどだった。ここ鎌倉山でも、昔からある家には立派な門扉があり、玄関へと通じている。長屋門のような巨大な門扉もあれば鉄製の洋風なものもある。その昔、ここの近くから切り出された鎌倉石で積まれた古い門柱も見かける。

ところが、気がついてみると、最近は門がない家が多くなっている。当然、門扉もない。それに替わるのがガレージだ。このあたりはバスも徐々に減便され、とても不自由なためか、多くの家に2台の車が止まっている。門を作るようなスペースはないのか、それとも欧米風の家にしたいのか、門がない。入口辺りにポストとインターホンのスイッチがあるだけだ。なんとなく不用心だと思うのは歳のせいか。

そう言われれば、欧米の住宅には、よほどの大邸宅以外には門扉がない。

 

外出から戻る。車の中からリモートスイッチで巨大な電動の門扉が、ゆっくりと両側に開く。邸内に入り砂利道をすすむと玄関の車寄せに車をとめる。綺麗に手入れされた芝生の庭の片隅には噴水を囲むようにテーブルや椅子が備えてある。

むかし、メンフィスにエルビス・プレスリーの邸宅を観光した事があるが、まさにそんな家だった。邸内には馬場もあった。小高い庭の一角にプレスリーと彼の双子の兄弟の墓がある。一説によると、プレスリーの遺骨は盗難を避けるために別の場所に埋葬されているとのことだった。

映画に出てくるような、そんな家に住んでみたいものだ。叶わぬ夢。来世には少し酒も控え、夢に近づきたいものだがーー。 

 

歩き疲れ散歩から帰宅、うす汚れた我が家の門扉をあけながら思う。「やっぱり無理かな!」

  


ことばの畑

 

毎週ホームページに何かを書いていると、自分の語彙の貧弱さ、表現の貧しさに困惑することが多い。まあ、自己満足のホームページなので、特に人に害を与えたりすることはないだろうと、いとも気軽に考えている。しかし、本を読んだり、人と話していると、とても懐かしいコトバ、素敵なコトバ、知らなかったコトバにであうことが多い。いつか、そのコトバを使ってみようと思うことも多く、それらをまとめパソコンに「ことばの畑」というファイルをつくっている

時代とともにコトバは変化する。昭和45年、東京の銀座通りで「歩行者天国」が始まった。略して「ホコ天」とはよく言ったものだ。長髪は「ロン毛」、焼酎ハイボールを縮めて「チューハイ」この様に略語が反乱している。先日も「取説」ってな〜に、という人もいた。まさかと思いながら、試しに広辞苑をひいたら、ちゃんと「取扱説明書」と掲載されていた。広辞苑もなかなかやるね!

わたしの「畑」には懐かしいところで「アジャパー」、「べっぴんさん」、「荷札(えふ)」、「一張羅(いっちょらい)」、「ガリガリ亡者」、「踏切番」、「目方」などがある。若い方々には意味不明かもしれない。

いつか使ってみたいコトバには「正鵠(せいこく)を得る」、「一知半解の輩(いっちはんかいのやから)」、「無為徒食」、「ふくら雀」などがある。

普段使っているコトバの中にも、私の好きな素敵なコトバも多い。「まどろむ」、「雪あかり」、「暮れなずむ」、「夢現(ゆめうつつ)」、「とつおいつ」など、いつの日か作詞でもするときには使ってみたいコトバだ。

コトバについて、最近気になるのが、やたら英語が多いことだ。「タスクフォース」、「コンプライアンス」、「ガバナンス」、「キャスティングボード」、日本語で表現できるコトバなのに、わざわざ英語を使うのが気に入らない。現東京都知事や一部の政治家は、これらの横文字がお好きなようですね。

 

「コトバの畑」という私のファイル、コトバのコレクションではない。辞書でもない。集めたコトバを自分で使ってみなければ意味がない。コトバを耕し、育てなければならないが、なかなか難しいのが本音だ。

(250504) 


挨拶

 

雨が降らない限り、毎朝約1時間、ゆっくり約3.5キロを歩く。冬は6時過ぎ、最近は5時半ぐらいに家を出る。だいたい毎日同じ様な人に出会う。一人の人も多いが、犬の散歩をしている人、夫婦連れもいる。毎朝のように顔を合わせていると、自然に挨拶も交わすようになるものだ。

挨拶も、ただ頭を下げるのにはじまり、「おはようございます」と声をかけるようになり、徐々に「いい天気ですね」「今日は富士山が綺麗」などと簡単な挨拶をすることもある。

「おはようございます」という朝の挨拶で、ふと気になったことがある「――ございます」という丁寧な挨拶は朝だけだ。お昼に「こんにちは」夜には「こんばんは」いずれも「――ございます」は使わない。

「ございます」は、例えば「老眼鏡の用意がございます」とか「鎌倉の稲生でございます」など、人に対して丁寧に説明するときに「――ございます」を使う。どうして朝だけ「おはようごいます」なのだろう。不思議だ。

私の務めていた放送業界の制作現場などでは、昼であろうと、夜であろうと挨拶は「おはようございます」だ。なれないうちは抵抗があったものの、毎日スタジオに出入りするようになると自然と「おはようございます」が出るようになった。

とっくの昔に現役を引退した今でも、ライブハウスに出演するときなどで楽屋に入ると、つい「おはようございます」と出てしまうことがある。

挨拶について考えると面白い。海外では、頬をすり合わせたり、ハグしたり、夫婦間や子供にキスをするのは日常の行為だ。日本では、最近でこそ「ハグ」とか「ハイタッチ」をする人も増えてきたが、基本的には相手の体には触らない。せいぜい「握手」ぐらいだろう。

握手も、やりかたで随分印象が変わる。こちらがギューッと握っても、なにも握り返さない人もいれば、痛いほど握り返す人もいる。私が嫌いなのはフニャフニャの握手だ。なんとも頼りない人のように感じてしまう。

挨拶も含め、素敵な美術品などに「触れてみたい」という気持ちは誰にでもあると思う。それは人間も同じで、オジサンは素敵な女性をみれば「触れてみたい」というのは自然だろう。いっぽう「触れられたくない」という気持ちもわからないではない。

体調が優れなく横になっているときに、見舞いに来た人が手をあててくれるだけで、なんとなく温かみが伝わるのものだ。どこかのコマーシャルにもあったが「手をあてると書いて手当」だ。

触れる、触れないは別にして、心のこもった挨拶を受ければ、こちらの心も温まるというものだ。

(250427)

 


今、まさに巣箱から飛び立つ親シジュウカラ
今、まさに巣箱から飛び立つ親シジュウカラ

シジュウカラ再来

こころ癒される小鳥たち

 

今から3年ほど前、巣箱をつくり山帽子の木の幹にくくりつけておいた。何の鳥も寄り付かないのであきらめかけていた昨年の5月、小さな鳥が巣穴から出て来たのを発見。それは感激したものだった。

その姿と特徴でシジュウカラということがわかった。

5月末には小鳥が巣立ったらしい。親鳥も巣に寄り付かなくなった。夏になり、恐る恐る巣箱を覗いてみた。細い枯れ草や小枝を複雑に組み合わせ、なんとも暖かそうなフワフワの巣が残っていた。

巣箱は綺麗に掃除をしておけば、翌年に再来するとのこと。で、屋根を一時的にはずし、古い巣はとりだして、中も掃除をしておいた。

 

先月末に娘が、葉っぱを口にしたシジュウカラが巣箱に入るのを見たという。

掃除をしておいた甲斐があり、今年も戻ってきてくれたのだ。以来、頻繁に巣箱の小さな穴に出入りする姿を見る。内側を覗くわけには行かないので、何をしているかはわからない。巣作りは終わったのだろうか、卵を温めているのだろうか、わからない。しかし、もう少しすると、かすかに小鳥のチュンチュン言う声が小さく聞こえるだろう。

シジュウカラの親鳥は巣箱の近くの枝に一時とまり、その後あっという間に小さな穴に直接飛び込む。巣から飛び立つときは、一瞬穴から顔を出し、次の習慣に目にも止まらぬ速さで飛んでゆく。

 

巣箱の穴のサイズは鳥によってミリ単位で異なる。このシジュウカラ用は直径27ミリ、スズメは30ミリ、ムクドリは50ミリだ。

我が家の雑草だらけの庭には、巣箱の他にも鳥の餌台、水飲み場などを作ってある。餌代に余ったパンくずやご飯を置く。気がつけば全てなくなっている事が多い。水場では、水を飲む以外にも、水を跳ね上げて水浴びをする小鳥たちが多い。水浴びをしたあとに体中をブルブルと震わせて雫(しずく)を飛ばしてから、飛び立っていく。シジュウカラの他にも雀、野鳩、ガビチョウ、オナガなどが水浴びに来る。これらの小鳥達の愛らしい姿を見ていると心が癒やされる。

近いうちに、違う種類の鳥の巣箱も作ってみようと思っている。

 


高齢者講習会参加レポート

 

問題:左の3種類の標識はどういう意味でしょうか? 正解は文末に。

 

運転免許の更新を夏に控え、高齢者講習に行った。会場は自分で選択できるが、私は自宅から近い自動車学校を選んだ。前回の免許更新の前にも、ここで同じような講習を受けたことがある。

最初は30分程度のペーパーテストがある。まず、16の絵柄がスクリーンに投影される。それを覚えておいて、別のテストがある。その後に、前に見せられた幾つの絵柄が思い出されるかというテストがある。私は恥ずかしながら10しか答えられなかった。このペーパーテストの最後は今日の年月日と曜日、そして時計を見ずに、今何時頃かという記入だ。

この認知症テスト終了後に「認定認知機能検査結果通知書」という、仰々しいタイトルの成績書類が各自に配られる。私の結果は「認知症のおそれがある基準には該当しませんでした」という、これまた妙な表現で書いてあった。

休憩を挟んで、実車テスト。多少オーバーアクションで注意をはらいながら運転したら、うまいと褒められた。

そのあと適正検査として、静止視力、動体視力、夜間視力、視野のテストがある。私の結果は、まあ「歳なみ」ということらしい。

それら検査と講習の間にはビデオを見ろと言われる。それにしても、なんとも非能率的な講習だ。朝9時から12時半まで3時間半にも渡る講習会。今回は受講生の年寄はたった9名なのに、1時間以上は休憩とか順番待ちとなる。

教室は汚く古ぼけ、視力や視野のテストに使う機器は経年変化で薄汚れ、実車講習に使った車両はみすぼらしく、塗装など剥げている。聞いてみたら18年も前の車だと言う。年寄の試験に使う車は、やはり年寄りだった。講師も年寄だ。妙な訛りがあるのが気になった。

この種の講習会ではタブレットを使うということを聞いたこともあるが、この会場は全て古式騒然とした方法だった。

そして、料金は12,000円も取られる。

最後に「高齢者講習終了証明書」なるものが渡される。こ書類が免許の更新に必要とのことだ。

この制度、なんとなく胡散臭い。何かの「からみ」があるように思えて仕方ないが如何なものであろう。

 

※問題の答え:左から順に「優先道路」「安全地帯」「自転車以外の軽車両通行止め」


一生の宝

 

この季節になると社会人になった頃を思い出す。あの頃は就職を前にして会社訪問という習慣はなかった。ただ音楽絡みの仕事がしたくて、私はフジテレビとTBSを受験した。TBSの発表の方が早かった。人事課より自宅に電話があり、某日、印鑑を持参して人事課に来てくれという。指定された日に赤坂のTBSに行くと、人事課の人と、どういう訳かアナウンス室長という人がいた。そこで「あなたはアナウンサーとして入社してほしい」と言われた。私は音楽番組を制作したかったが、ここでハンコを押さないと入社できないのだろうかと思ってしまった。もしフジテレビも落ちてしまったら就職浪人だ。しかたなくハンコを押した。帰宅したら、フジテレビから合格の通知が来ていた。

 

(余談:今になれば、フジテレビに行かなくて良かった!)

 

この年、TBSでは役員の最終面接のあと、一般職希望の全員にアナウンスのテストをした。そう言えば、そのテストでマイクに向かい、あまり緊張もせずになんだかペラペラと色々話したのは覚えている。今回の配属は、そのせいかもしれない。

同期のアナウンサー7名全員が一般職希望だった。新入社員は約50名いたが、私達7名だけは、入社してすぐに小さな部屋で連日、講習が行われた。まず、ストップウオッチと「日本語発音アクセント辞典」(写真)が配られた。そして、東京に来たことがない人に対し1分間で東京タワーを説明しろ、とか難しそうな原稿を読めなど、アナウンス技術の他に一般教養、芸能関係、スポーツ関連、報道関連など専門分野の先輩が来て講義が連日続く。まるで学生生活に戻ったようだった。

その講習で私の喋り方は「湘南弁」だと指摘されたこともある。

なんとか2年間ほど新米アナウンス生活を送り、その後、無事に希望の番組制作部に異動できた。

短い間だったが、今思えばこの缶詰講習が、後に一生の宝になった。

わかりやすいように説明する喋り方、声をだして読みやすい原稿の書き方などが身についたようだ。道楽で続けている弾き語りライブで、とても役に立っている。とかく自分の物差しで話す人が多いが、聞き手の物差しを気にしながら話すのとは大きな違いがある。ライブなどでは、初めて会う方も沢山いる。その人達は、私のことなど何も知らないという前提で話をする。

いろいろな歌手のライブに出向くと、歌は大きなこえを出しているのに、話になると急に小さな声になる人が、とても多い。そして早口だ。大きな声で、ゆっくり、はっきり話ができる人は意外に少ない。

とはいいながら、私も最近はマイクに向かいながら、「え〜」が多くなり、固有名詞などが出てこなくて困ることも度々だ。「宝」もだいぶ錆びてきた。これだけは、よる年波に仕方ないのかもしれないと、今やあきらめの境地でもある。

 


追いやられる爺婆

 

先日、諸用で中目黒まで行った。我が家からだと、湘南モノレール湘南深沢駅から大船駅まで行き、湘南電車で横浜へ、東横線に乗り換えて中目黒まで行く。行きは良かったものの、用を済まして午後六時すぎに帰路につく。中目黒の駅では、シルバーシートの場所を確認して列に並んで電車を待っていた。電車が来た。ラッシュ時ということもありシルバーシートは若者で満席。気がつけば、そこに立って吊り革にぶら下がっているのは年寄ばかり。若者たちは全員スマホに取りつかれている。その時に感じた。「シルバーシートなんて、いかにも親切そうな題目のもと、本音は爺婆は車両の隅っこにまとまってろ」と、言うことではないのか。とうとう横浜まで誰も席を譲ってはくれなかった。人混みと電車の揺れもあり疲れ果てた。行きはよいよい、帰りは怖いとは、まさにこのことだ。

私が日常使っているバス路線も、運転手不足という名目で一部路線が廃止になったり、一時間以上バスが来ないこともある。ここ鎌倉山はまさに過疎地となりつつある。

 

旅行に行き、フォレスト・アドベンチャーなどの冒険アミューズメントには、いくら体力に自信があろうとも70才以上は参加できない。

 

最近のニュースによれば振り込め詐欺防止のためという名目で、75才以上の年寄は、一日30万円以上はATMを使えなくなるという。いくらリッチな老人でも使えない。銀行窓口をやっていない休日に多額の現金が必要なときはどうすれば良いのだ。仕方なく、ある程度の現金を自宅に置いておけば、老人宅を狙う強盗に入られる。

 

免許の更新を前にして、老人用講習会を受けろという。しかも、聞いたところによればタブレット端末を使うという。アナログ爺婆は対応できない人もいるだろうに。その上、有料だ。

交通事故を起こすのは、まるで年寄ばかりと思われるようなニュースの取扱いだ。さらに、年寄には運転免許を返納しろと促す。

年寄には、わけの分からぬマイナ免許証まで発行するという。

 

年金は徐々に減り、ポストには高齢者医療保険納付通知書なる封書が入っている。年金生活者にはけっこうな金額だ。

要介護で仕方なく施設に入居している老人からも介護保険料を徴収する。しかも年金から差っ引きだ。

 

それぞれ最もらしい名目を並べながら、その実は爺婆を追いやっているように思えて仕方ない。なにが長寿国ニッポンだ!

老境に域に達し、つくづく思う、「ああ、アナログな昭和がよかったな〜」。


アボカド

 

今回書くことは、まるで小学校の理科の観察記録だ。

昨年10月、アボカドを食べたあと、種を捨てようと思ったが、その大きな立派な種に見とれ、いたずらに爪楊枝を3本さしてショットグラスに水を張り、日差しが柔らかい窓辺に置いてみた(下の写真1)。

11月9日、気がついたら下の方に白い突起状の根らしきものが出てきた。(写真2)

そのあと、2週間ほど海外に行ったので、留守の間の水やりだけは娘に頼んでおいた。

帰国後12月7日、小さな茶色の芽らしきモノが種の脇のほうに見える(写真3)。

その後、根も芽もどんどん伸びて行く。ショットグラスでは小さくなったので大きめのガラス容器に入れ替えてやった。

年は開けて2月には、茎はグングン伸びて、突先に鮮やかな緑色の小さな葉が3枚見える(写真4)。 

そして先週(3/18)の写真が冒頭の写真である。根は茎以上に太く立派に育ち、葉も大きくなり、茎の途中には枝芽と思しきものも何箇所か見える。

さて、この先どうしよう。鉢植えにして観葉植物とするのも一考だが、食いしん坊爺としては、なんとか結実させて、喰ってみたい。

ということで、もう少し暖かくなったら地植えにしてやろうと思っている。

しかし、なにやら調べてみると1本では結実するのは難しいとのこと。さっそく今日の買い物リストに「アボカド」と記した。

いつの日にか、我が家で収穫したアボカドを食べてみたいものだ。

そのままサラダの具でも良い、生ハムに包んで食べるのも旨い。すりつぶしディップにしてポテトチップスなどと一緒に食べても良い。

夢は膨らむのだが、はたしてどうなるのか。お楽しみはこれからだ。

 

250323


電チャリ

 

「電チャリ」、電動アシスト自転車の俗称だ。ここ鎌倉山は起伏に富み、とても普通の自転車では対応できない。かと言って、車ばかりに頼っていればガソリン代も馬鹿にならない。体力も落ちてしまう。

そろそろ気候も暖かくなるということで、冬眠していた電チャリをガレージの奥から引っ張り出し、一晩かけて充電し、タイヤに空気も入れた。規則なので、仕方なく似合わない自転車用のヘルメットを被って出発だ。

久々に海を目指す。バス通りまで出れば、あとはずっと下り坂だ。スピードが出すぎないように少しブレーキレバーを握りながら、スイスイと進む。

スピードに応じて顔と身体にさわやかな風を感じる。ただ、補聴器の風切り音が悲鳴をあげている。仕方なく信号で停まったときに補聴器のスイッチを切った。どうせ自転車で走りながら他人と会話することもないだろう。

腰越から海沿いの道を鎌倉方向に向かう。小動(こゆるぎ)辺りの多少の坂も電動アシストは機敏に対応してくれる。海風が気持ちいい。砕ける白い波、太陽に反射して眩しく光る水面(みなも)。暇そうに浮いているサーファー達。すぐ横を江ノ電がきしみ音を響かせながら通過していく。

「坂の下」あたりで、しばし休憩。海辺におりて深呼吸。汐の香りが気持ちよく鼻腔をくすぐる。

海を離れ、長谷を目指す。ここから大仏までの渋滞と人混みを横目に、少しの坂も苦にせずに進む。

八雲神社を左に折れて、ここからしばらくの間、急な上り坂になる。6段ギアを徐々に切り替えても、結構な体力を必要とする。普段使っていない腿の筋肉の悲鳴が聞こえるようだ。なんとしても自転車を降りたくない。自転車を引きずりながら歩くのでは、みっともない。ペダルを踏み続ける。やっと、なんとか若松バス停まで頑張る。あとはしばらく緩い下り坂だ。

住吉バス停を右に曲がる。いよいよ最後の難所だ。ここもギアを落とし、なんとか自宅に辿り着いた。

まさに「行きはヨイヨイ、帰りは怖い」というミニサイクリングだった。

うっすらと汗もかいた。冷え切ったビールが五臓六腑にしみわたった。

 


Noppe Live 100回記念ライブ@藤沢インター・プレイ
Noppe Live 100回記念ライブ@藤沢インター・プレイ

「百」

 

今年は、昭和百年にあたる。

テレビのコマーシャルによれば、キューピーマヨネーズも100周年とのこと。当初の社名は「食品工業株式会社」と言ったらしい。

他にも「JTB時刻表」の創刊(当時は「汽車時間表」)、東京六大学リーグ戦の開始、山手線の環状運転が始まったのも100年前だ。

そして、放送が始まって100年でもある。

1925322日に、現在のNHK東京放送局の前身、社団法人

東京放送局が日本で初めてラジオ仮放送を行なった。322日は放送記念日となった。

民間放送局として「ラジオ東京」(現TBS)が開局したのが1951年。私は、そのTBS1969年に入社、63歳まで41年間務めた。

私事は、さておいて、「」は不思議な漢字だ。

漢字の「年」は「ももとせ」とも読む。「」は「もも」、「年」が「とし」、ちょっとなまって「ももとせ」なのだろう。

考えると、身の回りには多くの「百」がひしめいている。

以下の熟語あなたは、いくつ読むことができますか?

・百日紅

・百済

・百舌鳥

・百足

・百合

・百敷

正解は、上から順に、「さるすべり」、「くだら」、「もず」、「むかで」、「ゆり」、「ももしき」だ。

またもや私事で恐縮だが、私が「Noppe Live」と称してソロやグループで弾き語りを始めたのが58200411月のこと。鎌倉山交差点すぐそばにあった「ブオーノ」というレストランでソロライブをやった。それを

第一回として、以後ずっとナンバリングを続けている。

回目の「Noppe Live」は20101月だった。そして、まもなく470回になる。歳とともに、徐々に歌詞も覚えられなくなり、ギターのミスタッチも頻繁だ。「戦錬磨」とはいえ最近はどうも緊張感に欠ける。これではいけない。

里を行く者は九十を半ばとす」を念頭に、なんとか五百回まではたどり着きたいものだがーーー。 


満開の梅を愛でる

 

2/26、風は多少あるものの、初春を思わせる温かい日よりに誘われて、梅で有名な常立寺(じょうりゅうじ)まで歩いて行こうと思い立つ。スマホで調べると、寺は湘南モノレールの終点「湘南江の島」駅の近くらしい。

スタスタと山を降り始める。下りきった所で急に便意が襲う。この状態で歩き続けるのは危険だ。そうだ、直ぐ側のスーパーでトイレを借りようと向かったところ、改装工事中につき中には入れない。困った結果、ここから歩いて数分、モノレール「西鎌倉」駅で用を足すことに。改札を通過し、無事にトイレにたどり着く。結果、なんとか無事に用を足して、心も腹もスッキリ。一安心し、そのままモノレールにで「湘南江の島」に行くことにした。「歩いて」という当初の目的とは外れるが、その辺は臨機応変というところだ。

「湘南江の島」の駅を降りる。雲一つないこんないい天気に、いつもならまっすぐに進み、江ノ電の江の島駅を通過して海に向かいたいところだが、そんな心を抑えて、逆方向に進む。ほんの数分で目指す常立寺に到着。

 

こんな所に、この様な古い大きな寺があるとは知らなかった。立派な本堂の脇には紅梅と白梅のしだれ梅が、今まさに満開だ。青空に梅の花が映える。境内には家族連れや大きなカメラを手にしているオジサン達もいる。みんな和やかな良い顔をしている。

愛らしい六地蔵がある。各々が違うポーズというのも珍しい

 

しばし梅を愛で、ついでに片瀬山公園まで足を伸ばすことに。湘南白百合学園のそばを通る。昔、この上にはゴルフ場があった。白百合の校舎がある辺りにクラブハウスがあり、江の島の花火を見に来たことなど思い出す。

モノレール「目白山下」駅にたどり着き、公園に入る。看板を見てここの名称が「片瀬山公園」ということを初めて知った。ずーっと今まで、この公園は「目白山公園」という名前だと勘違いしていた。

ここの梅林も、まさに満開。この公園はそれほど有名ではないせいか、人もまばらだ。梅林を一段あがった広場には櫻の林もある。もう少ししたら、また花見に再訪しよう。

 

 

帰路は西鎌倉まで歩いたところで、タイミングよく来たバスで帰宅。長い上り坂は回避できた。それにしてもブラブラとよく歩いた。我が家のデッキで日向ぼっこをしながら手軽なランチ。缶ビールが喉にしみた。


タラレバ

 

していたら(したら)、もし していれば(すれば)」という意味で使われる「タラレバ」という俗語。

歳を重ねると、後悔も含め「あの時、こうしていればーー」、「こうしていたら」と思うことしきりだ。

個人的なことは置いておいて、ここ鎌倉山にも過去に大きな「タラレバ」があった。

 

現在、大船から江の島までモノレールが通じているが、その計画が発表された当時の話だ。鎌倉山の住民は、レールの敷設により景観が損なわれると大反対したという。

車両がぶら下がる懸垂式のごついレール、そのレールを支える太く大きな柱は、たしかに醜い。当初計画では鎌倉山交差点に駅を作る予定だったらしいが、住民の反対運動で、しかたなく山の下にトンネルを堀り現在に至る。

以来、当地はバスに頼ることになった。ところが、人材不足が影響しバスはどんどん減便され、現在は一時間以上バスが来ないこともよくある。

JR大船駅から鎌倉山に来るバスの最終便は夜9時、その前の便は夜8時という事態だ。これでは都内に通勤している人はタクシーか歩いて帰宅するしかない。さらに平日の江の島行は、とうとう無くなってしまった。まさに鎌倉山は絶海のの孤島化、過疎化が進んでいる。

鎌倉山にモノレールの駅があればーー、あそこに駅があったらーー。今ここに住む多くの人達が感じている。

鎌倉山にモノレールを通すわけに行かないものか、せめて現在のトンネルの入口あたりに新駅を作るわけに行かないものか。新たな住民運動の兆しもある。

あまりに不便なので当地の某有力者がボランティアで小さなバスを走らせるべく提案したが、現在のバス運行会社は「それなら、もっと減便する」と脅かされたという。

モノレールの財政がもっと良好であればーー。バス会社の人材が豊富だったらーー。嘆いていても仕方のないタラレバ。

 

先人のおかげで、たしかに景観は保たれ、自然豊かな山ではあるものの、ここに暮らす人達も変わった、生活も変化した。不便の効用としての景観と、生活の足の確保、さてどちらを優先すべきか、今後どうなるのか気になるところだ。

 


プレゼント

 

テレビなどでは、あまり報道されていないようだが、石破首相は日米首脳会談に当たり、トランプ大統領への手土産として、彼の地元・鳥取市で販売している金色のかぶと飾り(写真)を贈ったという。エミー賞、ゴールデン・グローブ賞に輝いたドラマ「SHOGUN 将軍」のヒットにあやかったらしいが、はたしてトランプ大統領はドラマを見るのかな?

 

やれ、バレンタインとか、クリスマスとか、旅のお土産、誕生日、結婚祝い、はたまた還暦、喜寿、卒寿など、プレゼントをあげたり、もらったりすることが多い。

昔はバレンタイデイには抱えきれないほどのギリチョコを頂いたものだが、さすがにこの歳になると、頂いたバレンタイのチョコはたった一つだった。しかし、いかにも心がこもったチョコは嬉しかった。美味かった。

さて、問題はバレンタインではなく、誰にどのようなものを、どのような機会に差し上げるかだ。リクエストなど、相手の希望がわかっているときは問題ない。相手の趣味や着るものの傾向が明確なときも良いだろう。

貰う立場から考えると、「こんなもの、もらってしまい、捨てるに捨てられないし困った」という経験がある人も多いと思う 

迷ったら「消えもの」だ。飲み物、食べ物、そして相手が女性なら花束も良いだろう。

 

旅の土産も悩みどころだ。新鮮な野菜や果物など、旅先の名産は良いだろう。避けたいのは真空パック入の賞味期限がやたら長いものは避けることにしている。(ギリ土産には便利だがーーー)。

つい先日、上の孫の誕生日。孫達へのプレゼントは毎年決めている。アマゾンのギフト券。実利的なプレゼントだが、これは便利だ。自宅のパソコンとプリンターでカードが出来る。

これも「消えもの」。あっという間に消えてなくなるらしい。

 


ロケット

 

ちょっと臭い話である。先日、某和食レストランでトイレを借りた。

実にきれいなトイレに感心した。トイレがきれいな店は料理も旨い。

さて、俗に「あさがお」と呼ばれる男子小便器の前に立つ。ふと見ると、目の前に写真のような張り紙があった。まあ、実にうまく詠ったものだ。

そこで、急に思い出したことがある。その昔、赤坂TBS会館の地下にあったレストラン「トップス」の男子トイレだ。そこには以下のような文字が刻まれたプラスチックのパネルが貼られていた。

Stand closer please.

Your HONEST JOHN is

Not so long as your expect. 

オネストジョン
オネストジョン

「オネストジョン」、若い人たちは知らないだろう。それは、1950年台に登場したアメリカ合衆国初の核弾頭搭載地対地ロケット弾のことだ。それにしても「正直者のジョン君」とはよく言ったものだ。

これらのメッセージは、トイレをきれいに使ってもらいたいというメッセージだ。

そのロケットを、いざ発射しようとすると、射撃のマトのような小さな丸い同心円のシール状のものが「朝顔」の中心あたりに貼ってある。ここを目掛けて発射しろ、ということらしい。これも綺麗に使ってもらいたいという工夫だろう。

ところが、これが意外と難しい。年をとるとともにロケットの発射も勢いがなくなり、なかなかマトに命中しない。

 

くだらない話を書いてきたが、どこかの国のロケットボーイは、国民の貧困もよそに、超高価なロケットを発射しほうだいだ。

 

なんとかマトを外さず、しぶきも控えめに、せいぜい我が国のEEZ外にお願いしたいものだ。今回の話、彼の跡継ぎの娘はわかんないだろうな!


朝風呂の快

 

「小原庄助さん、なんで身上(しんしょう)つぶした。朝寝、朝酒、朝湯がだいすきで、それで身上つぶした。」

会津地方に伝わるという、この歌。もともとの歌と多少違うかもしれないが、私が幼い頃に聞いたのは、この歌詞である。

たまに旅行で温泉旅館に泊まると、この気分が味わえる。旅館の朝飯は、鮭の切り身、漬物、味噌汁など塩分が多い。ということは喉が渇く。ということは必然的にビールを飲みたくなる。飲めば、自然に眠気が蘇える。部屋に戻りチェックアウトまでウトウトする。

まさに庄助さん状態だ。旅先では良いものの、貧乏性の小生は自宅で、そういう訳にはいかない。朝のうちに、炊事、洗濯、ゴミ出しとすることも多い。とは言うものの、風呂だけは朝はいる。これは色々訳がある。まず、夜な夜な飲む酒が一因だ。どこかのタレントさんではないが酒を飲んで風呂に入り亡くなる人が多い。私の仕事の先輩は、ゴルフ場で酒を飲んでから風呂に入り、亡くなった。

もう一つの朝風呂理由は、朝の散歩だ。真冬でも、雨が降らない限り約一時間の散歩をする。寒風吹きすさぶ朝でも、歩き終わる頃には、薄っすらと汗もかくが、それに反して手袋をしていても指先や耳、足先などは凍りつくように冷たくなっている。その冷え切った体を湯に委ねる。我が身が徐々に解凍されていくのを感じる。

私の朝風呂の入り方、まず、服を着たまま風呂の蓋を開け、更にシャワーの湯を勢いよく出しっぱなしにする。それから脱衣所に戻り、服を脱いだり、ときによっては洗濯機のスイッチを入れたりしてから風呂場のドアを開ける。その頃にはシャワーを出しっぱなしにしてあるので、もうもうと温かい湯気が我が身を包みこんでくれる。そのままシャワーを浴びてから風呂に浸かる。温かな湯気に包まれた風呂場はなんとも気持ちがいい。朝日に照らされた庭を見ながら、今日一日のこと、家族のこと、さてはホームページに何を書こうか等いろいろ考える。

私にとって、朝風呂は思考の場、そして至高の場でもあるのだ。

 


鎌倉市最高峰 大平山にて
鎌倉市最高峰 大平山にて

天園ハイキング

 

年頭に初詣も兼ねて10キロウオークをしたことは、書いた。それに気を良くして、1/23の水曜日に鎌倉では代表的なハイキングコースを歩いた。朝の9時半、北鎌倉駅をスタート。まず建長寺まで行き、拝観料を五百円払い、久しぶりの建長寺を散策。その立派な古い建造物には圧倒される。有名な柏真の巨木にも手を合わせる。

境内をどんどん進み、不揃いな急階段をどんどん登ると半僧坊にたどり着く。ここからがハイキングコースになるのだが、ここに来るまでに、すでに肩で息をしている。更に階段がずっと続く。やっと頂上まで来て、早くも休憩。その後、尾根沿いに細い道をたどる。上下する坂道、岩登り、ロープを使って降りるような急斜面などを行き約2時間で、鎌倉市の最高峰「大平山」山頂に。すこし下り、天園の広場で野芝に座りながら、市街の向こうに広がる海の眺望を愛でる。さわやかな微風に、かいた汗も収まった。

ここからは、大したことは無いだろうと思っていたものの、急な下り坂は、うっかりすると滑り落ちそうだ。更に、その先には湿地帯があり、連日の天気にもかかわらずドロドロに濡れた岩肌は滑りやすくビクビクしながらの歩行だ。

鎌倉宮にたどり着いたときは、すでに12時を回っていた。どこかで旨い蕎麦と、生ビールを飲んでから帰ろうと思うものの、私の知っている旨い蕎麦屋には何故か瓶ビールしかないことを思い出した。蕎麦と生ビール、どちらをとるか、歩きながら悩む。もう「別れ道」の信号もすぎ、ウロウロしている間に、とうとう鎌倉駅まで歩いてしまった。

そこで、以前にも行った駅ビル二階の「風凛」へ。ここで、冷えた生ビールと生牡蠣2個を喰らう。ビールの泡が喉に染み渡り、牡蠣の海の香りが鼻をくすぐる。ああ幸せなり。

 

帰宅後に風呂に入る。毎日、散歩がてらウオーキングをしているものの、久しぶりの山道に、普段使っていない筋肉も心地よい叫びをあげていた。

生活歩数も含め、当日歩いた距離は11.8キロ、歩数は21千歩だった。


ロスの山火事に思う

 

1/7に発生したロスアンゼルス近郊の山火事は未だ収まらない。アメリカ史上最大の火事だという。ロスアンゼルスの北東、私の娘が暮らしているパサディナも迫りくる山火事に避難命令が出され、ずっとホテル生活が続いていると言う。

図で示した、赤い部分は火事、ほぼ中央、ブルーの輪で囲ってあるのが娘の住んでいる家だ。まるで火に囲まれているようだが、今のところ、彼女の家は無事のようだ。

 

十年ほど前に、サンフランシスコから三時間ほどいった山岳地帯に住んでいる義妹の家の周りも山火事が発生。家の直ぐそばまで火が燃え広がったので、延焼を避けるべく消防が来て、彼女の家に放水をした。そのおかげもあり、なんとか燃焼は避けられたものの、放水を受けた家の部分は水浸しになり、リフォームせざるを得なくなった。

私は、火事が収まった頃に当地に行った。多くの焼け焦げた木々に、いくつもの色とりどりの手作り看板が掲げてあり、「Thank You Firefighter」と書かれてあったのには目頭が熱くなったのを覚えている。

 

日本の小規模地震のように、カリフォルニアでは山火事は度々発生する。先日旅行で行ったときも、自然に恵まれたハイキングトレイルを行くと、必ずと言っていいほど火事で焼け焦げた木々がたっていた。

カリフォルニアではめったに雨が振らない。人々の頭に「雨」は存在しないようである。もう何年も前のことだが、娘の大学の卒業式に出向いた時もすべての式典や行事は野外で行われた。そして娘の結婚式も野外の素敵な会場で行われた。日本人としては、「当日に雨が降ったらどうするのだろう」と、心配するが現地ではそんな事を気にする人はいないようだ。 反対に、雨が降ったときには高速道路でのスリップ事故が多発するという。雨が降ったら運転に気をつけるという習慣はないようだ。

アルバート・ハモンドのヒット曲に “It Never Rains In Southern Califoenia” 「カリフォルニアの青い空」という歌がある。火事の煙が早くおさまり、あの透き通るような真蒼な空が、一日でも早く見られることを祈るばかりだ。

 


歩いて歩いて初詣

 

年のはじめ、まず元旦に我が家から歩いて三十分の鎌倉山神社に詣でる。朝の散歩でもよく来る神社だ。神社と言っても鳥居と祠(ほこら)の他にはなにもない小さな神社だ。もちろん社務所もなければ鈴もない。あるのは賽銭箱だけだ。普段は人気のないところだが元旦ともなれば多くの近所の人たちが参拝する。

そして、松の内に天気や体力と相談しながら藤沢市の鵠沼稲荷神社まで歩いて行く。ここは私が生まれ育った家、そして青春時代を過ごした実家のそばということもあり、昔から初詣に行っている。

現在住んでいる鎌倉山からは約六キロの距離だ。ここから歩いて行くのは今年で十五年、途中二回休んでいるので十三回目の初詣となった。

今年は気持ちよく晴れ、風もない1/5(日)に歩いた。約1時間20分で目的の鵠沼稲荷につく。毎年、長い行列に並んでの参拝となるが、なぜか今年は今までになく空いていた。去年は垂れ下がっていた鈴の紐もコロナの頃と同じように、とりはずされていた。大発生しているインフルエンザの影響か。おみくじは「末吉」、ケチして安い方のおみくじにしたのが悪かったのかーーー。

従来は詣でたら、復路は小田急鵠沼海岸駅から電車で一駅「片瀬江ノ島」まで行くのだが、今年は10キロウオークを試すことにした。神社をあとに、海岸に出て江の島に向けて歩く。キラキラ光る海は大勢のサーファーで賑わっている。芝生の広場には家族連れも多い。みな楽しそうにしている。江ノ島水族館の近くに魚のうまい店があるので寄ろうかと思ったものの万歩計ではまだ9キロ、もう少し歩かないと目的は達成できない。しかたなく、さらに歩く。洲鼻通りを江ノ電の江ノ島駅に向かった頃、やっと9.5キロを超えた。ここまでくれば、あとは通常に生活していれば10キロは行くという安易な心は、誘われるように、以前も来たことのある居酒屋「忠兵衛」に入り刺し身と生ビールで乾杯。ほろ酔い気分でモノレール「湘南江の島駅」へ、「湘南深沢」で下車したらバスの乗り継いで帰宅。万歩計は既に11キロを超えていた。目的達成。気分はさわやか。これは良い。今後も正月には10キロウオークとしよう。

 


今年の目標

 

昨年の目標は何だったのだろう。そんなことは、いつの間にか忘れてしまった。

さて今年はと言うと、翌年(2026年)へ向けての準備の年になりそうだ。

以下、私ごとばかりで申し訳ないが、200311月から始めた「Noppe Live」、この調子で行けば、来年には500回を数えるだろう。2020年から2年半の間はコロナで年間数回しかできなかったが、去年(2024年)は年間28回まで回復した。来年には多少大掛かりなライブもやってみたいものだ。

そして20205月から記録を取り始めたウオーキング、まもなく延べ8000キロになる。やっと娘の住むカリフォルニアに届く距離だ。そして来年には延べ1万キロに届くはずだ。東京起点に1万キロは調べたらマルセイユ(フランス)、シチリア島(イタリア)、オタワ(カナダ)、シカゴやカンザス・シティ(米国)というところらしい。行ってみたい所だらけだ。

さらに来年7月には80歳の大台に乗る。

ライブ500回、ウオーキング1万キロ、80歳とキリの良い数字が並ぶのが2026年だ。

このところ、忙しいとは言え、なんとなくダラダラとした生活だったが、良い目標に気がついた。

私は恥ずかしいほど単純な性格なので目標さえ決まれば、余計なことは考えず邁進するしかない。目標を達成するには、何と言っても体力とやる気が大事だ。

おかげさまで、いまのところ毎朝のウオーキングと筋トレのおかげで元気を維持している。

ということで、今年の目標は、「元気」と「やる気」の維持だ。

継続は力なり。今年の干支ではないが「竜頭尾」にならぬよう、今年も歩き続け、そして歌い続けるのだ。

 


カリフォルニア雑記④(終)

ヨセミテ国立公園

 

毎日、私が日記をつけるデスクの横の壁には、私の大好きな写真家アンセル・アダムスのカレンダーを毎年飾る。もう20年以上愛用している。彼が活躍したのが1920年代から1950年代ということもあり、すべてモノクロの写真だ。アメリカ西部、シェラネバダ山脈の中のヨセミテの自然を題材にした写真が多い。

今回、私のカリフォルニア旅行の大きな目的は、彼の作品のような「冬のヨセミテ国立公園」訪問だった。

日本の国立公園は綺麗な景色が素晴らしいが、アメリカの国立公園は、その膨大な景観と自然の荒々しさに魅了される。

ヨセミテは以前にも何度か訪れたことがあるが、その度に偉大な自然の景観に圧倒される。

直立した岩は、視界をはるかに超え、首を上の方に見上げないと、その全貌を眺めることはできないほどだ。とてつもない高い岩から流れ落ちる滝、川の流れ、一帯は人を拒まんとする崖が連なっている。

今回のヨセミテ滞在中は雪が降った。まさにアンセル・アダムスのモノクロの世界になった。写真を撮りまくる。どこを撮っても絵になる雪景色だ。

この公園の中には、アワニ・ホテルとワヲナ・ホテルという歴史的に有名なホテルがある。一泊数百ドルもすることもあり、私達は、もう少しリーズナブルに泊まったが、この二軒のホテルにも立ち寄った。ロビーには巨大な暖炉があり、その前にいかにも居心地の良さそうなソファーがいくつか置いてある。暖炉の火の暖かさと言うより、火に温められた巨大な暖炉の壁面からの輻射熱がロビー全体を温めている。

そんな居心地の良いソファーに身を委ね、いつの日かこのホテルで一週間ほど過ごしてみたいという夢を見ていると、孫のはしゃぐ声に現実に引き戻される。

いつの日か、また訪れよう。ヨセミテはカリフォルニアと言うより、アメリカの至宝だ。

 


カリフォルニア雑記③

爺のケチケチ旅行術

 

このところ、二週間のカリフォルニア旅行のことを、ずっと書いているが、今回は初めて往路はZIP AIRに乗った。この航空会社はあまり知られていないがJALの子会社だ。超安価な料金で東南アジアとアメリカ各地に飛んでいる。その倹約ぶりを以下に紹介する。

チェックインする荷物は最初の一個から有料。座席を指定すれば料金がかかる。映画などを楽しむスクリーンは無い。よってイヤホンも無い。座席に用意されている枕もブランケットも安っぽいスリッパも、なにも席には置いていない。席にあるのは緊急時の案内と俗称ゲロバッグだけだ。食事、飲み物のサービスも一切ない。この航空会社のコマーシャルは見たことがない。

つまり、荷物は機内に持ち込む手荷物だけにして、座席の指定もせず、お弁当を持ち込めば、超安値で旅行ができる。

ホームページ( https://www.zipair.net/ja/)によれば、東京―ロスアンゼルスの最安値は、なんと片道19,000円だった。これは季節や為替の影響を受けると思われるが、それにしても安価である。

もちろん、食事も飲み物も座席も事前にネットで予約すれば可能、フラットシートも、すべて有料で用意されている。

今回、私は大きな荷物をチェックインし、非常口そばの足が伸ばせる席を指定し、当日の朝に作った弁当を持ち込んだ。飲み物は出国手続きをしたあとに搭乗ゲート近くの店で購入。それで片道約5万円だった。

私は耳が悪いせいもありスクリーンはあまり見たことがないし、いままでの旅でも、搭乗すると座席に山のように置いてあるブランケット、枕、ヘッドフォン、スリッパなどは、いつも邪魔だと思っていたので、今回はとても快適、且つ安い旅行ができたと思っている。

復路は、航空会社提携のクレジットカードのポイントが溜まっていたので、それを使いプレミアムシートでタダだった。往復の旅費はZIP AIR の数万円ですんだことになる。

この年令になるとビジネスクラス、ファーストクラスで旅行する人が多いと聞く。私もいつの日か、フラットシートで旅行をしてみたいとは思うが、貧乏性のケチ爺は、未だにエコノミー。

まあ、その分呑み代がかさむので、チャラということになるのかも。


どこまでもまっすぐに伸びるアメリカンハイウエイ
どこまでもまっすぐに伸びるアメリカンハイウエイ

カリフォルニア雑記②

車事情

 

カリフォルニアでの生活は車なしには考えられない。若い頃は国際免許片手にレンタカーで動き回ったものだが、今回は忙しく、気がついたら地元警察で国際免許を申請しても間に合わず、かと言って即日発行の運転免許センターまで行くのも億劫ということで、当地での移動は娘に頼った。

アメリカでも町ゆく車を見るのが好きだ。乗用車ではホンダ、日産、トヨタ、そして韓国のKIAが多い。レクサスも多かった。驚いたのはEVテスラの多さだ。ほかのアメリ産の車は、気の毒なほど少ない。地球温暖化に対するカリフォルニア人特有の意識がEVに傾倒している、と娘は言っていた。その会社テスラのCEOイーロン・マスクは、「温暖化はでっち上げ」としたトランプの参謀になっている。どういうことなのか、売名行為としか考えられない。 

話を車に戻す。米国といえばハイウエイだ。片側4車線以上もあるハイウエイでもラッシュ時は渋滞する。そこで考えられたのがCarpoolという車線だ(写真)。この車線はハイウエイの追い越し車線の更に外側に、1車線だけある。この車線では二人以上乗っている車のみが走れる。当然のように、そこを走る車は少なく、この車線だけはいつも結構早いスピードで走ることができる。これは渋滞解消には良い制度だと思うものの、日本の場合はハイウエイ自体の幅が狭いので、Carpoolだけで1車線とるのは難しいだろう。広いアメリカならではの知恵かも知れない。

日本には車検制度があるがアメリカにはない。自分の車の整備は自分の判断でやる。そのせいか、クラシックカーを趣味にする人も多い。日本では13年以上乗ると税金も高くなるという不思議な制度があるので一部の富裕層しかクラシックカーを維持するのは難しい。

そして何とも羨ましいのは、カリフォルニアの乾燥である。ガレージに入れておけば車の金属部分は錆びないのだ。これだけでもクラシックカーオーナーの日米の手間の差は大きい。

 

さあ、来年1月以後トランプ指揮下でアメリカの自動車産業、石油などの化石燃料はどう変わるのか。アメリカという自動車はどこに向かって進んで行くのか、とても心配である。

 

 

 

 

蛇足:町を走る妙な自動車(写真)。最近発売されたテスラのトラックだ。これをグッド・デザインとするか、醜い車とするか。あなたはどう思いますか?


日本風に言えば「貝の蒸籠蒸し」山のようなムール貝とハマグリ、そしてロブスター、旨かった。けど高かった!
日本風に言えば「貝の蒸籠蒸し」山のようなムール貝とハマグリ、そしてロブスター、旨かった。けど高かった!

カリフォルニア雑記①

食事編

 

2週間ほど、娘と孫の顔を見にカリフォルニアに行ってきた。何度も行ったことのあるところだが、今回もいろいろな事を体験し、見て、食べて、飲んで、びっくりして楽しい旅だった。

まず、驚いたのはレストランの値段の高さ。円安の性もあるが、二人でちょっと一杯とツマミを食べれば、すぐに100ドルは超える。そして更に驚くのはチップの値上がりだ。アメリカでは州により平均のチップが随分違うらしいが、カリフォルニアは料理の値段に税金が足され、その合計金額の18%が平均のチップになる。

右の写真は私の希望で、生牡蠣や魚料理が旨い店に、娘夫妻と8歳の孫の計4人で行ったレストランのレシートである。金額が$243.10、税金が$24.92で合計が$268.02とある。その下にあるのがチップの割合の計算。18%、20%、22%の場合に各々いくらになるか、書いてある。余計なお世話だが、客は、この中から自分で選んでその金額を計算書に書いて、さらに全合計金額を自分で記入して支払う。この店、とても美味かったが、ケチな私は一番安い18%を選んだ。この場合だと$243.10の代金に対し支払った合計は$311.78

1ドル150円換算として約36,500円の飯に支払った合計額は46,000円にもなる。

さらに苦手なのは、日本のように食べ終わったら、「さあ行こうか」、とレジで精算するわけにはいかない。じっとテーブルで待っていると勘定書が来る、そしてそれに上記のチップを自分で計算して書き込んで支払う、そしてお釣りやクレジットカードを返してくれるまでじっと待つのだ。気の短い日本人は耐えられないことだろう。

そして、これは以前から思うことだが、アメリカのレストランの食事の量はベラボーに多い。アメリカ人でも食べ切れる量ではない。仕方なく持ち帰り用の箱をもらい、それに取り分けて持って帰る。店側は残飯が少なくなるので良いだろうが、私は、冷えて固くなった料理は食べる気がしない。アメリカにデブの味盲が多いのも、うなずける。

悪口ばかり書いてきたが、それでもアメリカには旨いものは沢山ある。今回サンクスギビングデーということでご馳走になったターキーや、沢山たべた生牡蠣などはアメリカにいかないと旨いものは食べられない。

また、けなす人は多いが、私はアメリカで喰う鮨も捨てたものではないと思う。(メチャ高いけどね)

 

大好物の生牡蠣については次回の「呑兵衛雑記」で触れることにしよう。


          料理用暖炉と筆者
          料理用暖炉と筆者

熾火(おきび)料理初体験

 

北軽井沢スイートグラスという宿泊施設に行った。ここは広大な土地にコテッジ、キャビン、テントなど各種の宿泊施設があり、アウトドア派にはとても魅力的な施設だ。ここにある料理用暖炉のあるコテージに泊まる。一昨年に続き2回めの訪問だ。前回は初めてなので要領を得ず、いい加減な料理だったが、今回は熾火でステーキを焼くのが大きな目的だ。

熾火を作るのは炭でも薪でも良いのだが、今回は全て薪で作ることに。この施設では一棟ごとに大量の薪が無料で使い放題である。

まず太い薪から、アウトドア派に好評のモーラナイフで焚付(たきつけ)を作る。余談だが、このスエーデン産のモーラナイフ(Morakniv)、小さいナイフだが薪割りにも調理にも使え、しかも安価、便利なナイフだ。

紙の上に、出来たばかりの焚付を置き、その上に徐々に薪を乗せて着火。ここまでは、我が家でもよくやるので、問題ない。

さあ、初めての熾火焼きに挑戦だ。

大きな調理用暖炉はレンガで囲まれ、その壁面も天井も暖炉内全体の温度を上げるために、薪を燃やすこと約二時間。大量の熾火ができた。

薪を燃やす台を暖炉の奥まで押し込み、その下に溜まった熾火の上に料理用の網がついた台を乗せる。

熾火は、言ってみれば薪の燃えカスみたいなものだ。ほんとうに、これでステーキやポテトなどがうまく焼けるものか半信半疑だった。

同行の仲間の手前上、失敗するわけにはいかない。

鎌倉の河野牛豚肉店で買ってきた、最上のヒレステーキを4枚、焼き始める。煙もたたない。これで良いのだろうか。心配しながら、少し焼面を見てみると、なんとも美味しそうに焼けているではないか。すぐにひっくり返して数分で焼き上がり。すぐに包丁で切ってみる、分厚いステーキの断面もみごとにピンク色、ミディアムというところだろうか。ポテトも椎茸もとても美味しそう焼けた。

熾火料理は、いわゆる遠赤外線で焼くことになる。その熱量にはびっくり。

旨いステーキと極上のワインに大満足。一息つき、ふと夜空を見上げればキラキラとオリオン座が輝いていた。

 

この施設には本格的なピザ窯がある棟や、野外BBQの設備も完備している。また、愛犬と一緒にとまれる施設なども整っている。我が家からは少し遠いが、また訪れてみたい施設である。

 

<施設情報>

北軽井沢スイートグラス

https://sweetgrass.jp

 


鎌倉石

 

開発が進む鎌倉山、猫の額のような狭い土地もあると思えば、山を切り開き、鉄筋コンクリートの巨大な住宅の建築もいくつか見られる。これら最近の家の特徴は「庭」がほとんどないことと、表門がなくガレージが門代わりになっている家が多い。

一方、この辺の昔からある大邸宅には、おおきな庭と立派な門がある家が多い。いくつもの堂々たる門構えを見ながら散歩するのも楽しいものだ。

門柱代わりに巨大な石を使っている門もあれば、時代劇に出てくるような長屋門もある。沼津の御用邸の表門と良く似ている大きな鉄の門扉もある。それらの中で、私のお気に入りは、古めかしい「鎌倉石」の門である。

鎌倉時代から昭和初期までは、鎌倉や逗子など多くのところで採掘されていたという鎌倉石、我が家の近くの広町緑地にも石切場跡が残っている。

今は採掘されなくなった鎌倉石は、やわらかく細工しやすい石なので、昔は神社仏閣の階段や塀、建物の土台としても多く利用されたという。採掘岩場には防空壕のあとも見られる。

この鎌倉石を積み重ねて作られた古い門柱は、今でも所々に残っている。長い間の雨風にさらされ、角がなくなり、なんとも優しいゆったりした良い味わいを見せている。旧帝国ホテルの建築に使われた大谷石同様、いつの日か、鎌倉石の門柱もだんだんと少なくなっていくのだと思うと、とても惜しい気がする。

この石は多孔性なので吸音効果も良さそうだ。スタジオの壁面に使ったら良いだろうな。この石で暖炉を作ったら素敵だろうな、などと叶わぬ夢を見てはため息をもらす私なのであります。

現存する鎌倉石のごとく、私も徐々に経年変化で角が丸くなるといいのだが。

 


無事に工事は終了。新しいトイレ・シャワーだ
無事に工事は終了。新しいトイレ・シャワーだ

DIYトイレ編

 

木造住宅の法定耐用年数は22年だ。どうりで、築30年の我が家は、各所に支障が出始めている。つい先日も一部外回りのサイディングやサッシなどを取り替える工事が入ったばかりだ。

そして、ある日TOTOウオッシュレットが壊れた。毎日を清潔にすごすには、欠かせないものだ。なんとか自分で修理できないものかと色々検討したが、これは素人の手にはおえないような気がする。

以前聞いた話では、ウオッシュレットの修理・交換には法外な金がかかるらしい。年金暮らしの小生として、極力出費は抑えたい。

ネットで、いろいろと探ってみた結果、意外なことに規格化されていて、どうやらTOTOの便器本体に、違うメーカーのものでも対応できるらしい。

そう言えば、近くのホームセンターに馬蹄形のトイレ・シャワーがいくつも置いてあるのを思い出した。さっそく出かけて、いろいろ見てみる。TOTO以外にもいろいろなメーカーのものが並んで知る。知らないメーカーは避けて、比較的安価なINAXの製品を購入、22,800円(税別)也。値札のすぐ横に「取付費8,000円」と記されていたが、とりあえずは、自分でやってみようと思い、工事依頼はしなかった。

帰宅して、まず故障した現在のウオッシュレットを外すことに。 

壊れたウオッシュレットを取り外した
壊れたウオッシュレットを取り外した

水道の元栓を閉め、リモート機器など電気関連のコードをはずし、やってみたら、あっけなく全て外すことができた。

この時とばかりに、汚い便器の裏側や、普段手の届かないところもお掃除。ピカピカにきれいになった所で、新しいものを設置してみることに。水道の給水管工事に多少手間取ったが、やってみれば、あっけないほど簡単に工事は約1時間半ぐらいで終了。

グレードは落としたので、リモートでは無くなった。以前と比べると多少水圧がおちるような気がしないでもないが、それほど気になることもない。以後、毎日(私の場合は、毎朝)快適に、清潔に過ごしている。

考えれば、給湯器、洗濯機なども30年になる。これからもいろいろと支障が出てくるだろう。

 

一方、私の耐用年数も迫っているが、これだけは他のメーカーに替えるわけにはいかない。


バス路線が消えた

 

歩いても汗みどろにならず、気持ちのいい朝、いよいよ散歩の季節到来だ。毎朝歩いて気がつけば、この何年か鎌倉山一帯は開発が進み、何百坪もある大邸宅がいくつもに分割されて売り出されているのが多くなった。「湘南」、「鎌倉」などのブランドに引き寄せられ、猫の額のような土地にどんどん家が立つ。近い将来、人口も増えるのだろう。

それに反比例するようにバスの本数はどんどん減り、101からは、ここ鎌倉山から鎌倉駅行、大船駅行のバスも一時間以上来ない時間もあるようだ。そして江の島行のバスは、とうとう時刻表から姿を消した。

小田急江の島駅のそばにいる友人の家や、好きなラーメン屋、海の見える蕎麦屋、江の島散策など、このバスを使っていたが、今後は歩いて山を降り、西鎌倉からモノレールで江の島下車、混雑する洲鼻通り、さらに長い桟橋をわたり、20分以上歩かないと江の島にはたどり着けなくなる。

山の人口は増えるのに、ただひとつの公共交通機関のバスが減ってゆく。車に頼らざるを得なくなるものの、高齢者には免許を返上しろと促す。

若者は車があれば日常生活はそれで足りる。私のような呑兵衛爺は、まさか運転して飲みには行けず、かと言って山を降りなければ飲み屋はない。大船、鎌倉あたりの好きな店に行くのもままならなくなる。

問題は帰路だ。夜が更けてくると、バスの本数はなおさら減ってくる。タクシーも大船駅はまだマシだが、鎌倉駅のタクシーは随分減ってきた。仕方なく、ケチな酔っ払い爺は延々とバス停で待つことになる。

バスもタクシーも運転手不足と聞くが、今後、私のような高齢者は座敷牢たる拙宅でチビチビ飲みながら、おとなしくしているのが良さそうである。

 


沼津 牛臥浜にて。 ここでプカプカ漂い至福の時を持った
沼津 牛臥浜にて。 ここでプカプカ漂い至福の時を持った

私の至福のとき <夏編>

 

暦の上では秋と言い、まだまだ熱暑の日が続くが、そんな日々にあっても「あ〜幸せ」と感じる「私の至福のとき」三種である。

その①

まずは毎朝の散歩だ。早朝とは言え、歩き出して十五分もすると汗が噴き出してくる。小さなタオルで汗を拭き拭き約一時間も歩くと頭から滴り落ちる汗は目に染み、着ているTシャツはビショビショになる。帰宅するなり熱いシャワーを浴びる。ここからが至福の時間の到来となる。

体を洗い終わったら、シャワーは出したまま、給湯器のスイッチを切るのだ。シャワーから出てくる温水は徐々にぬるくなり最後は滝のような冷水が肌を刺す。しばしの間、この温度変化に身を任せ、最後の冷水シャワーを頭からかぶり、じっと耐える。身が締まる思いがする時、何故か「幸せ」を感じるのである。

その②

次の私の至福は、波が殆ど無い静かな湾や入江で両手両足を広げ、ただただ仰向けにプカーツと浮いているときだ。なんとも幸せを感じるのだ。そのままでも息はできるし、耳のあたりをさざ波がくすぐる。目をあければ夏の陽射しが眩しい。近くでポチャっと魚が跳ね、びっくりする。遥か遠くには子どものはしゃぎ声も聞こえる

静かな海、湘南では葉山の一色海岸あたりが良い。先日行った沼津の牛臥浜も良かったが、漂っていたら潮の流れに乗って、気がつけば随分西の方に流されていた。潮の流れには要注意だ。

その③

そして最後は、日没の空を見ながらウッドデッキでの晩酌である。夕方になれば、この季節、ほぼ毎日のように枝豆を固めに茹で、ビールを片手に、二階デッキの一番高いところに腰を据える。夕陽に照らされながら、刻々と変わる雲の様相に見入る。心地よい海風に乗り、江の島から飛んできたコーモリが、パタパタとぎこちなく下手な飛び方をしている。徐々に富士山がシルエットとなり、振り向けば白く輝く月も見えてきた。一番星もチラチラ輝き始める。正確に十秒ごとに光を放つのは江の島灯台。

ただただ、ボーっとすごすひととき。こう言うのを「無為」というのだろうか。まさに「私の至福のとき」、そして「大切なとき」でもある。