鎌倉山暮らし


挨拶は、日本の文化

 

外出するときは「いってきま〜す」、帰宅したら「ただいま〜」、ご飯を食べるときは「いただきま〜す」、食べ終わったら「ごちそうさま」、寝るときは「おやすみ」、起きたら「おはよう」、というのが昔は当たり前だった。家族や他人にかぎらず「挨拶」は常識だった。他の国にはない日本の文化だった。

どうも最近は、その様な常識が通じないことが多いような気がする。

毎朝の散歩でも「おはよう」と挨拶を交わす人も多いが、中には全く無視されることも多い。とくに偉そうにしている男性はダメなのが多い。リタイアしても、まだ会社の上役のつもりでいるのだろうか。

そういえば、私が現役の頃にも挨拶をしない若者が何人もいた。観察していると、彼らは仲間とパソコンを通じて会話をしているようだ。隣の席にいる仕事仲間に「今日のランチ、どこに行く?」などと、メールを送っている。

冒頭の「いってきま〜す」や「ただいま〜」を言わなくなってきたのは、もしかしたら家庭環境や住宅環境の変化が原因かもしれない。昔は居間や茶の間には、必ず誰か家族がいたものだ。だから大きな声で挨拶すれば、「いってらっしゃ〜い」、「おかえり〜」などと返事もあった。建築様式も変わり、遮音性もよくなり核家族化が進むのに伴い、家族間の挨拶が減ってきたのだろうか。

また、昔と違い共稼ぎ夫婦も増えて、家族揃って食事をする機会も減っているせいで「いただきま〜す」も「ごちそうさま」もなくなってきたのかもしれない。

最近は見知らぬ人に挨拶をしてはいけないと、子供に教えているということも聞いた。

時代も変われば、世の中も変わり、挨拶を交わすことが少なくなったことが、なんとなく滅びゆく日本の文化という気がするのだが、如何だろうか。

 


炎天下のアンコールワット、孫と一緒に11キロも歩いた
炎天下のアンコールワット、孫と一緒に11キロも歩いた

歩いて、歩いて、記録して

 

雨がふらない限り、毎朝約1時間のウオーキングについては何度か触れた。いろいろな道を行く。坂や階段もある。森の中を歩いたり、少し距離をのばして海まで歩くこともある。

そんなウオーキングのデータを記録し始めたのが2020年5月のことだ。データ項目は7項目になる。1日の歩数、距離、月々の合計歩数、合計距離、月の平均歩幅、月間の一日平均歩数、そして累計距離である。

あれから4年1ヶ月、累計で7000キロを超えた。この距離は、日本からニューカレドニアまでの距離を超えている。以前、当地に友人を訪ねて行ったことを思い出す。

年内に7700キロを目指している。77歳の年の内に、と言うくだらないゴロあわせだ。あと半年である。

いままで一日の距離の最長記録は2022年の7月の真鶴半島一周13.6キロである。真鶴半島は好きなので何度も行ったことがある。深い森の緑の中を散策するのが好きだ。いつもは車で行くが、その時は、電車で真鶴駅まで行き、歩き始めた。夏、真っ盛りの熱暑の日に何故そんなことをしたのか、それはギンギンに冷えた生ビールを呑みたいから。歩き終わり駅そばの寿司屋で飲んだビールの味は格別だった。

2番目に長い距離は今年3月のカンボジア、アンコールワット遺跡を歩きまわった11.3キロだ。(写真)気温35度をこえる中を、同行した大学生の孫と一緒に、汗を拭き拭き歩いたものだ。

このように、いろいろなデータを記録していると、その数字の中に、いろいろな思い出がよみがえる。また、ほんの少しであるが歩幅も広くなっているようだ。しかし、いくら歩いても体重だけは変わらない。現在69kg、せいぜい身長から100は引いてみたいのだがーー。


沼津海水浴場にて次女と孫
沼津海水浴場にて次女と孫

年甲斐もなく

三島・沼津探訪記

 

娘たちと孫(7才)と、23日の小さな旅。年並に呑み、年甲斐もなく行動した。

初日は、話題の「三島スカイウオーク」へ。はるか下の谷底を流れ落ちる水音が響き、眼前には巨大な富士がそびえる。

長さ400mの吊り橋を渡った先では「フォレスト・アドベンチャー」なる天空のスリリングな冒険に挑戦。孫はスタスタと進む、私はノロノロと進む。

 

アドベンチャーフォレスト、天空高く孫はスイスイ進む
アドベンチャーフォレスト、天空高く孫はスイスイ進む

その後に、「ロングジップ・スライド」というワイヤーの滑車にぶらさがったロープにつかまり、滑り降りる。往路は300m、帰路は250m。見ている方がヒヤヒヤするものの、滑り降りるのは、あっという間。怖さを感じる間もない。

二日目は雨。外の観光はやめて、水族館へ。観光地の水族館ということで、まったく期待はしていなかったが、深海魚に特化した展示は実に充実している。そして圧巻なのは、マイナス20度にガラスケースに収められているシーラカンス2尾の巨大な冷凍保存である。

 

300mをワイヤーにぶら下がり一気に滑り降りる長女と私
300mをワイヤーにぶら下がり一気に滑り降りる長女と私

一時は絶滅したと言われていた古代魚シーラカンス。冷凍で見られるのは、世界中でここだけとのこと。

三日目は天気も回復し、沼津の海水浴場で、年甲斐もなく、今年の初泳ぎ。孫は、はしゃぎ周り、私は静かに泳ぐ。水はきれいに澄み渡り、空には明るい太陽が燦々と照り輝いている。だれもいないビーチ、私は一人ウトウトとーー。

午後は、柿田川公園で孫は水辺であそび、私は杖をつきながら散策。

三日間、よく遊び、うなぎ、寿司、浜焼きを食べ、沢山呑み、温泉にもつかった。

70歳の年の差もなんとか乗り越えた夏休み。また来年も楽しみだ。

 

 

※「呑兵衛雑記」に関連記事あり。


猿島探訪

 

毎年、アメリカに住んでいる娘の家族が、夏休みを利用して我が家に約1ヶ月間逗留する。その間に小学生の孫は日本の学校に通ったり、家族でディズニーランドやショッピングに、そしてもちろん美味しい日本の食事を堪能し、忙しい日々を楽しんでいる。

そして、毎年恒例なのが、私の娘二人とその子ども達三人、兄貴の娘三人とその子どもたち四人、計14人の俗称「従姉妹会」である。

去年までは、1・2泊で小旅行に言っていたが、子どもたちも大きくなり、なかなかスケジュールの一致が難しく、今年は日帰りということで横須賀の猿島に決まり、私もゲスト参加した。都合がつかない者もいて12名の日帰りツアーだ。

港から船に乗り約10分。私は、高校生の頃に行ったことがあるが、以来約60年ぶりの猿島はきれいに整備され、多くの道は舗装も施されていた。

今回は、60分のガイド付きツアーに参加。戦争遺産を中心に要塞や砲台跡、展望台などで立ち止まっては、説明を受ける。兵隊の居住区や弾薬庫の中にも入ることが出来た。それにしても戦争という異常な状況下において、兵隊たちが人力のみで建設したレンガ造りの建物群には圧倒される。若い人たちは、これらを「レトロ」と感じるのだろうか、デートで来ているカップルも多かった。

港に戻り、近くのマーケットに行く。中にはいれば、野菜や鮮魚など地元の物産のほか飲食店も多く、それらが実に充実している。そこいら辺の「道の駅」顔負けだ。私はランチに生牡蠣3個、生ビール(椎茸エールという、珍しい生ビール。美味なり)、しらすのピザなど食べる。観光地とは言いながら、どれもなかなか充実した味だ。

皆で、そばの温泉に移動、海を見ながら心地よい風に吹かれての温泉に大満足。

更に、晩は鎌倉の名店、お好み焼き「津久井」に集合。兄貴も加わり14名の大宴会となった次第である。

 


今、まさにBBQシーズン

 

どうも、私は続柄の呼び方について分からないことが多い。妻の妹は義妹、その子供は姪、そして姪の子供はなんというのかわからない。調べてみたら姪孫(てっそん)と言うらしい。

前置きはこのくらいにして、先日、ハワイはマウイ島に住んでいる姪と姪孫、そしてアメリはカリフォルニアに住む次女の家族(夫と孫7才)、そして日本にいる次女の夫のお母さんが我が家に来て、久々の親族会ならぬファミリー・バーベキュ大会となった。

そう、今や、まさにBBQシーズン真っ盛りである。

私は、冬や雨の日は屋内でも炭火を使う。区別するために屋内は「炭火焼」、屋外は「BBQ」。

普段から、炭火を使うことには慣れている。一人メシでも炭火を使う。サンマ一尾、ステーキ一枚でも炭火で焼けば、ワンクラス上等の味になる。

慣れていない人は炭を起こすのにウチワで仰いだり、フイゴ状の道具を使ったりするが、着火剤を少し多めに使い、30分ぐらいほって置けば自然に起きてくれる。「ゆっくりあせらず」がコツだ。炭が起きるまで、チビチビやっていれば良い。

今回焼いたのは、大量の手羽中、とうもろこし、ベビーコーン、椎茸、サーモン。 ポテトと玉ねぎはアルミフォルに丸ごと包んで直接炭火の中に入れておけば良い。

シメは、長女の握る恒例の炭焼きむすびだ。飲み物は、女性が多いせいか、なにやら不思議なカクテル風の缶やペットボトルが、スッポンスッポンと空いてゆく。私は、相変わらずのビールとワイン。

一段落したら、孫と姪孫を中心に花火大会。アメリカ人は線香花火をふりまわす。日本のようにじっくり眺め、さいごに膨らんでポツンと落ちる火の玉を楽しむようなことはない。そして高校生の孫は今風なダンスを披露。マイケル・ジャクソンのような、関節にヒビが入りそうな曲芸の様なダンスだ。ダンスにも風情がなくなったと思うのは老いのせいか。

ほろ酔い気分で焚き火をかこみ、なにやら分からぬ英語が飛び交う話を耳に、徐々にまぶたは落ち、きがつけば楽しい宵は夢の中。

みんなでBBQ、バンザイである。


坂・階段・山暮らし

 

鎌倉山、「山」だから当たり前だが、坂や階段が多い。多くの家は門を入り、玄関までは階段を上り下りする。拙宅も車をおりたら、くたびれた木の階段を上がって玄関となる。

さらに、車では門前まで行くことが出来ない家も多い。郵便配達や宅配便も、この坂や階段の多い地域を担当する人は大変だ。車両を、道路に一時停車して、荷物や封筒を持って、階段や坂を上り下りする。

鎌倉山ロータリーからM先輩の家の表玄関にたどり着くには、二通りの坂道がある。私は勝手に「男坂」「女坂」と言っているが、「男坂」の距離は短いが、急な、しかも不規則に組まれた、歩きにくい階段を登らねばならない。

「女坂」は緩やかな坂道だ。しかも途中にはM邸裏門があるので、ズルをして、無断で庭を通過して表玄関に行くことも出来る。

まあ、このような土地に住んでいるので仕方がないことだが、何処にいくにも坂や階段はさけられない。

私の兄は4丁目、私は3丁目、少ししか離れていない。お互いの家は谷を挟んで臨むことさえ出来る。しかし、兄の家まで歩いて行くとなると、俗称「けもの道」という約200段の階段を下って、また登ってと、その距離に比べて運動量は多く、最近はしんどくなってきた。

疲れているときや、兄の家で酒を飲んだときなど、この「けもの道」の魔の階段を避けるべく、ひとつ先のバス亭まで遠回りして帰ることすらある。

前記したように、兄の家は4丁目、私は3丁目、兄の名前は一平、私は二平、1234とややこしいこともあり、宅配便など間違えることも多い。

ピ〜ンポ〜ンが鳴って、荷物を受け取る。宛名を見れば、兄宛の荷物だ。すぐに運転手に声をかけ、間違っている旨を伝える。まにあえば良いのだが、すでに車が去ってしまったときなどは、しかなく私が届けることさえある。

高齢ということもあり、兄は「無車修行」の末に、娘に車をやってしまった。まあ、足腰が元気なうちは良いが、私も兄も、この先、心配でもある。とは言え、こんな不便な土地だからこそ、替え難い自然に囲まれ、季節の潤いを感じることができるのである。


水たまりの小径

 

 あの頃、小学校への通学路は舗装していない凸凹道が多かった。雨の日には水たまりができた。長靴で、わざと水たまりに入り、バシャバシャと水を蹴っ飛ばしては歩いた。

近くの家の池から逃げ出して来たのだろうか、ザリガニのいる水たまりもあった。雨の日も楽しい通学だった。

冬になると氷もはった。長靴でツルツルすべるのも面白かった。

車社会の発展とともに舗装がすすみ、水たまりのある道は少なくなった。

ここ、鎌倉山には未だに未舗装道路がある。雨が降れば水たまりもできる。

バス通りから鎌倉山記という石碑を曲がり、しばらくすると舗装が切れる。そこから徒歩で数分、集会所の近くまでが未舗装だ。雨が降ったあとには水たまりができる。私の好きな散歩道でもある。

周りは自然に囲まれ、見上げるような大木や孟宗竹に囲まれている。秋には沢山のドングリに混ざってイガに包まれた栗も落ちている。足元にはシャガやウマゼリ、スイカズラ、アジサイなど季節の花も咲く。雨以外の日は毎日、歩いているが、小綬鶏(コジュケイ)に出会うことも多い。何羽か連れ立っている。近づくと、びっくりしてチョコチョコと走って藪の中に消える。よっぽどでない限り、あまり飛ぶことはない。キジバトやガビチョウは警戒心に欠けるのか、近寄るまで気が付かないことが多い。

ここ以外でも、鎌倉山動物病院の裏手の未舗装道路も良い。ここからの眺望が素敵だ。大船市街地から遠くに横浜のランドマークタワー、横浜ベイブリッジも遠望できる。さらに遠くには雪をかぶった富士山が遠望できる。

水たまりの小径、今となっては貴重な道だ。


富士山

5/10 18:30 撮影 
5/10 18:30 撮影 

私が鵠沼海岸に住んでいた幼い頃、毎朝学校に行く途中にいつも気になる大きな門の家があった。門柱の表札には「富士山」と書かれていた。名字が富士、これはそのまま読めば良い。問題は名前だ。後に「山」と書いて「たかし」と読むことを知った。それにしても、さん付けで呼ぶ場合は、やっぱり「ふじさん」になるんだな〜、と冗談のような本当の話はさておいて、私は富士山が好きだ。

恥ずかしいことに、私は富士山に登ったことはない。五合目までは車で行くことができるので、若い頃には何度か行ったことがある。しかし、五合目あたりに近づけば荒っぽい茶色の砂のような傾斜は、遠望する優雅なイメージとは違う。

近くなら富士五湖あたりから見る富士山も素晴らしい。身近に感じるその雄大さに圧倒される。

ここ鎌倉山から見る富士山が良い。朝の散歩で見る、晴れやかな富士、ビール片手に見る夕闇の富士、見るたびにその表情は変わる。

真冬の深夜、冬化粧した富士が月の光に照らされてぼんやり見えることがある。偶然に二度しか見たことがないが、暗闇にかすかに光る富士については、あまり知る人はいないだろう。

また夏の晴れた夜には登山中の人が撮るフラッシュがピカっと光るのも見えることがある。最近は弾丸登山とか、マナーを守らない無謀な登山をする人が多いと聞く。また、ロープウエイを新設する計画もあるとかないとか。あまり富士山を荒らしてほしくないと思うのは私だけではないだろう。

 

M先輩と毎月グループホームでギターに合わせ入居者と一緒に大きな声で合唱する。その時に使う歌集の最初が、やはり「富士の山」だ。

この歌集はM先輩の手作りで、14年間に六回も改訂され、現在200曲も掲載されている。何度改訂されても冒頭は「富士の山」だ。

『頭を雲の上に出し 四方の山を見下ろして 

雷さまを下にきく 富士は日本一の山』

この歌をうたうと、何故か元気が湧き出てくるのである。

早朝散歩「夫婦池コース」

              夫婦池公園
              夫婦池公園

雨がふらない限り、ほとんど毎朝散歩をしている。いろいろなコースを約一時間歩き回る。今回は、その中のコースから自称「夫婦池(めおといけ)」コースをご紹介する。とてもローカルでニッチな内容なので、遠方の方にはわかりづらいと思いますが、ご容赦を。

我が家を出たら、階段を下り、バス通りに出て鎌倉山ロータリーを右折、しばらく歩いて、老人ホーム沿いを右折、道は徐々に狭くなり、人ひとりしか通れない急な坂を下る。こんな所に、「ポツンと一軒家」。見上げるような左側斜面は美しい竹藪、そして坂にへばりつくような墓地を左に見れば、すぐに幅広い車道に出る。「観光いちご園」の三叉路を右に回り込めば、兄のホームページでも紹介している「仏行寺」だ。更に進んで「三嶋神社」でお参りをし、道なりに進むと「夫婦池公園」に到着。ここで、歩を緩めてゆっくり進む。

池の水は濁っているがよく見れば大きな鯉が沢山見える。その合間を縫うようにヨタヨタと泳ぐ小さな亀が水面に時々顔をのぞかせる。運が良ければ、鮮やかなブルーとオレンジ色のカワセミを見ることができる。目にも止まらぬ速さで飛び抜け、森の中に消える。対象的に、のんびりと鴨の家族が浮遊している。そんな、のどかな景色を愛でたら、気を取り戻して登り坂にかかる。鎌倉山集会所の交差点をさらにまっすぐ登ると、(四月の下旬には)左側に見事に咲き誇るシャガの群生が見られる。

 鎌倉山神社    
 鎌倉山神社    

夫婦池公園から、ここまでの登り坂が、このコースで一番の難所だ。汗を拭き拭き更に進む。右側「安心堂」(心療内科)の古めかしい石の門柱の三叉路を右折、すぐ左にあるインク・ギャラリー(と言っても何も標識は出ていない)T字路を左折、道なりにすすみ次のT字路を左折、数十メートルで鎌倉山神社に到着する。神社と言っても、十数段の階段を登ったところに、苔むす小さな祠(ほこら)があるだけだが、何故かここで手を合わせると清々しい気分になれる。私の好きな神社だ。

 

ここまで来たら、あとは裏道をまっすぐ行き、下ったところのT字路を右に曲がれば、以前は棟方志功の作品を展示していた旧「棟方版画美術館」だ。あとはバス通り沿いに進み、「見晴らし」バス亭の階段を上がり「鎌倉山ローストビーフ」の前を通過して帰宅。これだけ歩いて1時間強、約6千数百歩、およそ4.5㌔だ。これからの季節は帰宅後のシャワーが気持ち良い。さて、明日はどのコースを歩こうか。鎌倉山は散歩天国だ。

赤字※は外部リンクです。

変貌の鎌倉山 後編

「大邸宅」

 写真は、ここ数年で話題の「無理やり建築」の大邸宅。こんな所に、とびっくりしたのは、バス通り沿いの石垣をくずして建てた、巨大な家だ。 散歩仲間の情報によれば最近見かけなくなった女優の高木美保のご主人(台湾国籍の大金持ち)が建てたらしい。屋上には愛犬用のプールもあるという。石垣を崩す工事から2年以上もかけ、数億円もかけて建てたのに現在は誰も住んでいないという。不気味な佇まい。もちろん表札も出ていない。

大邸宅では、最近テレビで見なくなった、みのもんた邸。まるでゴルフ場のクラブハウスのようだ。深夜でもこうこうと明るい室内照明が光っている。 

素敵なツリーハス、今は取り外されてしまった(2020年6月撮影)
素敵なツリーハス、今は取り外されてしまった(2020年6月撮影)

フラワーアーティストという不思議な肩書を持つ假屋崎省吾も引っ越してきた。彼も出番は大分少なくなっている。この邸宅のシンボルだったツリーハウス(写真)は、彼が引っ越してきた途端に取り外された。素敵なガレージもなくなり、そこには現在超ノッポの家を建築中。背伸びして海を見たいのだろうか。

そのほか、やはり出番が少なくなっているタレントのテリー伊東も近くにいるようだが、詳しい場所はしらない。

そしてこの人も、最近活躍していないようだが元NHKのニュースキャスターで政治家の宮崎緑の自宅は、それほど大きくはないが、四六時中門前に警官が一人いるのは異様だ。

売れなくなった有名人は鎌倉山がお好きなようだ。

大邸宅と言えば、鎌倉山神社の向かい側に、異様にデカい家が建った。母屋の他に二棟の別棟もある。お寺ではなさそうだが、鐘つき堂もあり、多くの灯籠が並んでいる。噂によれば、大金持ちの外人だそうだ。相当な日本かぶれなのだろうか。

我が家のすぐ近くには、昔のオペラ歌手藤原義江の自宅があった。暖炉が2つもある素敵な家だったが、取り壊され近代建築になり、今は台湾人の所有になっている。

見晴らしバス停の隣接地、そして更に上の土地も工事中。これから大邸宅ができるようだ。

 散歩のたびにこんなことが気になるのは、年金爺のヒガミなのか!

変貌の鎌倉山 前編

「分散化」

 

毎朝の散歩、気になるのは変貌する鎌倉山だ。

昔の大きな家が壊され、ある日、そこに重機がはいり開発が始まる。しばらくすると、売出し中の看板が立ち、売れたところから徐々に家が建ち始める。これらの過程を見るのも散歩の楽しみのひとつになっている。

 

具体的には、昔は立派な「日立山荘」があった広大な土地には、現在9軒の家が建っている。

家の1/3ぐらいが崖から飛び出して宙に浮いているような家。

おそらく、すべて特注で作らせたと思われる凝ったフェンスに囲まれた庭をもつ家など、駒は小さく分散したが、それぞれ、なかなか凝った家が多い。そしてガレージには外車が並ぶ。

現在開発中はバス通り沿いに集中して3箇所。写真は手前が三軒に分散し、既に小洒落た家が並ぶ、その奥に見えるのが現在開発中の土地だ。手前に写っている赤い自動車はテスラ、写真では見えないが、その手前のガレージにはミニとランドローバーがならび、さらに手前の家にはコンバーティブルの古いベンツが鎮座している。

昨今の経済環境から、広大な土地や邸宅を維持できず、このような細分化は致し方ないとも思うが、開発の度に桜や多くの木が切られ、緑が少なくなっているのは嘆かわしいことだ。(続く)

 

 

 

広町緑地の大桜

 

桜の季節、毎年楽しみにしているのが、広町緑地の大桜だ。今年も4/2に行った。自宅から歩いて20分で緑地の鎌倉山入口につく。そこから森の中を約10分歩いて目指す巨木に到着。その堂々たる姿には、いつも圧倒される。樹齢200 年以上と言われているこの大桜、種類は山桜だろう。染井吉野より開花が少し早い。今年は少し出遅れたようだ。下の方は既に葉桜になっていた。

20年ぐらい前に、この緑地に宅地開発の計画があったが、反対運動が起こり、論議の末、鎌倉市が買い上げて自然公園とした。

私が初めてこの大桜を見たのは、さらに遡ること、今から30年以上も前だ。その頃はもっと大きかったように思うが、その後に剪定などの管理が進んだのだろう、樹形は以前より整った。

 

今回は、ここから更に足を伸ばして御所谷入口まで、約40分歩いた。途中の湿地帯には木道が整備され、管理事務所そばの芝生広場では、幼稚園の子どもたちが遊んだり、お弁当を広げている御婦人達もいた。

帰路は、津村からバスで帰宅。全工程2時間8千歩強の散策だった。

のどかな春の日に爽やかな風を胸いっぱい吸い込んだ。何故か心が豊かになったような気がする。

 

 

3/26 朝6時すぎ、絶景に散歩の足も軽くなる。
3/26 朝6時すぎ、絶景に散歩の足も軽くなる。

体調管理は早朝散歩

 

先日、カンボジアのアンコール・ワットに行った。遺跡はすべて徒歩での観光となる。毎朝散歩しているので体力に自信はあったものの気温36度のカンカン照りのなか、何時間も歩くのは流石にこたえた。広大な敷地を、汗を拭き拭き一日2万歩も歩いた日もあった。

帰国翌日の朝、いつものコースを散歩。なにやら足が軽々と進む気がした。カンボジアでトレーニングをしてきたようなものだ。

毎朝の散歩、ここ鎌倉山は階段も多い、坂を下っては登る道も多い。その朝によって、それが苦痛に感じるときもあれば、らくらくとこなすときもある。それが私の体調管理になっている。

いろいろな道を歩くが、一番多いのは「鎌倉山神社」巡回コース、約1時間、6️千歩強のコースだ。時々、大股で歩いたり、調子がいい時は小走りしてみたり、それをする気になるか否かで体調がわかる。

一番つらいのは、散歩の途中で便意を感じたときだ。この辺りには公衆トイレはない。早朝なので知り合いの家に飛び込むこともできない。そういう時は、すぐに踵を返して帰宅することになる。なんとか我慢して帰宅。すぐさまトイレに駆け込む。ズボンを脱ぐのもハラハラしながら、なんとか間に合い、用を済ませたときの開放感。

そのあとは反省。「やっぱり、昨夜は飲みすぎた!」となるのである。

なんでも、ほどほどにとは思っているものの、自己規制がはずれると翌朝の散歩はつらいのです。

不便の効用 その②

 

2/4の当ページに鎌倉山の交通事情について書いたが、今回はお店について触れる。

ここ鎌倉山全体が風致地区となっていることもあり、お店と呼べるものは数少ない。

飲食関連は有名な「ローストビーフ鎌倉山」や「檑亭」、他にも最近話題になっている(らしい)「ル・ミリュウ」など数店あるが、何と言っても「喫茶マウンテン」(写真)は当地を象徴する店だろう。1985年(昭和60年)に開店したと言うから来年で40年となる。もともとは網野商店という雑貨店で、日用品から卵や駄菓子も売っていたらしい。この店から見れば他の飲食店はみな新参者だ。

高価で敷居が高い店、看板料理よりもお庭が売り物の店、旨い不味い、それぞれ評価は別として、それなりの飲食店はあるものの、なんとも不便なのは商店だ。

日常生活に関する商店はほとんどない。以前は酒屋や美味しいパン屋もあったが、現在は米屋と花屋があるのみだ。

一時は生鮮品を積んだ小型トラックがロータリーのそばまで来たこともあった。現在は食料品、日用雑貨も含め、山を降りなければどうすることも出来ないので、ほとんどの住民は車で買い物に行く。

そんななか、実兄は80歳をすぎ、「無車修行」と称して、不便なバスと自らの足でどこにでも行っているようだ。

毎日のメシぐらい、話題のウーバーイーツや宅配の食事など頼めばいいと思うのだが、味は期待できないし、歳のせいもあり、なんとなく抵抗があるので、まだ使ったことはない。

こんな不便さを差し引いても、毎朝の鳥の声、海、山の景観など、ここ鎌倉山の素晴らしい自然に勝るものはない。

竹の小路

 

日本庭園には竹と苔がよく似合う。鎌倉で「竹」と言えば報国寺が有名だ。「竹寺」とも呼ばれている。

ここ鎌倉山一帯にも、竹はいろいろな所に生えている。

写真は私が好きな竹の小路だ。土地の人以外には殆ど知られていない小路だ。山側からこの道に入る二箇所の入口さえ、普通の人にはわからないだろう。

人ひとりがやっと通ることができる道で、永い間にふりつもった竹の葉がつみ重なって出来た道は、歩くとフカフカと柔らかく、歩いていても気持ち良い。

鎌倉には孟宗竹が多いが、ここに生えている竹は、真竹というのか詳しいことは知らないが、いわゆる普通の竹である。ちょっとした竹細工や七夕飾り、正月飾りを作るには手頃でいい。

木工仲間のM先輩は、ここの竹で笛を作るのに凝っていた頃がある。毎年、こどもの日を挟んだ連休に「子供工作教室」を開いて、子供に笛作りを教えていたが、教えるより自分がハマっていたようだ。M邸の前を通るとピー・ポーと自作の笛の音が聞こえていたのが懐かしい。

彼も、はじめは、なかなかうまく鳴らなかったものの、コツを得て慣れてくるとずいぶんいろいろな笛を作っていた。いくつかの笛をあわせて蒸気機関車の汽笛のように響く笛や、南米の笛「ケーナ」まがいの笛も作っていた。助手の私も尺八のような大きな笛を作ったことがある。すべて、この小路の脇に生えている竹で作った。

近所の子供達はだんだんと大きくなり、工作教室にも来なくなった。並行してM先輩の笛熱も冷めた。

先日、久しぶりに、この「竹の小路」を歩いた。当時のいろいろな思い出が蘇り、楽しい散歩だった。

昭和初期の地図で見る鎌倉山第二弾。

(地図をクリックすると大きな地図が見られます)

赤い丸で囲ったところには「交詢閣」、通称「鎌倉山ロッジ」と呼ばれた社交場があった。現在の「見晴らし」バス停の横の階段を登った所だ。当時のバス停の名前も「交詢閣前」だったらしい。

私が小学生の頃だが、父がここから近い所、今のみのもんた邸の隣接地に小さな土地を持っていた。よく家族で草刈りに行き、帰りに、このロッジでお茶を飲んだのを微かに覚えている。

 

米山尚志著「鎌倉山正史」(非売品)によれば、銀座にある「交詢社」が関東大震災で焼けたあと、古い電柱を組み立ててロッジ風の建物を建て、それを後に、ここ鎌倉山に移築したらしい。

食事は帝国ホテルが担当し、鎌倉山のシンボルと同時に湘南地方の近代的な社交場として話題になった、とのこと。

いつ頃、閉館したのかはわからないが、現在は普通の大きな家が建っているものの、長いこと空き家になっている。こんな眺めの良い素晴らしい土地なのに、なんとももったいない話だ。

 

階段の下「中川殿」と書いてある所は、東京赤坂を代表する料亭「中川」の別邸だったらしい。赤坂では吉田茂ほか大物政治家が密談していたというから、もしかしたら彼らも、ここ鎌倉山に来ていたかもしれない。

その中川邸の脇の道を入り、大きくカーブしている左側が、現在のみのもんた邸である。私の家からも近いのだが、彼に会ったことはない。

この辺り一帯は、私の毎朝の散歩道でもある。現在さらに開発が進んでいる。変わりゆく鎌倉山、ちょっと淋しい気分がする。

鎌倉山に温泉が

 

ここに引っ越して約30年、鎌倉山について、いろいろ知りたい。この地が気に入っているし、いろいろな思い出もある。

そんなことから、手に入る限りいろいろな資料を収集してきた。それらの中に、昭和初期の開発当時の地図の複製がある。改めて、ルーペに頼りながら眺めてみた

上の図は、その一部分、鎌倉山ロータリー付近を切り取ったものだ。(地図をクリックすると大きな地図が見られます)

バス停には小屋があり「鎌倉山停留所」と記されている。その横には「便所」と書かれている。こんなところに公衆便所があったとは知らなかった。

現在は石碑が立っているロータリーの中心には噴水があったようだ。その左側には、ここ一帯の住宅開発の事務所があり、その後ろには、なんとベビーゴルフ場があったらしい。現在は水道局の資材置き場になっている所だ。ポストは現在とは反対の左側にあったらしい。

噴水の右側、現在は喫茶店がある場所には「日用品購買所」があり、驚いたことに、その隣は「テニスコート」と書いてある。

更に、びっくりするのは、このロータリーからわずか右に移動したあたりに、温泉マークと建物のイラストがある。そこは「鎌倉山温泉 清風園」と書かれている。以前、このあたりに沢山のタイルの破片が落ちているのを見たことがある。それらは温泉の浴槽や壁に使われていたものだろう。

このあたりが、鎌倉山開発事業のシンボル的な場所だったことが伺われる。

昭和初期としては、大事業だったに違いない。

噴水を中心に、テニスコート、ベビーゴルフ、温泉など、今で言うリゾート開発のようなものだったのだろう。

この古い地図を見ていると、当時にタイムスリップしてみたくなる。

長くなるので、今回は、このぐらいにして、他にも、いろいろと興味をそそられることがあるので、それらは改めてご紹介することとする。