DIYトイレ編
木造住宅の法定耐用年数は22年だ。どうりで、築30年の我が家は、各所に支障が出始めている。つい先日も一部外回りのサイディングやサッシなどを取り替える工事が入ったばかりだ。
そして、ある日TOTOウオッシュレットが壊れた。毎日を清潔にすごすには、欠かせないものだ。なんとか自分で修理できないものかと色々検討したが、これは素人の手にはおえないような気がする。
以前聞いた話では、ウオッシュレットの修理・交換には法外な金がかかるらしい。年金暮らしの小生として、極力出費は抑えたい。
ネットで、いろいろと探ってみた結果、意外なことに規格化されていて、どうやらTOTOの便器本体に、違うメーカーのものでも対応できるらしい。
そう言えば、近くのホームセンターに馬蹄形のトイレ・シャワーがいくつも置いてあるのを思い出した。さっそく出かけて、いろいろ見てみる。TOTO以外にもいろいろなメーカーのものが並んで知る。知らないメーカーは避けて、比較的安価なINAXの製品を購入、22,800円(税別)也。値札のすぐ横に「取付費8,000円」と記されていたが、とりあえずは、自分でやってみようと思い、工事依頼はしなかった。
帰宅して、まず故障した現在のウオッシュレットを外すことに。
水道の元栓を閉め、リモート機器など電気関連のコードをはずし、やってみたら、あっけなく全て外すことができた。
この時とばかりに、汚い便器の裏側や、普段手の届かないところもお掃除。ピカピカにきれいになった所で、新しいものを設置してみることに。水道の給水管工事に多少手間取ったが、やってみれば、あっけないほど簡単に工事は約1時間半ぐらいで終了。
グレードは落としたので、リモートでは無くなった。以前と比べると多少水圧がおちるような気がしないでもないが、それほど気になることもない。以後、毎日(私の場合は、毎朝)快適に、清潔に過ごしている。
考えれば、給湯器、洗濯機なども30年になる。これからもいろいろと支障が出てくるだろう。
一方、私の耐用年数も迫っているが、これだけは他のメーカーに替えるわけにはいかない。
バス路線が消えた
歩いても汗みどろにならず、気持ちのいい朝、いよいよ散歩の季節到来だ。毎朝歩いて気がつけば、この何年か鎌倉山一帯は開発が進み、何百坪もある大邸宅がいくつもに分割されて売り出されているのが多くなった。「湘南」、「鎌倉」などのブランドに引き寄せられ、猫の額のような土地にどんどん家が立つ。近い将来、人口も増えるのだろう。
それに反比例するようにバスの本数はどんどん減り、10/1からは、ここ鎌倉山から鎌倉駅行、大船駅行のバスも一時間以上来ない時間もあるようだ。そして江の島行のバスは、とうとう時刻表から姿を消した。
小田急江の島駅のそばにいる友人の家や、好きなラーメン屋、海の見える蕎麦屋、江の島散策など、このバスを使っていたが、今後は歩いて山を降り、西鎌倉からモノレールで江の島下車、混雑する洲鼻通り、さらに長い桟橋をわたり、20分以上歩かないと江の島にはたどり着けなくなる。
山の人口は増えるのに、ただひとつの公共交通機関のバスが減ってゆく。車に頼らざるを得なくなるものの、高齢者には免許を返上しろと促す。
若者は車があれば日常生活はそれで足りる。私のような呑兵衛爺は、まさか運転して飲みには行けず、かと言って山を降りなければ飲み屋はない。大船、鎌倉あたりの好きな店に行くのもままならなくなる。
問題は帰路だ。夜が更けてくると、バスの本数はなおさら減ってくる。タクシーも大船駅はまだマシだが、鎌倉駅のタクシーは随分減ってきた。仕方なく、ケチな酔っ払い爺は延々とバス停で待つことになる。
バスもタクシーも運転手不足と聞くが、今後、私のような高齢者は座敷牢たる拙宅でチビチビ飲みながら、おとなしくしているのが良さそうである。
私の至福のとき <夏編>
暦の上では秋と言い、まだまだ熱暑の日が続くが、そんな日々にあっても「あ〜幸せ」と感じる「私の至福のとき」三種である。
その①
まずは毎朝の散歩だ。早朝とは言え、歩き出して十五分もすると汗が噴き出してくる。小さなタオルで汗を拭き拭き約一時間も歩くと頭から滴り落ちる汗は目に染み、着ているTシャツはビショビショになる。帰宅するなり熱いシャワーを浴びる。ここからが至福の時間の到来となる。
体を洗い終わったら、シャワーは出したまま、給湯器のスイッチを切るのだ。シャワーから出てくる温水は徐々にぬるくなり最後は滝のような冷水が肌を刺す。しばしの間、この温度変化に身を任せ、最後の冷水シャワーを頭からかぶり、じっと耐える。身が締まる思いがする時、何故か「幸せ」を感じるのである。
その②
次の私の至福は、波が殆ど無い静かな湾や入江で両手両足を広げ、ただただ仰向けにプカーツと浮いているときだ。なんとも幸せを感じるのだ。そのままでも息はできるし、耳のあたりをさざ波がくすぐる。目をあければ夏の陽射しが眩しい。近くでポチャっと魚が跳ね、びっくりする。遥か遠くには子どものはしゃぎ声も聞こえる
静かな海、湘南では葉山の一色海岸あたりが良い。先日行った沼津の牛臥浜も良かったが、漂っていたら潮の流れに乗って、気がつけば随分西の方に流されていた。潮の流れには要注意だ。
その③
そして最後は、日没の空を見ながらウッドデッキでの晩酌である。夕方になれば、この季節、ほぼ毎日のように枝豆を固めに茹で、ビールを片手に、二階デッキの一番高いところに腰を据える。夕陽に照らされながら、刻々と変わる雲の様相に見入る。心地よい海風に乗り、江の島から飛んできたコーモリが、パタパタとぎこちなく下手な飛び方をしている。徐々に富士山がシルエットとなり、振り向けば白く輝く月も見えてきた。一番星もチラチラ輝き始める。正確に十秒ごとに光を放つのは江の島灯台。
ただただ、ボーっとすごすひととき。こう言うのを「無為」というのだろうか。まさに「私の至福のとき」、そして「大切なとき」でもある。
弁当を食いながら
幻想「恐怖のウオーキング」
久々に木工仲間三人で日影茶屋の弁当ランチとなった。(写真)
そこで兄が開口一番「お前は、頭以外は丈夫でいいな」と、本人は冗談で言ったつもりだろうが、まさに、私の問題は、そこにある。
ボケ防止も兼ねて、毎日日記を万年筆で、縦書きしているものの、初歩的な漢字が出てこない。その頻度が増している。仕方なく、机上には、いつも電子辞書をおいてある。
親しい友のニックネームはすぐ出るものの、苗字が思い出せない。店の名前、土地の名前、花や木の名前も、すぐには出てこないことが多い。
夫婦なら「あれこれそれ」で済むのだろうが、たまに会う人とはそうは行かず、会話が滞る。
近眼乱視老眼でメガネの世話になっている。耳も遠いので補聴器も使っているが、頭の悪いのを補助してくれる器具はない。
それらを除けば、血圧は高いが、兄が言うように健康体である。歯も丈夫だ。これは毎朝約1時間のウオーキングと、毎日2合以上飲む牛乳のおかげと、勝手に思っている。
偉ぶっていても、早朝に眠い目をこすり、ウオーキングをサボってしまいたくなるものだ。特に冬の寒い朝、まだ星が輝く空を見ていると、ぬくぬくする布団に潜ってしまいたくなる。しかし、ウオーキングに出ないことが恐怖心につながる。
もし、やめてしまったら、酒飲みの私はブクブクと太り始め、血圧は上昇の一途をたどり、ボケは旧速度で進行し、徘徊した結果、行方不明者として登録されるのがおちだ。
まあ、恐怖におののきながらでも、歩き続け、のどが渇けば牛乳を飲んでいれば丈夫でいられそうだ。
と、弁当を頬張りながら、兄の一言に、つまらぬことを思っていた。
話を最初に戻す。そんな木工仲間とのランチはいつも話題の幅が広い。やれアメリカ大統領はーー、自民党総裁はーー、車、オーディオ、新札はイカサネーなーー、孫の話、メシの話と、尽きるることはない。
年寄りの集まりにありがちな、愚痴や昔の自慢話がでないのが最高の仲間である。
お百度参り
毎朝の散歩が日課となっている。
ここ、鎌倉山は、交通量も少なく、緑が多く、景色もいいので、いろいろなコースを歩く。最近、多くなっているのが自称「鎌倉山神社コース」、往復約3.5Kmのコースだ。
どうせならと、2月から神社に詣でる回数を数えだした。 そして、約半年かけて8月19日に百度参りを達成。
自分ながら、馬鹿なことをやっているとは思うのだが、生涯一度ぐらい百度参りもいいだろう。
我が家が海抜約80m、神社が100m、と言うこともあり、自宅から神社までは、ノロノロと上り坂が続く。約30分で到着。今の季節だと、このわずかの高低差で大量の汗が吹き出る。神社の入口にたどり着き、汗を拭き拭き、古ぼけた石段を数段登る。そこに小ぶりな、石の鳥居がある。
この小ぶりの鳥居の高さが実に良い。背の高い人なら頭がぶつかってしまいそうな高さ故、自然と頭を下げることになる。
全12段の石段を登りつめた所に小さな石の祠(ほこら)がある。幾許(いくばく)かの小銭を、小さな賽銭箱に投げ入れたら、二拝二拍手一拝となる。
特に、これと言ったことをお願いすることはなく、家族兄弟などの健康を祈るぐらいである。この百度参りのせいとは言い切れないが、いまのところ皆元気で暮らしている。
帰りも鳥居の所で振り返り、お辞儀をして帰路につく。単純な性格の私は、これだけでなんとなく心爽やかな気分になるものだ。
<240825>
原チャリが消える
原チャリ、正しくは原動機付自転車のことだ。
私の愛車、ホンダスーパーカブが生産を終了する、というニュースにびっくりした。すでに2017年には世界での累計生産台数は1億台を超え、世界一の生産台数を誇っている名車だ。ホンダと並び、俗に言う「原チャリ」の大手スズキも同じような発表をしている。
2025年11月から始まる新たな排ガス規制の適用対象となり、技術や費用の面から今後は新たな生産、販売は困難になったとのことだ。
軽自動車と並び。日本の乗り物文化の一端を担ってきた原チャリが消える。
スーパーカブを代表とする原チャリは、どんな田舎でも大都会でも、日本中の郵便配達、出前、新聞配達などを担って毎日走り回っている。大げさに言えば日本の流通文化が変わる。
私が現在乗っているスーパーカブ(写真)は2代目だ。1代目は、13年間乗った。2代目に乗りかえて約3年になる。現役の頃は毎朝最寄りの駅まで乗っていった。寒い日には手袋をしてもアクセルを握る手が凍りついた。暑い日はヘルメットをかぶる頭部だけびっしょりと汗をかいた。
俗にリッター100キロ、と言われているが、それほどではないにしろ、ガソリンをいつ入れたか忘れるぐらい経済的だ。車と違って、駐車場に苦労することはほとんどない。こんな便利な交通手段は他にない。
今後、総排気量50cc以下の原付きバイクの生産、販売が困難になることを受け、警察庁は125cc以下のバイクでも最高出力を現在の原付きバイク程度に抑えられたものであれば、原付き免許で乗れるようにする方針を固めた。ということは、本来の持っている能力を、わざわざ落としたバイクの出現となる。さあ、これからメーカーはどのようなものを作っていくのだろう。それも楽しみだが、とりあえずは思い出つまった現在の愛車「スーパーカブ」をできるだけ長く乗ってやろう。
さあ、私と愛車と、どちらが先にくたばるか、頑張りごっこだ。
「小綬鶏」
鎌倉山には沢山の野鳥がいる。カラスや雀、鳩はどうでもいいが、最近増えてきたのがガビチョウだ。原産は中国のせいか、目の辺りには京劇独特の化粧のような模様がある。雀より少し大きく、大きな声で、スットンキョウないろいろな鳴き方をする。
春に鳴き始めた鶯(うぐいす)は此の時期になっても、まだ鳴いている。豪快に空を舞うのはトンビだ。森の中からはキツツキが超高速で木を叩く音が聞こえる
女夫池では矢のように飛んでゆくカラフルなカワセミも見かける。ゴイサギや白サギも水辺にいることが多い。
しかし、何と言っても鎌倉山を代表する野鳥は、写真の「小綬鶏(コジュケイ)」だ。「小綬鶏の会」という地元の社会福祉団体があるくらいだ。大きさは鳩より少し大きいぐらいだ。キジの一種らしい。
私は、雨がふらない限り毎朝散歩をするが、80%ぐらいの確率でお目にかかるのが小綬鶏だ。家族連れなのか、大概は複数で行動している。ヤブの中から出てきて、散歩道をチョコチョコ歩き、また反対側の藪の中に消えてゆく。一度藪の中に入ってしまったら、その迷彩服のような姿は、どこにいるのかわからなくなる。
「チョットコ〜イ」と、大きく響く呼び声がすれど、どこに行けば良いのか、その姿は見えない。
思い出せないが、以前読んだ小説に、小綬鶏はトロイので、すぐに捕まるから、鍋にして喰うと旨い、と書いてあった。しかし、それほどトロクはない。けこう俊敏に動いている。飛ぶのを見たことはあまりない。
毎朝、汗だくになって歩く道すがら、小綬鶏がチョコチョコ歩く愛らしい姿に出会うと、なぜか心和むのです。
酷暑
鎌倉山付近の地元の話で恐縮だが、女夫池(めおといけ)から坂を登ると鎌倉山集会所の角にでる。このダラダラと長く続く坂を歩くのは、それなりに厳しいが、敢えて足の筋肉にストレスをかけるべく、ときどき歩いてみる。
坂を途中までのぼり、集会所の屋根がみえてくると「もう少しだ、頑張ろう」と思う。
ところが、最近は生い茂る雑草のために、近くまで行かないと、この屋根が見えなくなってしまった。これほど茂ることはいままでなかった。
酷暑のために、手入れが間に合わず、我が家の庭は荒れ放題だ。ヤブカラシ、カラスウリなどのツタが庭木を覆い隠さんばかりである。自分がサボっているせいもあるが、これほどの荒れ方は今までなかった。
雑草、笹、蔓草を含め、この夏は例年になく生い茂っているように感じる。これも温暖化の影響だろう。
早朝、日の出とともに虫やセミが一斉に泣き出す。三月に行ったカンボジアの朝と同じだ。36度にもなるアンコールワット遺跡を一日中歩いたことを思い出す。
つい数年前までは、「線上降水帯」とか「熱中症警戒アラート」などという言葉はなかった。スコールや竜巻は外国の話だった。
この暑さのさなか、水風呂に入りたくバスタブに水をため、汗びっしょりのまま、水風呂に浸る。ヒヤッとして気持ちが良いものの、温度計で計ったら25度もあった。水道の水さえ生ぬるくなっている。
たしか小学校の社会科の授業では、日本は温帯に属し、四季の移り変わりがある、と教わったが、いまや熱帯に組み入れられているかのようだ。
すべてのものは熱すれば膨張する。オゾン層は破壊され、熱くなった地球は膨張し、膨らみきった風船のように、いつの日か破裂してしまうのではないかとさえ思ってしまう今日このごろである。
ちょっと嬉しい落書き
朝の散歩コースは、特に決めてないが、鎌倉山神社という小さな祠(ほこら)までの往復3.5キロのコースを行くことが多い。この神社については改めて書こうと思うが、先日ここに行き、鳥居の手前でお参りをするべく頭を下げた時、道路にチョークで書いた、写真のような落書きが目に止まった。
白いチョークで道路に沿った矢印に「TRAIL」(順路)、黄色のチョークで鳥居に向かって「PRAY」(お祈り)とある。
普通の矢印だけが道路ぎわや、電柱などに書かれているのは、ときどき見かける。多分ウオーキングの愛好者グループが、この矢印に沿って進む大会でもあるのだろう。私が見たのは早朝なので、きっと前日に行われたイベントのものだろう。
わざわざ「PRAY」と、鳥居に向かった矢印が書かれているのを見て、なんとなく嬉しくなった。
昭和の昔、町の小さな玩具屋で蝋石(ろうせき)という、道路に落書きができる不思議な石を売っていた。1センチ角、10センチぐらいの長さの石だったように覚えている。舗装された道路に、これでいたずら書きをする。道路上に四角や丸を書き、それにそって飛び跳ねながら進むような遊びもした。「あいあい傘」の両側に好きな女の子と自分の名前など書いて心ウキウキしてたこともある。車も人も交通量が少なかった時代の子どもの遊びだった。
久しぶりに見た道路の落書きに、そんな小さな頃の遊びを思い出した。
改めて頭をさげて鳥居をくぐり、33段の階段をのぼり、祠に向かって柏手を打ちながら、なぜか心楽しくなった朝の散歩だった。
挨拶は、日本の文化
外出するときは「いってきま〜す」、帰宅したら「ただいま〜」、ご飯を食べるときは「いただきま〜す」、食べ終わったら「ごちそうさま」、寝るときは「おやすみ」、起きたら「おはよう」、というのが昔は当たり前だった。家族や他人にかぎらず「挨拶」は常識だった。他の国にはない日本の文化だった。
どうも最近は、その様な常識が通じないことが多いような気がする。
毎朝の散歩でも「おはよう」と挨拶を交わす人も多いが、中には全く無視されることも多い。とくに偉そうにしている男性はダメなのが多い。リタイアしても、まだ会社の上役のつもりでいるのだろうか。
そういえば、私が現役の頃にも挨拶をしない若者が何人もいた。観察していると、彼らは仲間とパソコンを通じて会話をしているようだ。隣の席にいる仕事仲間に「今日のランチ、どこに行く?」などと、メールを送っている。
冒頭の「いってきま〜す」や「ただいま〜」を言わなくなってきたのは、もしかしたら家庭環境や住宅環境の変化が原因かもしれない。昔は居間や茶の間には、必ず誰か家族がいたものだ。だから大きな声で挨拶すれば、「いってらっしゃ〜い」、「おかえり〜」などと返事もあった。建築様式も変わり、遮音性もよくなり核家族化が進むのに伴い、家族間の挨拶が減ってきたのだろうか。
また、昔と違い共稼ぎ夫婦も増えて、家族揃って食事をする機会も減っているせいで「いただきま〜す」も「ごちそうさま」もなくなってきたのかもしれない。
最近は見知らぬ人に挨拶をしてはいけないと、子供に教えているということも聞いた。
時代も変われば、世の中も変わり、挨拶を交わすことが少なくなったことが、なんとなく滅びゆく日本の文化という気がするのだが、如何だろうか。
歩いて、歩いて、記録して
雨がふらない限り、毎朝約1時間のウオーキングについては何度か触れた。いろいろな道を行く。坂や階段もある。森の中を歩いたり、少し距離をのばして海まで歩くこともある。
そんなウオーキングのデータを記録し始めたのが2020年5月のことだ。データ項目は7項目になる。1日の歩数、距離、月々の合計歩数、合計距離、月の平均歩幅、月間の一日平均歩数、そして累計距離である。
あれから4年1ヶ月、累計で7000キロを超えた。この距離は、日本からニューカレドニアまでの距離を超えている。以前、当地に友人を訪ねて行ったことを思い出す。
年内に7700キロを目指している。77歳の年の内に、と言うくだらないゴロあわせだ。あと半年である。
いままで一日の距離の最長記録は2022年の7月の真鶴半島一周13.6キロである。真鶴半島は好きなので何度も行ったことがある。深い森の緑の中を散策するのが好きだ。いつもは車で行くが、その時は、電車で真鶴駅まで行き、歩き始めた。夏、真っ盛りの熱暑の日に何故そんなことをしたのか、それはギンギンに冷えた生ビールを呑みたいから。歩き終わり駅そばの寿司屋で飲んだビールの味は格別だった。
2番目に長い距離は今年3月のカンボジア、アンコールワット遺跡を歩きまわった11.3キロだ。(写真)気温35度をこえる中を、同行した大学生の孫と一緒に、汗を拭き拭き歩いたものだ。
このように、いろいろなデータを記録していると、その数字の中に、いろいろな思い出がよみがえる。また、ほんの少しであるが歩幅も広くなっているようだ。しかし、いくら歩いても体重だけは変わらない。現在69kg、せいぜい身長から100は引いてみたいのだがーー。
年甲斐もなく
三島・沼津探訪記
娘たちと孫(7才)と、2泊3日の小さな旅。年並に呑み、年甲斐もなく行動した。
初日は、話題の「三島スカイウオーク」へ。はるか下の谷底を流れ落ちる水音が響き、眼前には巨大な富士がそびえる。
長さ400mの吊り橋を渡った先では「フォレスト・アドベンチャー」なる天空のスリリングな冒険に挑戦。孫はスタスタと進む、私はノロノロと進む。
その後に、「ロングジップ・スライド」というワイヤーの滑車にぶらさがったロープにつかまり、滑り降りる。往路は300m、帰路は250m。見ている方がヒヤヒヤするものの、滑り降りるのは、あっという間。怖さを感じる間もない。
二日目は雨。外の観光はやめて、水族館へ。観光地の水族館ということで、まったく期待はしていなかったが、深海魚に特化した展示は実に充実している。そして圧巻なのは、マイナス20度にガラスケースに収められているシーラカンス2尾の巨大な冷凍保存である。
一時は絶滅したと言われていた古代魚シーラカンス。冷凍で見られるのは、世界中でここだけとのこと。
三日目は天気も回復し、沼津の海水浴場で、年甲斐もなく、今年の初泳ぎ。孫は、はしゃぎ周り、私は静かに泳ぐ。水はきれいに澄み渡り、空には明るい太陽が燦々と照り輝いている。だれもいないビーチ、私は一人ウトウトとーー。
午後は、柿田川公園で孫は水辺であそび、私は杖をつきながら散策。
三日間、よく遊び、うなぎ、寿司、浜焼きを食べ、沢山呑み、温泉にもつかった。
70歳の年の差もなんとか乗り越えた夏休み。また来年も楽しみだ。
※「呑兵衛雑記」に関連記事あり。
猿島探訪記
毎年、アメリカに住んでいる娘の家族が、夏休みを利用して我が家に約1ヶ月間逗留する。その間に小学生の孫は日本の学校に通ったり、家族でディズニーランドやショッピングに、そしてもちろん美味しい日本の食事を堪能し、忙しい日々を楽しんでいる。
そして、毎年恒例なのが、私の娘二人とその子ども達三人、兄貴の娘三人とその子どもたち四人、計14人の俗称「従姉妹会」である。
去年までは、1・2泊で小旅行に言っていたが、子どもたちも大きくなり、なかなかスケジュールの一致が難しく、今年は日帰りということで横須賀の猿島に決まり、私もゲスト参加した。都合がつかない者もいて12名の日帰りツアーだ。
港から船に乗り約10分。私は、高校生の頃に行ったことがあるが、以来約60年ぶりの猿島はきれいに整備され、多くの道は舗装も施されていた。
今回は、60分のガイド付きツアーに参加。戦争遺産を中心に要塞や砲台跡、展望台などで立ち止まっては、説明を受ける。兵隊の居住区や弾薬庫の中にも入ることが出来た。それにしても戦争という異常な状況下において、兵隊たちが人力のみで建設したレンガ造りの建物群には圧倒される。若い人たちは、これらを「レトロ」と感じるのだろうか、デートで来ているカップルも多かった。
港に戻り、近くのマーケットに行く。中にはいれば、野菜や鮮魚など地元の物産のほか飲食店も多く、それらが実に充実している。そこいら辺の「道の駅」顔負けだ。私はランチに生牡蠣3個、生ビール(椎茸エールという、珍しい生ビール。美味なり)、しらすのピザなど食べる。観光地とは言いながら、どれもなかなか充実した味だ。
皆で、そばの温泉に移動、海を見ながら心地よい風に吹かれての温泉に大満足。
更に、晩は鎌倉の名店、お好み焼き「津久井」に集合。兄貴も加わり14名の大宴会となった次第である。
今、まさにBBQシーズン
どうも、私は続柄の呼び方について分からないことが多い。妻の妹は義妹、その子供は姪、そして姪の子供はなんというのかわからない。調べてみたら姪孫(てっそん)と言うらしい。
前置きはこのくらいにして、先日、ハワイはマウイ島に住んでいる姪と姪孫、そしてアメリはカリフォルニアに住む次女の家族(夫と孫7才)、そして日本にいる次女の夫のお母さんが我が家に来て、久々の親族会ならぬファミリー・バーベキュ大会となった。
そう、今や、まさにBBQシーズン真っ盛りである。
私は、冬や雨の日は屋内でも炭火を使う。区別するために屋内は「炭火焼」、屋外は「BBQ」。
普段から、炭火を使うことには慣れている。一人メシでも炭火を使う。サンマ一尾、ステーキ一枚でも炭火で焼けば、ワンクラス上等の味になる。
慣れていない人は炭を起こすのにウチワで仰いだり、フイゴ状の道具を使ったりするが、着火剤を少し多めに使い、30分ぐらいほって置けば自然に起きてくれる。「ゆっくりあせらず」がコツだ。炭が起きるまで、チビチビやっていれば良い。
今回焼いたのは、大量の手羽中、とうもろこし、ベビーコーン、椎茸、サーモン。 ポテトと玉ねぎはアルミフォルに丸ごと包んで直接炭火の中に入れておけば良い。
シメは、長女の握る恒例の炭焼きむすびだ。飲み物は、女性が多いせいか、なにやら不思議なカクテル風の缶やペットボトルが、スッポンスッポンと空いてゆく。私は、相変わらずのビールとワイン。
一段落したら、孫と姪孫を中心に花火大会。アメリカ人は線香花火をふりまわす。日本のようにじっくり眺め、さいごに膨らんでポツンと落ちる火の玉を楽しむようなことはない。そして高校生の孫は今風なダンスを披露。マイケル・ジャクソンのような、関節にヒビが入りそうな曲芸の様なダンスだ。ダンスにも風情がなくなったと思うのは老いのせいか。
ほろ酔い気分で焚き火をかこみ、なにやら分からぬ英語が飛び交う話を耳に、徐々にまぶたは落ち、きがつけば楽しい宵は夢の中。
みんなでBBQ、バンザイである。
坂・階段・山暮らし
鎌倉山、「山」だから当たり前だが、坂や階段が多い。多くの家は門を入り、玄関までは階段を上り下りする。拙宅も車をおりたら、くたびれた木の階段を上がって玄関となる。
さらに、車では門前まで行くことが出来ない家も多い。郵便配達や宅配便も、この坂や階段の多い地域を担当する人は大変だ。車両を、道路に一時停車して、荷物や封筒を持って、階段や坂を上り下りする。
鎌倉山ロータリーからM先輩の家の表玄関にたどり着くには、二通りの坂道がある。私は勝手に「男坂」「女坂」と言っているが、「男坂」の距離は短いが、急な、しかも不規則に組まれた、歩きにくい階段を登らねばならない。
「女坂」は緩やかな坂道だ。しかも途中にはM邸裏門があるので、ズルをして、無断で庭を通過して表玄関に行くことも出来る。
まあ、このような土地に住んでいるので仕方がないことだが、何処にいくにも坂や階段はさけられない。
私の兄は4丁目、私は3丁目、少ししか離れていない。お互いの家は谷を挟んで臨むことさえ出来る。しかし、兄の家まで歩いて行くとなると、俗称「けもの道」という約200段の階段を下って、また登ってと、その距離に比べて運動量は多く、最近はしんどくなってきた。
疲れているときや、兄の家で酒を飲んだときなど、この「けもの道」の魔の階段を避けるべく、ひとつ先のバス亭まで遠回りして帰ることすらある。
前記したように、兄の家は4丁目、私は3丁目、兄の名前は一平、私は二平、1,2,3,4とややこしいこともあり、宅配便など間違えることも多い。
ピ〜ンポ〜ンが鳴って、荷物を受け取る。宛名を見れば、兄宛の荷物だ。すぐに運転手に声をかけ、間違っている旨を伝える。まにあえば良いのだが、すでに車が去ってしまったときなどは、しかなく私が届けることさえある。
高齢ということもあり、兄は「無車修行」の末に、娘に車をやってしまった。まあ、足腰が元気なうちは良いが、私も兄も、この先、心配でもある。とは言え、こんな不便な土地だからこそ、替え難い自然に囲まれ、季節の潤いを感じることができるのである。
水たまりの小径
あの頃、小学校への通学路は舗装していない凸凹道が多かった。雨の日には水たまりができた。長靴で、わざと水たまりに入り、バシャバシャと水を蹴っ飛ばしては歩いた。
近くの家の池から逃げ出して来たのだろうか、ザリガニのいる水たまりもあった。雨の日も楽しい通学だった。
冬になると氷もはった。長靴でツルツルすべるのも面白かった。
車社会の発展とともに舗装がすすみ、水たまりのある道は少なくなった。
ここ、鎌倉山には未だに未舗装道路がある。雨が降れば水たまりもできる。
バス通りから鎌倉山記という石碑を曲がり、しばらくすると舗装が切れる。そこから徒歩で数分、集会所の近くまでが未舗装だ。雨が降ったあとには水たまりができる。私の好きな散歩道でもある。
周りは自然に囲まれ、見上げるような大木や孟宗竹に囲まれている。秋には沢山のドングリに混ざってイガに包まれた栗も落ちている。足元にはシャガやウマゼリ、スイカズラ、アジサイなど季節の花も咲く。雨以外の日は毎日、歩いているが、小綬鶏(コジュケイ)に出会うことも多い。何羽か連れ立っている。近づくと、びっくりしてチョコチョコと走って藪の中に消える。よっぽどでない限り、あまり飛ぶことはない。キジバトやガビチョウは警戒心に欠けるのか、近寄るまで気が付かないことが多い。
ここ以外でも、鎌倉山動物病院の裏手の未舗装道路も良い。ここからの眺望が素敵だ。大船市街地から遠くに横浜のランドマークタワー、横浜ベイブリッジも遠望できる。さらに遠くには雪をかぶった富士山が遠望できる。
水たまりの小径、今となっては貴重な道だ。
富士山
私が鵠沼海岸に住んでいた幼い頃、毎朝学校に行く途中にいつも気になる大きな門の家があった。門柱の表札には「富士山」と書かれていた。名字が富士、これはそのまま読めば良い。問題は名前だ。後に「山」と書いて「たかし」と読むことを知った。それにしても、さん付けで呼ぶ場合は、やっぱり「ふじさん」になるんだな〜、と冗談のような本当の話はさておいて、私は富士山が好きだ。
恥ずかしいことに、私は富士山に登ったことはない。五合目までは車で行くことができるので、若い頃には何度か行ったことがある。しかし、五合目あたりに近づけば荒っぽい茶色の砂のような傾斜は、遠望する優雅なイメージとは違う。
近くなら富士五湖あたりから見る富士山も素晴らしい。身近に感じるその雄大さに圧倒される。
ここ鎌倉山から見る富士山が良い。朝の散歩で見る、晴れやかな富士、ビール片手に見る夕闇の富士、見るたびにその表情は変わる。
真冬の深夜、冬化粧した富士が月の光に照らされてぼんやり見えることがある。偶然に二度しか見たことがないが、暗闇にかすかに光る富士については、あまり知る人はいないだろう。
また夏の晴れた夜には登山中の人が撮るフラッシュがピカっと光るのも見えることがある。最近は弾丸登山とか、マナーを守らない無謀な登山をする人が多いと聞く。また、ロープウエイを新設する計画もあるとかないとか。あまり富士山を荒らしてほしくないと思うのは私だけではないだろう。
M先輩と毎月グループホームでギターに合わせ入居者と一緒に大きな声で合唱する。その時に使う歌集の最初が、やはり「富士の山」だ。
この歌集はM先輩の手作りで、14年間に六回も改訂され、現在200曲も掲載されている。何度改訂されても冒頭は「富士の山」だ。
『頭を雲の上に出し 四方の山を見下ろして
雷さまを下にきく 富士は日本一の山』
この歌をうたうと、何故か元気が湧き出てくるのである。
早朝散歩「夫婦池コース」
雨がふらない限り、ほとんど毎朝散歩をしている。いろいろなコースを約一時間歩き回る。今回は、その中のコースから自称「夫婦池(めおといけ)」コースをご紹介する。とてもローカルでニッチな内容なので、遠方の方にはわかりづらいと思いますが、ご容赦を。
我が家を出たら、階段を下り、バス通りに出て鎌倉山ロータリーを右折、しばらく歩いて、老人ホーム沿いを右折、道は徐々に狭くなり、人ひとりしか通れない急な坂を下る。こんな所に、「ポツンと一軒家」。見上げるような左側斜面は美しい竹藪、そして坂にへばりつくような墓地を左に見れば、すぐに幅広い車道に出る。「観光いちご園」の三叉路を右に回り込めば、兄のホームページでも紹介している「仏行寺」※だ。更に進んで「三嶋神社」※でお参りをし、道なりに進むと「夫婦池公園」※に到着。ここで、歩を緩めてゆっくり進む。
池の水は濁っているがよく見れば大きな鯉が沢山見える。その合間を縫うようにヨタヨタと泳ぐ小さな亀が水面に時々顔をのぞかせる。運が良ければ、鮮やかなブルーとオレンジ色のカワセミを見ることができる。目にも止まらぬ速さで飛び抜け、森の中に消える。対象的に、のんびりと鴨の家族が浮遊している。そんな、のどかな景色を愛でたら、気を取り戻して登り坂にかかる。鎌倉山集会所の交差点をさらにまっすぐ登ると、(四月の下旬には)左側に見事に咲き誇るシャガの群生が見られる。
夫婦池公園から、ここまでの登り坂が、このコースで一番の難所だ。汗を拭き拭き更に進む。右側「安心堂」(心療内科)の古めかしい石の門柱の三叉路を右折、すぐ左にあるインク・ギャラリー(と言っても何も標識は出ていない)のT字路を左折、道なりにすすみ次のT字路を左折、数十メートルで鎌倉山神社※に到着する。神社と言っても、十数段の階段を登ったところに、苔むす小さな祠(ほこら)があるだけだが、何故かここで手を合わせると清々しい気分になれる。私の好きな神社だ。
ここまで来たら、あとは裏道をまっすぐ行き、下ったところのT字路を右に曲がれば、以前は棟方志功の作品を展示していた旧「棟方版画美術館」だ。あとはバス通り沿いに進み、「見晴らし」バス亭の階段を上がり「鎌倉山ローストビーフ」の前を通過して帰宅。これだけ歩いて1時間強、約6千数百歩、およそ4.5㌔だ。これからの季節は帰宅後のシャワーが気持ち良い。さて、明日はどのコースを歩こうか。鎌倉山は散歩天国だ。
赤字※は外部リンクです。
変貌の鎌倉山 後編
「大邸宅」
写真は、ここ数年で話題の「無理やり建築」の大邸宅。こんな所に、とびっくりしたのは、バス通り沿いの石垣をくずして建てた、巨大な家だ。 散歩仲間の情報によれば最近見かけなくなった女優の高木美保のご主人(台湾国籍の大金持ち)が建てたらしい。屋上には愛犬用のプールもあるという。石垣を崩す工事から2年以上もかけ、数億円もかけて建てたのに現在は誰も住んでいないという。不気味な佇まい。もちろん表札も出ていない。
大邸宅では、最近テレビで見なくなった、みのもんた邸。まるでゴルフ場のクラブハウスのようだ。深夜でもこうこうと明るい室内照明が光っている。
フラワーアーティストという不思議な肩書を持つ假屋崎省吾も引っ越してきた。彼も出番は大分少なくなっている。この邸宅のシンボルだったツリーハウス(写真)は、彼が引っ越してきた途端に取り外された。素敵なガレージもなくなり、そこには現在超ノッポの家を建築中。背伸びして海を見たいのだろうか。
そのほか、やはり出番が少なくなっているタレントのテリー伊東も近くにいるようだが、詳しい場所はしらない。
そしてこの人も、最近活躍していないようだが元NHKのニュースキャスターで政治家の宮崎緑の自宅は、それほど大きくはないが、四六時中門前に警官が一人いるのは異様だ。
売れなくなった有名人は鎌倉山がお好きなようだ。
大邸宅と言えば、鎌倉山神社の向かい側に、異様にデカい家が建った。母屋の他に二棟の別棟もある。お寺ではなさそうだが、鐘つき堂もあり、多くの灯籠が並んでいる。噂によれば、大金持ちの外人だそうだ。相当な日本かぶれなのだろうか。
我が家のすぐ近くには、昔のオペラ歌手藤原義江の自宅があった。暖炉が2つもある素敵な家だったが、取り壊され近代建築になり、今は台湾人の所有になっている。
見晴らしバス停の隣接地、そして更に上の土地も工事中。これから大邸宅ができるようだ。
散歩のたびにこんなことが気になるのは、年金爺のヒガミなのか!
変貌の鎌倉山 前編
「分散化」
毎朝の散歩、気になるのは変貌する鎌倉山だ。
昔の大きな家が壊され、ある日、そこに重機がはいり開発が始まる。しばらくすると、売出し中の看板が立ち、売れたところから徐々に家が建ち始める。これらの過程を見るのも散歩の楽しみのひとつになっている。
具体的には、昔は立派な「日立山荘」があった広大な土地には、現在9軒の家が建っている。
家の1/3ぐらいが崖から飛び出して宙に浮いているような家。
おそらく、すべて特注で作らせたと思われる凝ったフェンスに囲まれた庭をもつ家など、駒は小さく分散したが、それぞれ、なかなか凝った家が多い。そしてガレージには外車が並ぶ。
現在開発中はバス通り沿いに集中して3箇所。写真は手前が三軒に分散し、既に小洒落た家が並ぶ、その奥に見えるのが現在開発中の土地だ。手前に写っている赤い自動車はテスラ、写真では見えないが、その手前のガレージにはミニとランドローバーがならび、さらに手前の家にはコンバーティブルの古いベンツが鎮座している。
昨今の経済環境から、広大な土地や邸宅を維持できず、このような細分化は致し方ないとも思うが、開発の度に桜や多くの木が切られ、緑が少なくなっているのは嘆かわしいことだ。(続く)
広町緑地の大桜
桜の季節、毎年楽しみにしているのが、広町緑地の大桜だ。今年も4/2に行った。自宅から歩いて20分で緑地の鎌倉山入口につく。そこから森の中を約10分歩いて目指す巨木に到着。その堂々たる姿には、いつも圧倒される。樹齢200 年以上と言われているこの大桜、種類は山桜だろう。染井吉野より開花が少し早い。今年は少し出遅れたようだ。下の方は既に葉桜になっていた。
20年ぐらい前に、この緑地に宅地開発の計画があったが、反対運動が起こり、論議の末、鎌倉市が買い上げて自然公園とした。
私が初めてこの大桜を見たのは、さらに遡ること、今から30年以上も前だ。その頃はもっと大きかったように思うが、その後に剪定などの管理が進んだのだろう、樹形は以前より整った。
今回は、ここから更に足を伸ばして御所谷入口まで、約40分歩いた。途中の湿地帯には木道が整備され、管理事務所そばの芝生広場では、幼稚園の子どもたちが遊んだり、お弁当を広げている御婦人達もいた。
帰路は、津村からバスで帰宅。全工程2時間8千歩強の散策だった。
のどかな春の日に爽やかな風を胸いっぱい吸い込んだ。何故か心が豊かになったような気がする。
体調管理は早朝散歩
先日、カンボジアのアンコール・ワットに行った。遺跡はすべて徒歩での観光となる。毎朝散歩しているので体力に自信はあったものの気温36度のカンカン照りのなか、何時間も歩くのは流石にこたえた。広大な敷地を、汗を拭き拭き一日2万歩も歩いた日もあった。
帰国翌日の朝、いつものコースを散歩。なにやら足が軽々と進む気がした。カンボジアでトレーニングをしてきたようなものだ。
毎朝の散歩、ここ鎌倉山は階段も多い、坂を下っては登る道も多い。その朝によって、それが苦痛に感じるときもあれば、らくらくとこなすときもある。それが私の体調管理になっている。
いろいろな道を歩くが、一番多いのは「鎌倉山神社」巡回コース、約1時間、6️千歩強のコースだ。時々、大股で歩いたり、調子がいい時は小走りしてみたり、それをする気になるか否かで体調がわかる。
一番つらいのは、散歩の途中で便意を感じたときだ。この辺りには公衆トイレはない。早朝なので知り合いの家に飛び込むこともできない。そういう時は、すぐに踵を返して帰宅することになる。なんとか我慢して帰宅。すぐさまトイレに駆け込む。ズボンを脱ぐのもハラハラしながら、なんとか間に合い、用を済ませたときの開放感。
そのあとは反省。「やっぱり、昨夜は飲みすぎた!」となるのである。
なんでも、ほどほどにとは思っているものの、自己規制がはずれると翌朝の散歩はつらいのです。
不便の効用 その②
2/4の当ページに鎌倉山の交通事情について書いたが、今回はお店について触れる。
ここ鎌倉山全体が風致地区となっていることもあり、お店と呼べるものは数少ない。
飲食関連は有名な「ローストビーフ鎌倉山」や「檑亭」、他にも最近話題になっている(らしい)「ル・ミリュウ」など数店あるが、何と言っても「喫茶マウンテン」(写真)は当地を象徴する店だろう。1985年(昭和60年)に開店したと言うから来年で40年となる。もともとは網野商店という雑貨店で、日用品から卵や駄菓子も売っていたらしい。この店から見れば他の飲食店はみな新参者だ。
高価で敷居が高い店、看板料理よりもお庭が売り物の店、旨い不味い、それぞれ評価は別として、それなりの飲食店はあるものの、なんとも不便なのは商店だ。
日常生活に関する商店はほとんどない。以前は酒屋や美味しいパン屋もあったが、現在は米屋と花屋があるのみだ。
一時は生鮮品を積んだ小型トラックがロータリーのそばまで来たこともあった。現在は食料品、日用雑貨も含め、山を降りなければどうすることも出来ないので、ほとんどの住民は車で買い物に行く。
そんななか、実兄は80歳をすぎ、「無車修行」と称して、不便なバスと自らの足でどこにでも行っているようだ。
毎日のメシぐらい、話題のウーバーイーツや宅配の食事など頼めばいいと思うのだが、味は期待できないし、歳のせいもあり、なんとなく抵抗があるので、まだ使ったことはない。
こんな不便さを差し引いても、毎朝の鳥の声、海、山の景観など、ここ鎌倉山の素晴らしい自然に勝るものはない。